緊急事態宣言が解除され、新型コロナウイルスの感染拡大防止にあたっては、中長期的な議論および政策が要される時期に差し掛かってきたように思われます。けれども、現在の日本で交わされている議論の内容には、大きな違和感があります。
新型コロナウイルスは、海外をめぐる人や物の自由な移動によって、急速に世界及び国内に広がりました。だから、率直に考えればグローバリゼーションを後退させる議論が興ってもおかしくありません。じっさい、水際対策は一定の効果をあげたといわれています。あるいは、人口密度の高い東京における被害をどうにかしたいのであれば、東京一極集中を是正するという方針を持ち出すのだってわるくないはずでしょう。
すなわち、感染拡大防止のための政策にあたっては、パンデミック以前より交わされてきた議論の中から、いくらでも処方箋を引き出すことができるはずなのです。
しかしながら、今の日本で盛んに喧伝されているのは、自粛、ソーシャル・ディスタンス、それからテレワークといった、今まで使われてこなかった言葉を用いたまったく新しい議論です。日本のエリートたちは、コロナ前の議論をいっさい放棄して、コロナ後の世界に臨もうとしているように思われます。
たしかに、新しい世界には新しい考え方が必要です。しかし、それは今までの社会のアジェンダを白紙に戻すということではなく、今まで絶対的と見なされてきた社会のドグマを改めるということです。つまり、パンデミック以前までの議論を顧みてこれまでの方針に修正を迫ることが、中長期的なコロナ対策の第一歩であるはずです。しかし、まったくの白紙から議論をはじめてしまっては、どのような方策が望ましいかなど誰にも判断できなくなり、事態は暗中模索を極めてしまいます。
このように、過去を無視して完全に新しい秩序づくりに奔走しようとするのは、合理主義の性向であるように思われます。今回の新しい秩序づくりに励んでいるのは、マスコミや官僚といった日本のエリートたちでしょうが、彼らは社会を刷新するにあたって、まずは自分たちの論壇から刷新しはじめたということでしょう。コロナとともに生まれた新語についての知識のない人間は、おのずと彼らの議論の場から除外されてしまいます。
既往の議論を白紙に戻してしまうことの危うさはさることながら、より強調したい点は、それによって日本のエリートたちにグローバル化路線を反省してもらう機会が失われてしまう点です。
先ほど述べた通り、パンデミックの遠因はグローバリズムにあります。本来であれば、それを推進したエリートたちはこれを機に自分たちの誤りを顧みるべきです。しかし彼らは、本来の反省点を棚に上げて、いかにして自粛を呼びかけるか、いかにしてテレワークを普及させるか、といった海の物とも山の物ともわからないキャンペーンを臆面もなく社会の最重要課題であるかのように打ち出しています。
つよく非難すべきことですが、これも一種の合理主義の性向として見ることができます。
合理主義者は、自分を取り巻くあらゆる環境、状況、権威にたいして自由な立場から物を言うことができると信じています。言い換えると、社会で何が起ころうと、彼らにとっては他人事なのです。そのような人間が、自分の支持した政策によって、格差が拡大しようが、パンデミックが起きようが、どうして責任をとろうと考えるでしょうか。マイケル・オークショットがいったように、「過去は彼にとって邪魔物としての意味しかもたない」のです。
今回のキャンペーンも同様です。いずれ、パンデミックとはまた別の危機が訪れたとしても、彼らは何の反省もすることなくまた別のキャンペーンを張って煙に巻くことでしょう。そして、まともな議論をする人間は政治の場からいなくなる、これが「政治における合理主義」の恐ろしい帰結だと思われるのです。
林文寿(岐阜支部)
2024.10.15
御子柴晃生(農家・信州支部)
2024.10.15
吉田真澄(東京支部)
2024.10.15
羽田航(53歳・派遣・埼玉県)
2024.10.15
川北貴明(34才・芸術家・大阪府)
2024.10.15
九鬼うてな(17歳・生徒・京都府)
2024.10.15
近藤久一(62歳・自営業・大阪府)
2024.10.15
前田一樹(信州支部、39歳、公務員)
2024.07.25
奥野健三(大阪府)
2024.07.25
たか(千葉県、41歳、イラストレーター)
2024.07.25