失われた「強さ」と「健全さ」を求めて ――陸上自衛隊体験入隊記

田中孝太郎(ライター)

 

二〇二五年十月九日から十日にかけて、陸上自衛隊の体験入隊に参加した。企画は本誌執筆陣の一人で元陸上自衛官の小幡敏氏。参加者は小幡氏のほか、本誌編集委員の柴山先生、川端先生、そして学生を中心に総勢十六名にのぼった(残念ながら、藤井先生と浜崎先生は所用のため不参加)。本稿では、体験入隊の訓練内容や隊員との交流、そして体験入隊を通じて感じたことを綴っていく。

旧陸軍の歴史と魂を引き継ぐ福知山駐屯地

 体験入隊の舞台は、京都府北部に位置する陸上自衛隊福知山駐屯地。福知山はもともと明智光秀が治めた城下町として栄え、明治三十一年(一八九八年)に旧陸軍歩兵第二十連隊が駐屯地を設置した。移駐した際に建造した建物は現在も史料館として残っており、同連隊に関連する物品やその戦歴、福知山の郷土資料などを展示している(我々も二日目の訓練終了後に見学した)。

 戦後は昭和二十五年(一九五〇年)に「警察予備隊福知山駐屯部隊」として編成。昭和二十九年(一九五四年)の自衛隊発足後は改編を重ね、現在は中部方面隊第三師団の隷下部隊である、第七普通科連隊を中心とする部隊が所在している。

 第二十連隊は日清・日露戦争に従軍したほか、大東亜戦争ではフィリピンで壮絶な戦いを繰り広げ、最終的に全滅。旧軍、そして第二十連隊は消滅したが、その精強な魂は今日の第七普通科連隊にも引き継がれていることを、我々は体験入隊を通じて思い知ることとなる。

懇談会で感じた「今時」の教育の難しさ

 駐屯地到着後、貸与された背嚢の中身を点検し、迷彩服に着替えて集合する。小幡氏と、そのご友人で同じく元自衛官のH氏の迷彩服姿はさすがに様になっているのだが、それ以外の面々は「コスプレ」感が否めない。藤井先生の息子さんなど、髭と長髪とスタイルの良さのせいか昭和のロックミュージシャンが迷彩を着ているようである。柴山先生は小幡氏から「逆に自衛隊にいそうですね」と言われていた。「逆に」とは……? そして柴山先生曰く、川端先生は「謎の貫禄がある」とのこと。確かに小幡氏やH氏とは違う意味で雰囲気がある。

 そうして集ったコスプレ集団(?)は、本体験入隊の計画立案や準備、当日の指導等を担当された第七普通科連隊、重迫撃砲中隊の面々と顔を合わせる。連隊長や中隊長、小隊長らの挨拶、隊員の自己紹介などが終わった後、懇談会(質疑応答)の機会を設けていただいた。

 懇談会では小幡氏やH氏を中心に、近年のコンプライアンス重視の風潮の中で自衛隊でも厳しい指導ができなくなっているのではないか、またそのことをどう思うかといった質問が相次いだ。予想通りというべきか、昨今はパワハラに対する目が非常に厳しくなっており、体罰はもちろん「反省」(ミスを犯した者に対し罰として腕立て伏せなどを課すこと)さえ禁じられているという。そのため、指導する側は「やるべきこと」をやらせるために言葉で何度も言い聞かせるしかない。物分かりのよい隊員ならまだしも、「問題児」的な隊員に対して言葉だけで強制力を持たせるのがいかに大きな負担となるのか、想像に難くない。軍隊では一人のわずかなミスが部隊の全滅を招きかねないのであり、そうした極限状況に向き合う組織において世間一般の「やさしい」指導法が果たして正しいといえるのか。そんなことを考えさせられた。

