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ポリコレ箸の作り方

吉田真澄(東京都、会社員、64歳)

 

『はじめに、直径3センチメートル、全長25センチほどの木端を用意します。そして会場には、7人ほどの改革主義者を招きます。次に、この一見、何の役にも立ちそうもない木端に改革という手を加えるために、一人ずつ思いのままにナイフを振るってもらいます。まずは共さんが、木端の最下部を、えいやっ!とばかり深掘りします。続いて立くんが、負けじ!とばかり、その上部に刃を入れ、歩調を合わせます。力強い、二振りによって木端内部の年輪が覗き、あたりに、ふわりと、まだ生きている木の香りが染み出します。固唾を飲んでその様子を見つめていた社さんは、私も忘れないで!とばかり切っ先を振り下ろし、小さな穴を穿ってみせます。ライバルたちの流れを読み、方向性を模索していた国さんは、少し右上に慎重な面持ちで刃を入れます。いまかいまかと出番を待ちわびていた公さんは、木端の最上部にグサリとナイフを入れ、目を閉じ、力を込めて中間部まで削ぎ落とします。年輪内部の鮮やかな褐色が顔を覗かせます。この時点ですでに、箸用としては十分に細身になってきた木端ですが、ナイフワークには一家言ある維さんは、公さんから奪うようにナイフを取り、空中で一回転させるパフォーマンスを披露したかと思うと、不敵な笑みを浮かべながら、中間部から上端部へと大胆に切り裂きます。手慣れたナイフ捌きに、おぉーっと沸いた会場に焦りを感じた自くんは、もう、限界近くまで細くなった先端部を照明にかざし、少し目を細めたセクシーな表情で最後の一閃を加え、アメリカ仕込みのガッツポーズで決めています。こうして試作した箸を国民に行き渡るよう量産し、全国配布してみたところ、鮭の切り身をつついてポキリ、雑煮の餅を持ち上げようとしてポキリ、納豆かき混ぜるだけでポキリ…。やがて国民たちは、その、すらりとスリムな箸の見かけの良さとは裏腹な、脆弱さに気づき、悲鳴をあげはじめます。』

 いま日本では「身を切る改革」という名のもと、このポリコレ箸作りのような、改革チキンレースが繰り広げられているのではないだろうか。その結果、有償であるべきものが無償になり、無償でなければ滞りが生じるものが有償となり、投票権のないものに投票権が与えられようとし、限定接種すべきものが一斉接種され、陸上に配備されるべきものが海上へと差し戻され、すでに削減の必要がないものに新たな削減目標が設定され、敷設や補修が必要なものが放置され、選択と集中といった方法論に馴染まないものが選別され、本来違いがあって然るべきものまでが同質化されようとしているのである。

 もちろん、非合理な規制や、外部環境の変化にそぐわなくなった規制は、積極かつ主体的に改革していく必要がある。しかしそれには、一度立ち止まって、樹の芯(伝統文化)や年輪(歴史)という本質を見極めたうえで、現在に最も適合する改革案のカタチとナカミを考案(その洞察力と創造力こそが指導層たる者の資質であり、仕事なのだよ、太郎くん)していくプロセスが不可欠である。世人受け(民意や国際世論の把握は大切だけど、同化しちゃったらプロじゃないでしょ、次郎くん)を狙った政策ばかりでは、最後は、みんなで破局の道を突き進むことになる。
 そして、国民だって「身を切る改革」を謳って当選した議員がたくさんいるはずなのに、文書通信交通滞在費のぼったくり的支給ルールが、公党暗黙の了解のもと30年間近くも維持され、最近になって、しれっと問題化された事実を振り返ってみれば、「身」が示すのは「候補者自身」ではなく、我々の最終生活防衛ラインである「国家や自治体や共同体」であったことくらい気づくべきである。POLITICAL CORRECTNESS(政治的きれいごと)な言語空間から生まれるものの偽善性や空疎さにこそ、注意を払うべきなのである。

 一方、国論を二分するほど重要な改革テーマ(例えば憲法改正、拉致被害者問題、国防、マクロ経済・財政政策、インフラ整備、エネルギー、教育、選挙制度、そして今まさに始まろうとしている言論統制など)は、リスク・テイクを極度に恐れる、与野党問わない「大人の議員」たちの合流を得て、何十年間も、ほぼ置き去りにされたままである。そろそろ、アマチュア精神溢れる指導者たちにご退場いただかなければ、私たちは、コンビニやスーパーで、レジ袋の有無をめぐって右往左往するばかりでなく、いつしか国際社会のただ中で立ち往生することになるのだろう。