お天とうさまとご先祖さま

近藤久一(62歳・自営業・大阪府)

 

「お天とうさまとご先祖さま」 (作詞・作曲 近藤 久一)

「お天とうさまは見ている ご先祖さまと一緒に」
見上げた天(そら)に 母はつぶやく 笑顔を溢れさせて
いにしえから 繋がっている 仁(あい)がそこに見える様に
「私たちを宝物だと いつでも見守っている」と

「お天とうさまは見ている ご先祖さまと一緒に」
見上げた天(そら)は 母と諭した 悪いことは見透かされると
悪しき者の壊れた魂(こころ)は 積み上げなさい 利他の心を
誰もが抱く 仁(あい)に溢れる 家族(&先祖)を見つめ直して 

和をもって尊しと 永遠に伝えたいと 闘う人々がいる

「お天とうさまは見ている ご先祖さまと一緒に」
見上げた天(そら)に 願いよりも『まごころ』を大切にしたいと
どんな時も仁(あい)し仁(あい)され 想いやりが導く『ありがとう』
この地球(ほし)の可畏(かしこ)きものに 育まれる私達だから

 若くして天国に逝ってしまった母から、「お天とうさまとご先祖さま」を教わりました。私の心根にはかけがえのない、母からの教えがあり、そこには天とご先祖に対する敬意があります。 
母からの教えは私の内に有る、時に見せる煩悩を打ち消し、ある時は心の安静に繋がっています。私の心模様は天に包まれているのかも知れません。
 誰もの命が、1000年前に遡ってみると少なくとも20万人のご先祖の命と繋がっています。縄文、弥生時代まで遡ると繋がっている命は計り知れない数になります。
 そんな想いから、令和に生きる若人にどのように「天」と「ご先祖」の尊さを伝えれば良いかを模索し、天=神を語る事に躊躇わずに作詞作曲に挑みました。

 令和の現在、日本人の倫理道徳観は、震災時の被災者のマナーの良さ、アスリート達のフェアプレー精神、無人販売が成立している事などが世界で称賛されています。私はその淵源を新渡戸稲造の「武士道」における最高の徳目とされる「仁」が、現在も日本人の心根に鎮座しているからだと考えます。「仁」とは、「人間としての想いやり、他者への憐れみの心。弱き者や負けた者を見捨てない心」と新渡戸は説いています。

『仁』を育まれなければ、家族は壊れ、社会の分断に繋がり、国家は成り立たなくなるのではないでしょうか。昨今の大きな社会問題、例えば虐待、いじめやそれを隠そうとする風潮、今だけ金だけ自分だけは、まさに『仁』が失われつつある事の表れの様な気がします。

 内村鑑三は「代表的日本人」で西郷隆盛で「敬天愛人」を説き更にこう説いています。
 江戸期のエリート達は常に「天」を意識し、「天」に恥じる事のない実践をしていたのです。

『「天」には真心をこめて接しなければならず、さもなければ、その道について知ることはできません。西郷は人間の知恵を嫌い、すべての知恵は、人の心と志の誠によって得られるとみました』

 我が日本民族は八百万の神を戴く民族です。古から地震、津波などが多い災害大国であり、自然災害で多くの命が奪われても日本人は自然を憎んではいません。それどころか、自然に対する畏敬の念を抱き続けてきた民族です。人間にはどうしようもない自然の猛威、つまり自然に対して畏怖の念を抱きながら、同時に自然への畏敬の念も兼ね備えています。
 本居宣長は、自然の内に居る神(迦微)を「可畏きもの」と説きました。「可畏きもの」に育まれながら、ご先祖は「天」を常に意識することの重要性も紡いできたのです。

 私の母方の祖父は戦死しています。祖父は3回も戦争に従軍し、終戦間際にフィリピンで散華しています。
 戦後教育に疑問を抱いた私は、祖国の歴史・伝統・文化を尊重し学び直しています。
 祖父の心根には、民族、祖国に込められた魂、武士道精神があったのだと確信し、「お天とうさま、ご先祖さま」に恥じない生き方を選び、何よりも祖国日本、日本民族を守り、「敬天仁人」を実践し、家族を守りたかったのだと信じています。

 母は日本伝統の弦楽器、琴の雅な音が好きでした。
 琴の琴線から放たれる得も言われぬ音色は、先人が紡いできた「もののあはれ」を旋律に乗せ、奥ゆかしく「仁」を奏でているように母には聴こえていたのです。令和の御代に生きる私たち日本民族の魂の琴線も、決して切れることなく世界中の人々のために溢れんばかりの「仁」を奏で続けるのです。