 特に印象に残ったのが、ある若手の幹部隊員がおっしゃっていた「SNSの弊害」である。最近はSNSの普及により悪い意味での「自由主義」が広がっており、それが若い隊員の士気や意識に影響を与えているという。例えば玉石混交のさまざまな情報をネットから吸収し、権利ばかり主張する風潮や(上官をスマホで撮影し、「パワハラで訴える」と脅す者もいるらしい)、SNS上のキラキラした生活に憧れる若者が増え、自衛隊に入隊する者が減っている側面などを問題視されていた。また、入隊前の家庭や学校での教育の影響も大きく、自衛隊内での指導を難しくしている一因となっているのではないかという発言もあった。

 本音では答えづらい厳しい質問もあった中、最大限誠実に答えていただいたことに心から感謝申し上げたい。

本格的なブリーフィング、そして出発前の「やらかし」

 駐屯地内の食堂で昼食をとった後、「ブリーフィング」が行われた。折り畳み式の椅子に座り、部屋前方のスクリーンに投影された画像をもとに訓練内容や留意事項などが伝えられる。戦争映画のワンシーンのような光景であり、「自衛隊員の一員として動くのだな」という緊張感が高まった。

 今回行ったのは災害派遣を想定した行軍訓練である。大雨による土砂災害で国道が寸断され、孤立状態となった集落に徒歩で向かい、先遣隊として現場で主に情報収集を行う任務が課された。訓練全体を通じた目的の一つとして「リーダーシップの涵養」が設定されたこともあり、道中では三つの分隊を編成し、各分隊一人ずつ分隊長を決め、持ち回りで全員が経験することとなった。

 ブリーフィングが終わり、各自荷物の点検や必要な装備を整えていよいよ出発である。だが、ここで最初の「やらかし」が起こる。出発時の集合時間に間に合ったかに見えて、実は全く間に合っていなかったのである。我々は確かに時間ちょうどに集合した。しかし、私も含め装備が万全でない者が多く、点呼や整列もできていない状態だった。あろうことか、集合場所で装備の手直し等を隊員の方に手伝ってもらう始末。これは完全に遅刻であり、間違いなく「反省」事案である。腕立てを課されてもおかしくはなかった。隊員の方からは大目に見ていただいたが、小幡氏から(一度目の)カミナリが落ちる。ここで小幡氏、京大の「助教」から新隊員を厳しく指導する自衛隊の教官としての「助教」に変貌した(以下、自衛隊的な意味で「小幡助教」と呼ぶことにする)。

地図判読での悪戦苦闘と戦闘糧食の喫食

 駐屯地から訓練の場である長田野演習場まではトラックで向かう。背嚢とともに荷台に乗り、駐屯地を出ようとしたその時、何十人もの隊員の方々が手を振って声を上げながら見送ってくれた。我々もそれに応えてトラックの荷台の小窓から手を振る。不安と緊張が入り混じる中でこのような見送りをしていただき、大変励みになった。

 それにしても、荷台に揺られる我々の顔つきは、これから現場に向かう精悍な兵士というよりも敵兵に捕まって移送される捕虜のそれである。そんな中でもウトウトと今にも眠りそうな学生が一名いた。ある意味鋼のメンタルである。小幡助教もさすがにあきれたのか、カミナリを落とすこともなかった。あるいは彼の背嚢には避雷針が入っているのかもしれない。

 演習場に到着し、初めに行ったのが「地図判読」と呼ばれる訓練である。これは地図の情報を参考にしつつコンパスで方向を定め、歩幅で距離を測りながら指定の場所に向かう方法であり、目的地に突き立てた小さな金属製の棒を見つけるのが今回のミッションだ。だが、これが思いのほか難しい。整備された道ではなく草むらや林、傾斜地も関係なく突き進むため、すぐに方角や歩幅が怪しくなる。三人一組で五班に分かれ、それぞれ指定された場所を目指したが、棒を見つけられた班はゼロ。我々が日ごろいかにスマホの地図機能に頼りきりになり、方向感覚や距離感覚といった「身体性」を失っているのかを思い知った。

