思想はどこに宿るのか──壊すことで見えたもの、残したもの

市井のキムラ(東京支部)

 

 実家の建て替えが完了した。

 旧家は、父が生まれた昭和三十年ごろに大工だった祖父が建てたものだった。東日本大震災の際、津波によって壊滅状態となった地域にあったが、周囲より少し高台に位置していたため被害は免れた。さらに昔の基礎(束石に家が載っている構造)だったからこそ、揺れをうまく逃がせたのかもしれない。倒壊もしなかった。当時は薪焚き兼用の風呂釜だったため電気が止まっても風呂を沸かすことができ、近所の人たちがお風呂を借りに来たこともあったという。

 しかし築六十年以上ともなれば、経年劣化というには軽すぎる劣化が顕在化してくる。このまま古い家でいくか、建て替えをするか──。

 私が建て替え案を推しきれなかった理由のひとつに、旧家に蓄積された“暗さ”や“怖さ”のようなものを、すべて失ってしまうことへの抵抗感があった。

 子どもの頃、家の中には怖い場所がたくさんあった。仏間には私が生まれる前に亡くなった祖母の白黒写真が飾られており、小学生くらいまでは、夜にその写真が動くのではないかと思っていた。会ったこともないけれども、身近らしき人に見られている感覚──。他にも、長年動かされていなさそうな物だけが詰め込まれた納戸、うす暗い汲み取り式トイレ、屋根裏などなど。

 あの家には、時間の積もった空気が確かにあった。そんな空間の記憶を、すっかり無くしてしまってもいいのかという迷いがあった。

 何とは言えないが、そうした住空間から醸成される感受性というものが、確かにあったように思う。何かが潜んでいそうな空間は、私の想像力を刺激していた。「死生観」──「生」と「死」や「過去」とのつながり──を幼心に焼き付けるには十分なギミックだった。現代の明るく清潔な住まいは、確かに快適だ。だが、そこからはもう“怖かった暗部”は消えているのではないか。もし今の家に子どもが住んだとしたら、彼らは何を怖がるのだろうか。そして、何に想像をかき立てられるのだろうか。

 一方で、差し迫る現実問題もあった。建築資材価格の高騰もあったが、それ以上に私が懸念したのは、深刻な職人不足だった。将来、大金を積んでも品質の悪い家しか建てられないのではないか─そう思った私は、建て替えを決意した。

 新しい家は床面積が縮小され、余計な空間はない。体力が衰えた人間にとって、旧家のような広い空間は負担にしかならない。

 それでも私は、最後の“無駄な抵抗”をした。

 旧家の梁を天井に飾りとして再利用し、仏間の天井の造作や大きな神棚もそのまま移した。工務店が協力してくれる限りの旧家の意匠を残そうとした。もう少し予算があれば、重厚な建具や縁側、広い窓など、やりたかったことは他にもあったが、これが今の限界である。他に足りない致命的なものは──時間の蓄積か。

 私などが懸念せずとも、新しい人たちは新しい時代なりに生活の中に暗部を感じて勝手に思想的に成熟していくものとも思う。別に私と同じものを体験しなくてもよい。ただ畏れは、とてつもなく長い年月からどうしようもなく押し付けられてくるもののように思う。私たちの足元に通底している連続性(家系、地域、共同体的なもの)に連関している。そうした連続性を無自覚に断ち切り、取り返しのつかない喪失に陥ることだけは起こってほしくないものだ。