「根尾谷淡墨桜」〜故郷とは何か〜

齋藤悠貴(24歳・会社員・東京都)

 

 お盆休みに、私は実家である岐阜に帰った。商店街や地元固有のお店などはもうほとんど閉店しており、近くには喫茶店か大型ショッピングモールくらいしか行くところはなく、家にずっといるのも退屈だったので、少し遠出をしようと樽見鉄道なるものに乗って、終点の樽見駅まで旅に出た。

 樽見鉄道で見える景色は自然豊かで、川は水平線の向こうまで続いていて、その透明な水から反射する光は宝石の煌めきのように美しく、まるで川によって心が洗われるかのような感覚を覚えるが、ほとんどの乗客は大型ショッピングモールのある駅で降りてしまい、私は残り少ない乗客と共に静かに外の景色を楽しんでいた。

 さて、樽見駅に無事到着し、駅を降りると辺りは山と森だらけで、虫がたくさん飛んでおり蒸し暑かった。近くの喫茶店でご飯でも食べようかと思うものの、お店というお店はガソリンスタンドくらいしかなく、あったとしてもどこもカーテンが閉じてあってとても入り辛く、結局おとなしく山をひたすら登り続けた。

 山の途中で小学校がポツンとあり、「こんな何もないところで暮らす小学生は、一体どんな学生生活を送るんだろうなぁ。」と自分の小学生の頃の記憶と、その土地に住む小学生の暮らしへの想像とを突き合わせながら思いを馳せてみた。しかし、近づいてみると、どうやらその小学校は昭和22年から始まり、なんと令和4年で閉校してしまっていた。「そりゃそうだろうな。」と思う一方で、先ほど頭の中で勝手にしていたその小学生の暮らしへの想像と、昭和22年から令和4年までの日本の歴史の流れと、目の前にある理科室で、ついさっきまで使っていたかのようにポツンと置いてあるアルコールとが頭の中で絡み合って、ふいに涙が出た。

 無計画にふと小学校に寄ってしまったわけだが、私には目的地がないわけではなかった。その目的地とは、この土地で最も有名な場所、「根尾谷淡墨桜」である。

 地域のお祭りの屋台を横目で見ながら汗びっしょりで、ようやく私は目的地である「根尾谷淡墨桜」に辿り着いた。名物は春にその枝先につける桜らしいが、私は「樹齢1500年以上」と言われるその木の幹や大きさといった「木全体」が観たかった。淡墨桜は古墳時代に、あの謎多き人物である継体天皇が植えてから、大雪や台風などで一度は枯死すると診断されたものの、後世の人にの努力によってなんとか接木に成功し、現在に至るという歴史的な大木であった。

 その木をぼんやりと眺めていると、私は次第に古墳時代から現在に至るまでの歴史の流れを想起せずにはいられなくなった。「そうか、この木は、大化の改新の時も、古事記や日本書紀が書かれた時も、藤原道長が『この世をば我が世のと思ふ望月の欠けたることもなしと思へば』と詠んだ時も、元寇で日本が侵略された時も、朝廷と武士が権力争いをしていた時も、下剋上の時代となって国の秩序が乱れていた時も、泰平の世の時も、ペリーが来航した時も、日清・日露・第一次世界大戦・日中戦争・大東亜戦争の時も、阪神淡路・東日本大震災が起きた時も、コロナが蔓延した時も、そしてあの小学校が潰れてしまった時も、常住坐臥ずっとここに居たんだなぁ」。そのように考えると、人間にとってその時には超重大な歴史的事件であっても、この木の視点に立つと、それらは全て日本の全歴史のうちの一事件へと相対化されていき、日本人としての心の動揺は鎮まる感じがした。

 その時私は思った、これこそが日本人の故郷なのではないかと。日本人の歴史を相対化して、悲しかった個人的あるいは国家的体験を癒してくれる、そして何か個人的あるいは国家的に重大で取り返しのつかない決断をする時も、その木を思い出すだけでなぜかフッと心が軽くなって、勇気の一歩を自然に踏み出させてくれる、そんな場所なのではないかと。