 地図判読訓練が終わり、行軍出発前に戦闘糧食(レーション)で腹ごしらえをする。カロリーメイトや缶詰のような食事を想定していたのだが、水と発熱剤を混ぜて温めるタイプのパックご飯とレトルトのおかずが食べられることに驚いた。味は悪くないし、量も多い。「腹が減っては戦はできぬ」とはまさにこのことだなと実感した。だが、発熱剤を反応させて全体を温めるのにはコツがいる。実際、私は二日目の朝食の調理に失敗し、冷たくて固い飯を食べることになってしまった(ありがたいことに他の参加者からお裾分けしてもらったが)。

行軍中に起きる多種多様な「状況」

 食事を終えた頃には、すでに日が沈みかけていた。ようやく行軍の始まりだ。寝袋や雨合羽、着替え、水や食料などを詰め込んだ背嚢の重さは約十キロ。道のりも約十キロである。実際の自衛隊の行軍訓練に比べると距離はかなり短く、荷物も少ないが、それでも徐々に足取りは重くなる。単に荷物を背負って十キロ歩くだけなら大したことはなかったのかもしれないが、今回は災害派遣という設定である。それゆえ、道中でさまざまなイベントが待ち受けており、簡単には前に進むことができなかった。

 例えば、土砂崩れが起きた(という想定の)ために整備された道が通れなくなり、林の中を迂回して進む場面が何度かあった。夜道の中、倒木や溝、ぬかるみに注意しながら歩かねばならず、神経を使う。林を抜け、ようやくまともな道に出たと思いきや、何やら遠くから叫び声が聞こえる。なんと住民が土砂崩れに巻き込まれ、その家族が助けを求める声だったのである。ここで一度行軍を中断し、手袋をはめてスコップを持ち、全員で土砂をかき分けて捜索する。被災者(マネキン)を発見し、必死に手で土砂をかき分けて救出したが、終わった頃には汗だくである。ここで棒と布を使った応急的な担架の作り方を教えてもらい、班員を交代で乗せて数百メートル運ぶ訓練も行った。我々の班は年功序列ということで最初に柴山先生を乗せたが、(大変失礼ながら)なかなかの重さである。その後交代で班員を乗せ、最後に最軽量の小柄な学生を乗せたところ負担が全く違う。最初から彼を乗せておけばよかった。

 土砂のかき分けと担架の運搬でだいぶ体力を消耗してしまった。三十代半ばはもう若くはないということを実感する。だが、訓練はまだ序盤。学生たちはまだまだ余裕がある様子で、ちょうど夜空に昇り始めた満月を見て「昔の人が月を見て歌を詠む気持ちがわかりますね」などと呑気なことを言い出す者も。それはともかく、この日が満月だったおかげで、月明かりに照らされた道を歩けたのは助かった。雨天だったらと思うとぞっとする。

 この後も前進するごとに、多種多様な「状況」に対処する必要に迫られた。崖から滑り落ちて足を骨折した人に遭遇し、その場で衛生隊員から応急処置のやり方を学んだり、道を塞いでいる倒木を人力でどかしたり(いわゆる「啓開」作業)、などなど。新たな状況に直面するたびに、迅速に最善の行動を取らなければならず、体力だけでなく頭も使う。疲労が蓄積した中でその場に応じた対応を取り、上官への報告や班員への情報共有、指示などを的確に行うことがどれほど大変なのか、身をもって感じた。

 そのことを最も強く感じたのが、行軍終盤の「安全化」と呼ばれる訓練である。これは一定の間隔をあけて横並びになり、足元を照らしながら前進して周囲の安全を確保する行動であるが、どんな「状況」がいつどこで起こるかわからない緊張感がある。ある学生が所感文で述べていたように、歩兵になった気分を味わった。

