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【松林薫】「不確実性」は紙面にどう表れるか

松林薫

松林薫 (ジャーナリスト・社会情報大学院大学客員教授)

コメント : 1件

昨日、欧州連合(EU)加盟国の首脳が英国の離脱について協議し、当面の延期が決まりました。ただ、英国のメイ首相が要請した6月末までの先延ばしは認められず、「合意なき離脱」や「国民投票のやり直し」などの可能性も残っています。

ブレグジットをめぐる交渉は、英国とEUが決めなければならない事項が多く、意思決定の手続きも複雑です。メディアは交渉の節目を迎える度に「予想される今後のスケジュール」をフローチャートで示していますが、分岐がいくつもある上、内容もどんどん変わっています。そもそもメイ首相をはじめ交渉の当事者でさえ、どんな結末を迎えるのか見通しが立っていないのではないでしょうか。

しかし日本のビジネスパーソンたちの間では、意外に楽観的な雰囲気が漂っているように見えます。私の周りでも話題にはなるのですが、少なくとも「合意なき離脱」のようなハードランディングにはならないだろうとタカをくくっている人が多い印象です。

メディアが楽観的な見通しを報じているから、というわけではありません。少なくとも主要紙の記事を読む限り、そのような方向性を示している例は見当たらないからです。むしろ最近は方向感をすっかり失って、淡々と途中経過を伝えるだけの記事が目につきます。

実は、似たような現象は2016年6月の国民投票の直前にも見られました。私の経験からすると、こういうときは不確実性が高まっているので要注意です。

そう聞くと、「あれ?」と思う人がいるかもしれません。ブレグジットについては「メディアは残留派の勝利を予想していたが外した」というイメージが流布しているからです。実際、ネットニュースや専門家のレポートを見ると、同じ年の米大統領選でトランプ氏が勝利したことと合わせ、「メディアの予想があてにならない」ことを示す代表例のように書かれています。

しかし、実際に投票直前の主要紙を読み返してみると、「残留派有利」という見通しを示している例はありません。逆に「離脱派有利」を予想している新聞もないのですが、直近の世論調査を紹介した上で「伯仲」「拮抗」と書いていて、どちらに転ぶか分からないと逃げを打っている記事が大半を占めます。見出しだけ見ると、6月にはむしろ「離脱派有利」の記事が目につくほどです。

EU残留派に焦り 世論調査 離脱派が上回る(6月8日付 読売新聞朝刊)
欧米 株安広がる 英「EU離脱派リード」報道 ユーロ・ポンド安も(6月12日付 朝日新聞朝刊)
英、EU離脱派に勢い 国民投票 移民や拠出金 不満募る(6月12日付 毎日新聞朝刊)

5月末以降、世論調査の結果は「残留派有利」「離脱派有利」「ほぼ同数」と分かれていました。いずれも差は小さく、統計上の誤差と言ってもいいレベルです。このため、「こうした世論調査自体が最近はあてにならなくなっている」と断っている新聞さえあります。

世論調査に一喜一憂 残留・離脱が拮抗…過去には「大外し」も(6月24日付 朝日新聞朝刊)

それにも関わらず、多くの人が「メディアは残留を予想していた」と思い込んでいるのはなぜでしょう。紙面を読み返していて気づくことがいくつかあります。

まず、投票の直前に大きな事件が相次ぎ、英国のニュースが陰に隠れてしまったということです。このため、一般読者は「メディアが大きく扱っていないということは残留派が勝つ(=現状維持の)可能性が高いのだろう」と感じていたのではないでしょうか。

実はこの時期、東京都では公用車や政治資金の「公私混同」が問題視され、舛添要一知事が辞任の瀬戸際に追い込まれていました。さらに投票前日には7月の参議院選挙が公示され、各紙とも1面から中面まで関連ニュースが並びました。海外でも50人が死亡した米フロリダ州の銃乱射事件や北朝鮮のミサイル発射などがあり、英国のニュースが目立たなくなっていたのです。23日の朝刊を見ると、「きょう英国で国民投票」という記事を1面に載せていない新聞もあるほどです。

もう一つは、離脱派勝利を受けた翌日の紙面で「驚きだった」「予想外だった」という識者コメントがたくさん引用されたことです。その多くは日本の市場関係者なのですが、こうしたコメントが「事情をよく知る人たちも残留を予想していた」=「メディアも同じだった」という印象をもたらしたのではないでしょうか。

「離脱派が多数となったのは驚きだった」(田中理・第一生命経済研究所主席エコノミスト、6月25日付 読売新聞朝刊)
「残留を見込んだ市場の読みと違う結果になり、金融市場全体がパニック状態になった」(上野泰也・みずほ証券チーフエコノミスト)
「ロンドンで状況を分析しているが、離脱支持が残留を上回った結果に驚いている」(児玉昌己・久留米大学教授、6月25日付 毎日新聞朝刊)

実際、結果が出ると株や為替の市場は大荒れになりました。これは離脱派の勝利が相場に織り込まれていなかったことを意味します。つまり投資家の多くは様子見だったか、残留派の勝利を予想していたということです。実際、そうした記事は投票前にもいくつか出ています。

市場 残留織り込み?(6月24日付 朝日新聞朝刊)

私の経験から言えば、現場の記者にはこうしたケースで「結果を当ててやろう」という意識がほとんどありません。予想が外れたときに責められるリスクがある上、方向感のある予想(例えば「離脱派が勝利する可能性が高い」)を打ち出すと、それ自体が市場を動かすなど現実に影響を与えてしまうからです。

このため、方向感を打ち出すときも「専門家の多くは〜と見ている」「〜との見方が有力だ」「世論調査では〜という結果が出ている」といった書き方をします。客観報道の原則もあって、記者個人の見立てや予想はなるべく出さないのです。

これだけでもすでに責任回避的な報じ方ですが、さらに「他人の見立てを引用して方向感を出す記事」さえ書かなくなってくると要注意です。記者が「下手に方向感を出したくない」と思うほど不確実性が高まっていると考えた方がいいでしょう。

一方、経営者や市場関係者は、不確実性が高まっても敏感に反応するとは限りません。経済記者として取材してきた印象で言うと、リスクを認知した場合、実際に行動を起こさなければならなくなるので「現状維持バイアス」が働きやすいのかもしれません。

そもそも大企業や役所に勤めるビジネスパーソンは物事を経済合理性で判断する傾向があり、グローバル化に逆行するブレグジットは「非合理的」だと決めつけがちです。「普通に考えればそんな無茶な選択をするわけがない」という思い込みが生じやすい面もあるでしょう。しかし、リーマン・ブラザーズの破綻などを思い返すと分かるように、政治が絡む案件ではビジネスパーソンが考えるような「合理性」だけで物事が決まるとは限りません。

その意味では、ビジネス上のポジションを取っていない分、記者の相場観は経済人より自由です。おそらく明日の紙面には交渉結果を受けた解説記事が出るはずなので、各紙がどれくらい方向感を打ち出しているか観察してみると面白いでしょう。「合意なき離脱」が他のケースと同じ比重で扱われているとしたら、事態はかなり危険な領域に入っているのかもしれません。

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コメント

  1. 富田師水 より:

    >「ロンドンで状況を分析しているが、離脱支持が残留を上回った結果に驚いている」(児玉昌己・久留米大学教授、6月25日付 毎日新聞朝刊)

    この人何しにロンドン行ってたんやろ…?
    現地の新聞読んでないってバレるような事言ってるやん
    分析(笑)

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