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「表現者クライテリオン」関西シンポジウムin神戸を観覧して

齋藤崇宏(47歳、奈良県、会社員)

 

 去る2021年11月20日、湊川神社で行われました、「表現者クライテリオン」関西シンポジウムin神戸を、楽しく観覧させていただきました。
 そこで藤井編集長が、「子供文庫の太平記を見て、ポッと血が通ったような感じがした」
というお話をされていて、その言葉を聞いて思い出していました。

 それは、新潮CD小林秀雄講演第1巻の、山桜の美しさというお話です。
 本居宣長の「敷島の 大和心を人問はば 朝日に匂う山桜花」という歌を、小林秀雄さんが、匂う、の、もともとの意味は、色が染まるってことですよ。照り輝くって言う風な意味にもなる。今の匂い・香りって意味にもなる。だから触覚も言うし、視覚も言うし、艶っぽい元気のある盛んな有様も言う、非常にいろいろに使われている字ですね。
 だから朝日に匂うというのは、山桜の花が朝に咲いたときには、匂うって感じになるんです。日本語をよく知っていればそういう感じになるんです。
 それを知るためには匂うって感じをよく知らなくてはイカンし、山桜って言う味わいも知らなくてはイカンですね。というお話と、

 久野潤チャンネルの映画で学ぶ日露戦争その4で、中西輝政先生が、明治天皇と日露大戦争の映画を見て、これで「覚醒した」という話を、久野先生がされていました。これを観てすぐに、僕も明治天皇と日露大戦争を観ました。そして、僕もこの時に「覚醒した」「色づいた」いう感じがしたことがありましたので、この二つのお話を思い出していました。

 話を戻します。藤井先生の血が通ったようなという話から僕は、その意味は、心がぽっと温かくなった(血が通った・色が染まった・心が色づいた・艶っぽく元気になる有様)、ということを、言葉にしたんだと解釈していました。

 もう一つ、浜崎洋介先生の小林秀雄の「人生」論を読みました。その148ページに、多くの歴史家が、一種の動物に止まるのは、頭を記憶で一杯にしているので、心を虚しくして思い出す事が出来ないからではあるまいか。上手に思い出すことは非常に難しい(小林秀雄の無常という事)。という言葉の引用の最後に、浜崎先生は、真の「自由」を守るためにこそ私たちは、過去を「上手に思い出す」必要があるのです。と書かれていました。
 2022年は年男(48歳)です。上手に思い出せる日本人になりたいと思います。
 ありがとうございました。