嘉門達夫氏「ハンバーガーショップ」にみる、ファスト風土化への抗い

林文寿(43歳・NPO職員・岐阜同好会)

 

 嘉門達雄氏の楽曲の中に、「ハンバーガーショップ」という曲がある。

 1980年代後半の曲であるため、FCファーストフードの店舗は日本全体で見れば現在に比べて少なかったと想像できる。だからこそマニュアル化されたスマイル0円店員に対する風刺として、この曲は受けたのではないかと思う。果たして2020年代の現在でもその風刺が通用するのだろうか。全く意味が判らないと冷笑されるのだろうか。どうなのだろうか。

 

徹底した社員教育 行き届き

マニュアルにのっとり

同じセリフしか言えない

アルバイト学生に

今日も闘いをいどみにやってきた

 

 これ以降に続く、アルバイト学生店員の接客については我々が日常接する光景であり、そこに大きな違和感は無いのだが、このアルバイト学生に対して戦いを挑む客の滑稽さに対して苦笑いを誘うのである。確かに対応にあたるアルバイト学生にしてみれば、ウザイ客の1人で片付けられてしまうのであるが、自分が斜に構えて笑っていられるのかと考えさせられるのである。グローバル規模で合理的に設計された生産システムと、人件費を抑えるために最低限の時間で対応する接客マニュアル。その上で店員はコマとして動き、顧客もその1要素として見做される。この歌の様に合理的システムに戦いを挑んだ客は、1つのエラーとしてカウントされてフィードバックされ、マニュアルはアップデートされていくのだろう。そこには口角泡を飛ばして挑んだ戦いの熱は消えているのだ。

 

大企業のマニュアルにゃ 結局勝てず

飲みモノなしで チーズバーガーほおばって

怒りをぶつける場所もなく 腹いせに

トレイをゴミ箱に捨てたった

 

 こうして客は敗北したのであるが、客が怒ったのは何に対してだったのか。それは目の前の店員が自分を1人の人として接してくれなかった事。システムの1要素として扱われた事への悲嘆なのである。

 そして客は

 

もしもオレが ハンバーガーショップに勤めたら

こんな応対してやるぞ…

 

 と想像してみる訳である。

 実際に自分がお客としてこの店に行きたいかと言われたら考えてしまうが。しかし、ここには接客に対する熱を感じるのである。(M社の接客がこんなにウザかったらという皮肉が我々の笑いを誘うのである。)

 

よっしゃっ、明日も来いよ絶対来いよ

来なんだらこっちから 訪ねて行くからなっ

顔は覚えてるぞーっ!

 

 という最後の対応について、ファスト風土化への抗いをみるのだ。“お客の顔を覚えている“とは、“自分の顔も覚えておけよ“という事と対なのである。ファスト風土とは、金太郎飴化した社会であり、顔の要らない街である。顔が要らないという事は、他人との関係性を必要としない所謂コスパの良い社会なのであろう。

 クライテリオン令和5年7月号の特集座談会「コスパ主義は家畜化への道である」の中の浜崎氏の発言に「ファスト風土の反対は街であり、街は都会に残されたギリギリの自然。そこには人間という自然のノイズが許容されており、有機性が育まれている。」とある。店員と客とがお互いの顔を覚えている事が、有機性を育む土壌であり街の自然を作り出す事なのだろう。右の座談会でさらに意見が交わされ、「若者のために大人がやることはウザイ奴になるということ」とあった。そうなのだ、ハンバーガーショップで戦ったあの客はウザイ奴であった訳で、大人としてやるべき事をしていたとも言えるのである。

 全方位ファスト風土化されたスマートで綺麗な街か、口角泡を飛ばすおやじが居る様な店が沢山ある小汚い街に住みたいか、あなたはどちらだろうか。

 偶然とある街に降り立ちコーヒーを飲みたくなった時、見るからにタバコのヤニで汚れていそうな雰囲気の喫茶店に入るか、FCスタバに入るかあなたはどちらだろうか。予想するに、圧倒的多数が後者を選ぶだろう。それを考えるに金額、提供される商品の味、その場で客としてどう振る舞えば良いのかを予め知っているからではないか。そんな店の方がイライラは少なく、コスパが良いに決まっていると信じて疑わないからだろう。

 客がそうやって店(サービス)を選ぶ事で、ファスト風土化が着実に進んできたのであろう。そこにはあの客が感じた怒りは生じ得ない。コスパにそんな面倒くさい要素は必要ないからである。対価を支払う側としての客、サービスを提供する側としての店員(店)。その非対称の関係上には、金銭のやり取り以上の何かは生まれないのであり、その役割を演じているお互いがそれ以上を求めてはいない。しかし、本来人間と人間が目の前に居合わせるという事は、例えそれが客と店員であったとしても、一期一会である。その想像力を失っていくというのは、街という有機性を育む土壌に自ら消毒を撒き散らしている事である。清潔に消毒された無菌の土壌から一体どんな芽が生えていくのだろうか。

 インターネット技術によって益々、顔を必要としなくなった市場社会において、マニュアル的サービスやコストパフォーマンスを選択せずに暮らしていく事は非常に困難であり、私もコスパ思考で行動する事はやはりある。

 しかし、「ハンバーガーショップ」の曲を聞くと、ファスト風土化する社会に対して

 

よっしゃっ、明日も来いよ絶対来いよ

来なんだらこっちから 訪ねて行くからなっ

顔は覚えてるぞーっ!

 

 という抗う気概だけは持ち続けたいとふと思うのである。