 ここで茂みの中から数人の不審者が飛び出してきた。どうやら泥酔している(という設定)らしく、酒瓶を抱えてよくわからない因縁をつけながら行く手を阻もうとする。時刻はすでに午前零時。疲労と眠気に襲われている中で酔っ払いに絡まれることほど苛立つイベントはない。本来は落ち着いて丁寧に自分たちの任務を説明し、理解を得た上で道を空けてもらわなければならないのだが、普段温厚な……もとへ、小心者の私には珍しく「邪魔だから早くどいてください!」と思わず声を荒げてしまった。当然酔っ払いたちはヒートアップし、ますます収集がつかなくなる。銃を携行していたら北野武映画の登場人物のように「うるせえなこの野郎、さっさとどかねえと撃つぞ馬鹿野郎!」とやっていたかもしれない(もちろん、そんなことをしたら大問題である)。ここで同行していた隊員からのフィードバックが入り、正しい対応方法を学ぶ。そこで「そうか、彼らも被災者なのか。突然被災し自暴自棄になっているのだな」と気づき、「皆さんも大変な状況なのは重々承知していますが、この先にも助けを待っている人たちがいますのでどうかご協力ください」と頭を下げ、どうにか納得してもらった。

 おそらくこうした状況は、隊員が実際に災害現場で体験したことなのだろう。実際の災害派遣の現場では、今回の行軍とは比べ物にならないほど疲労が溜まっている中で理不尽な因縁をつけてくる人々にも対応しなければならないのであるから、自衛隊の苦労は計り知れない。同時に、国民の生命と財産を守ることを任務とする自衛隊が、なぜここまで下手に出なければならないのかという疑問も湧く。戦後日本で盛んに叫ばれてきた「文民統制」という原則は、制度面だけでなく国民の意識の面でも「軍」(自衛隊)を「民間」よりも下の存在に押し込むための方便だったのではないかという気さえする。こうした意識を変えない限り、自衛隊の気苦労が解消されることはないのだろう。

天幕設営と歩哨、就寝から起床、そして訓練終了

 安全化を終えた後、ようやく最終目的地にたどり着いた。ここで天幕を張り野営をするのだが、訓練は終わりではない。四人一組になり交代で野営地の周囲を警戒・警備する歩哨を行うことになった。ここでは夜中に被災地を徘徊する不審者に対応するイベントが発生した。酔っ払いだろうと不審者だろうとぞんざいに扱うことはできないのであるから、自衛隊は本当に大変な仕事である。

 各分隊三十分ほどの歩哨任務を終え、ようやく天幕で就寝することに。時刻はすでに一時半を回っていた。

 翌朝は六時に起床である。けたたましいサイレン音で叩き起こされ、すぐに半長靴を履き二、三分後には天幕前で整列した状態で集合する。そして約十五分後には荷物をすべて整え、朝食の準備も終えて集合せよとの指示が飛ぶ。ここで大変ありがたいことに、隊員の方々がコーヒーを用意してくださっていた。だが、これが「罠」だった。コーヒーを悠長に飲んでいたらとても間に合わない。しかしせっかくのご厚意なのに全く飲まないわけにもいかない。数分で飲み終えてすぐに荷物をまとめるが、結局全員の準備が整い集合が完了したのは指示された時間の数分後だった。やはりコーヒーはひとまず置いておき、集合の準備を優先すべきだった。もっといえば、就寝前に荷物を可能な限り整頓しておくべきだった。時間の読みの甘さや準備不足をまたしても露呈することとなり、再び小幡助教から「時間内に荷物の準備や点呼、整列もすべて終えて集合するのが絶対だ。三分も遅れるなんてありえないぞ」とカミナリが落ちた。

 朝食を食べ終えて整列し、小隊長から「今をもって訓練を終了する」との指令が下る。さらに早朝から視察に来られた連隊長から労いの言葉をかけていただいた。最後に「ドーラン」(敵から身を隠すためのメイク)や枝葉を使った擬装の実演が行われ、その後トラックに乗り込み、ついに駐屯地に帰還した。