 しかし、同時にあの坂口安吾の言葉も思い出した。「金閣寺が消失した、文化財の一大損失だというけれども、私もたいがいの国宝建造物は見てまわったが、金閣寺も、銀閣寺も、法隆寺も、決して美しいというようなものではない。歴史とか、美術史とか、そういうものと馴れ合いの上で、色々とツジツマを合せてから、ようやく一応の歴史的な美を納得することができるという性質のものでしかない」。要するに、どれだけ時間的蓄積があるにしても、今生きる人間の生活と交わっていなければ、その美は虚無に帰す、ということであろう。

 したがって、この淡墨桜が現代でも生きるには、この土地に生きる人々が淡墨桜と付き合い、淡墨桜と共に成長して、自分の実人生と淡墨桜の生きてきた歴史とを自然な形で溶け合わせるように、すなわち「私はこの木で、この木は私」という境地に達するようにして付き合っていかなければならない。

 これは、単なる個人的な宝物を超える。中学生の頃から今までずっと使ってきたペンを見て、自分の過去の出来事を想起することができるというような体験は誰にでもあるだろうが、この淡墨桜は日本の歴史を背負っている。ゆえに、この淡墨桜と関係を持つ者は、個人的な記憶と同時に、そこに日本の記憶も重ね合わせることができるのである。結局、人間の人格が分裂してしまうのは、この個人としての記憶と国家(社会)としての記憶のズレが激しいために生じる。つまり、個人としての自分と国家としての自分の関係があまりに希薄すぎる、がしかし現実的に国家としての自分を演じなければならない時に、人はその二つの自分を突き合わせようと無理をする。その無理によって、人はどちらが本当の自分なのかがわからなくなり、人格が分裂してしまうのである。ならば、その二つの自分を自然に統合してくれる淡墨桜は、自分を支える、あるいは自分を強くしてくれる場所、まさに故郷である。

 今、日本人に最も必要なのはこのような営みなのではないか。つまり、日本の記憶として外に表れずに蓋をされている「宝物」に対して光を当て、そして現在を生きる者がその「宝物」と真剣に、時には坂口安吾のように焼き捨ててもいいという覚悟のもとで付き合い、次第にその「宝物」と自分が溶け合って、「死んでいた宝物」が「生きた記憶」として再び自分の中で蘇っていく営みが。

 その営みが成功すれば、人々は大型ショッピングモールに依存して、自分の根源的不安を、その刹那的な快楽で毎度毎度埋め合わせ、自分の「宝物」を素通りし続けてついに自己を見失い、ひいてはその「宝物」の周辺にある商店街や小学校などの生活も知らぬ間に毀損させていくという地獄から抜け出せられるだろう。

 しかし、唯物論者はこう言うかもしれない、「そんなものは積極財政をすれば済む話である。なぜなら、地方に供給力がないのは需要がないからであって、国家がインフラ整備を中心に大規模な長期的投資をすれば、企業もそこに投資をして、マクロな需要と供給は拡大し続けるからである。もっと言えば、国家が財政出動ができないのは、財政法4条と憲法9条が有機的に絡み合っていて、国債発行をすれば戦争が起きるという、敗戦のトラウマから生じた神話を日本政府は信じているからであるため、憲法改正をすれば日本は再興する」と。しかし、「宝物」に光を当てる営みなくして、何が憲法改正、積極財政だろうか。所詮、憲法改正も積極財政もこの「生きた記憶」を守るための手段に過ぎない。「手段」は「目的」が存在して初めて機能する。だとしたら、それらの政策を実行するためにも、あるいは自分の周囲の生活を守るためにも、今一度我々日本人にとって「故郷とは何か」を、この「宝物」だらけである日本で、一人一人の日本人が日々緊張感を持って思考しなくてはならないだろう。