 事前に強度の高い訓練になると知らされており、実際に疲労度はかなりのものだったが、隊員の方々の手厚いサポートもあり、いくつかのやらかしはあったものの一人もリタイアすることなく無事に終えることができた(後々聞くところによると、川端先生は関節が悲鳴を上げてかなりギリギリの状態だったそうだ。その川端先生曰く「柴山先生は終盤でもボーっと立っていて、意外と丈夫だなと思った」とのこと。詳しくはYouTubeの「『クライテリオン』チャンネル」で川端先生が体験入隊について話されている動画をご覧いただきたい)。

体験入隊を終えての所感と「学生の声」

 一泊二日の短い体験入隊だったが、最後まで訓練を遂行できたことに小さくない達成感を覚えたと同時に、他では得難い貴重な学びを得ることができた。特に時間厳守をはじめとする規律の必要性、状況に応じて冷静かつ臨機応変に対応することの難しさ、周囲と協調・連携し確実に目的を遂行することの重要性などを実感した。また救護法や担架の作り方など、有事の際に役立つ実践的な知識を学ぶこともできた。

 参加した学生からも同様の声が多く寄せられているので、その一部をご紹介したい。

・行動の全てにおいて時間を守ると同時に、清掃や身だしなみなどの規律も要求されたことが印象的だった。不摂生や自堕落な生活を送りがちなので、この点を日頃の生活に取り入れて、自律を目指したいと考えている。

・訓練中、決められた時間を守れないことが多々あったが、時間を意識していてもそれを守ることがここまで難しいのかと実感した。

・訓練以外の場面でも訓練の荷造りや片付けの時間を通して時間厳守や、仲間との助け合い、お世話になった人への礼儀を忘れないことなど多くのことを学べました。

・緊急事態における対応力や判断力、応急処置力など、見習うべきものがたくさんあったように思う。また、緊急事態下での一刻を争う緊張感やストレスがある中で、冷静に判断・対応し続けることの難しさを実感した。

・リーダーが焦ると、結果的に意図せず隊員を焦らせてしまうし、逆に何も大した指示をしていなくても、とりあえず落ち着いているだけで隊員全体を安心させることが出来るということを学んだ。

・分隊長として状況の変化に遭遇すると、その瞬間にやるべき行為の選択肢が複数あらわれ、優先順位を決めつつ迅速に対応しなければならなかった。(中略)こういう場面で指揮官として堂々と構え命令を下すには、相当の鍛錬および自分と仲間に対する信頼が必要となるだろう。

「弱さ」に抗い、「強さ」を求める

 体験入隊に参加するにあたり、自分自身に課したテーマが一つあった。「自分の弱さに抗い、強さを求める」ことである。人は往々にして、自分にないものを欲しがる。私にとって、それは「強さ」だった。幼少の頃から、内気で引っ込み思案で周りに流されやすい自分の弱さに嫌気が差していた。リーダーシップや行動力、言うべきことを臆せず言う勇気とは無縁だった。この根本的な弱さは、恥ずかしながら今に至るまで克服できていない。だからこそ「強さ」を掴むきっかけにできればと思い、体験入隊への参加を決めたのである。もちろん、たった一泊二日で何かが変わるわけがない。だが、自衛隊という組織の「強さ」(それは徹底した規律や隊員の士気の高さに表れている)に触れたことで、このテーマ設定は間違っていなかったと確信できた。

 しかし、残念なことにこうした「弱さへの抗い」は時代遅れになりつつある。現代において、「弱者性」は競争社会を生き抜くための(あるいは裏口からパスするための)一つのカードになっているからだ。発達障害やHSP(いわゆる繊細で傷つきやすい人)といった気質に基づくラベリング、性的・民族的マイノリティといった少数性に基づく生きづらさの開示などが代表例である。彼らは「弱さ」を恥ずかし気もなくアピールし、「個性」として認めさせようとし、人々の注目や同情を集め、あわよくば公的な支援さえ得ようとする。もちろん、社会政策としての弱者への支援や配慮は不可欠である。だが、個人の生き方として「強さ」を求めることを放棄し、弱者であることに開き直るのはいかがなものか。少なくとも私は、そういう人間を軽蔑する。

 おそらく、自衛隊という組織は「弱いままであること」を許容しない。戦場では弱いものは足手まといになり、場合によっては仲間を裏切ることすらあり得るからだ。自衛隊にはぜひ、「弱いままでいい」「男らしくなくてもいい」といった昨今の風潮に抗い、精強で規律の高い組織を維持していただきたい。

自衛隊員の練度の高さ、誠実さ、優しさ

 体験入隊を通じて何よりも驚いたのは、訓練の企画立案から準備、当日の指導まで担当してくださった自衛隊員の方々の練度の高さや誠実さ、そして優しさである。今回のような行軍と災害派遣を組み合わせた訓練は初めての試みだったとのことだが、そうとは全く感じさせないほど完璧な準備をしていただき、当日の進行もスムーズで抜かりなく、その組織力や規律の高さに心を打たれた。

 訓練全般を通して、非常に懇切丁寧に指導していただいたことも強く印象に残っている。訓練出発前、弾帯や背嚢、半長靴など慣れない装備に悪戦苦闘している我々を見かねて(?)細かい部分まで手伝ってくださったり、行軍中に発生する状況に対処するたびに的確にフィードバックしていただいたり、さらには野営の翌朝に我々よりも早く起きてコーヒーを用意してくださったりと、こちらが恐縮してしまうほど細かな気遣いにあふれていた。単なる付け焼刃的な「お客様待遇」では、ここまでのことは決してできない。日ごろから仲間のために何ができるのかを考えながら行動しているからこそなせるわざなのだろう。その意味で、「強さ」と「優しさ」は矛盾しない。自分のことを後回しにしてでも仲間のために動けることは、紛れもなく「強さ」である。

 こうした誠実さや優しさを目の当たりにして感じたことがある。この言い方が適切かどうかわからないが、自衛隊員の方々は「擦れていない」のである(これは学生の一人も言っていたことである)。少なくとも、今回接する機会の多かった現場で汗を流す隊員は間違いなくそうだ。たいていの人間は、金銭欲や権力欲に取り憑かれるほど「擦れていく」。もっとわかりやすくいえば、「目が死んでいく」。しかし、彼らにはそうしたところが一切ない。今回の体験入隊にしても、通常の任務を犠牲にして多大な労力をかけて準備し、当日もハードなスケジュールであったにもかかわらず、文句を言うどころかその状況を楽しんでおり、被災者や不審者など各自に割り当てられた役柄を本気で演じ、非常に生き生きとした印象を受けた。こうした印象を一般社会に生きる人々から受けることがどれほどあるだろうか。国を守るという崇高な任務を果たすためには、この「擦れていない」純粋さ、健全さが不可欠なのだろうと思わされた。

 我が身を振り返ると、こうした健全さはどこかに置いてきてしまったようである。はっきりいって、文章を書いたり編集したりして生活している人間はどこか不健全で不健康だ。一日中パソコンの前で文字と格闘し、仕事の関係者と会う機会があればついでに酒場に繰り出し、小難しい議論をしたりウマが合わない言論人の悪口を言ったりしているうちに夜が更けていく。昼夜逆転や睡眠不足、二日酔いは日常茶飯事。おまけに、気を抜けばすぐに記事がどれだけ読まれるか、本が何部売れるか、あるいはYouTubeの再生数がどれだけ回るかといった「数字」ばかり気にするようになる。数年前、そんな業界に片足を踏み入れ、今では腰のあたりまで浸かっている私にとって、野営翌日の朝日に照らされた演習場と隊員たちの顔はまぶしかった。

 この業界から抜け出るつもりはないし、今さら自衛官になることもできない。私にできるのはせいぜい、この体験記を通じて自衛隊の素晴らしさを称え、彼らを後方支援することぐらいである。

 とにもかくにも、今回の体験入隊は大変貴重な経験となった。こちらの参加人数よりも多い約二十人もの人員を割いて、本格的かつ実践的な訓練を実施していただいた福知山駐屯地・第七普通科連隊の皆さまに、この場を借りてあらためて感謝申し上げたい。