その一方で、こうのたまう中上芳夫看守に「兵隊さん」の渾名を贈ってやった。
その兵隊さんが、急に叱り声をはなってくる。
「この親不孝者めがっ! 自分の生きてきた道をかえりみよ」
そう言いはなつと同時に、強い力で木扉がとじられた。
昼すぎになると、またまた、扉ごしに声をかけてくる。
「一七六番、きさまは漢字を知っとるか」
「少しは読めます」
そうこたえると、食器孔から一枚の書が投げ込まれ、
「本官がおまえのねじまがった精神を、道義心から鍛えなおしてやる」
ひくいが聞きとりやすい声が、耳元を突いてくる。
「おねがいします」
「まず手はじめに、五徳を学ぶように。本官の至上命令である」
との軍令が下る。
読めば『教育勅語・一二の徳目』より選んだ五徳を守れ、と認められている。
二時間後には、扉がひらかれた。
顔をのぞかせた兵隊さんに、まなざしをあげる。
威儀を正して、教えをこう。
「教育勅語とはなんでしょうか」
「よくたずねた。学問とは人に問い、みずからに問うことである」
学びのいろはをたれてから、教育勅語とは、
「明治大帝が国民にむかって発布された、教学の規範書である」
との主旨を講じてくる。
「ご教示ありがとうございました」
「声をだして読みあげよ」
腹の底から声を絞りだし、読みあげる。
「その一、孝行。子は親に孝養を尽くそう。その二、謙遜。自分の言動を慎もう。その三、博愛。勉学にはげみ職業を身につけよう。その四、遵法。法律や規則を守り社会の秩序にしたがおう。その五、知能啓発。知識を養い才能を伸ばそう」
五徳を読みおえ、正しき人の道をしっかり学んだ。
兵隊さんが、強面の頬をゆるめるかのようにして、
「本官は明治大帝のフアンではないぞ。軍に志願したのは愛する祖国を守らんがためであった。だがなあ、教育勅語は日本人の精神融合を醸し、青年の未来を育む聖典である」
と、言って、五徳の勧めをおえた。
つぎに、切り口をかえて本質にせまってくる。
「五徳を守りきれば、おまえは、まともな人間に更生可能だ」
ところが、わたしには、この意味あいが分からない。
というのも、あちこちで、耳が痛くなるほど『更生』という言葉を聴かされ続けてきた。
しかしながら、だれからも「更生とはこうなのだ」と、分かりやすく教わったことが一度もなかった。
それゆえ、更生の意味をぜひとも知りたいと、念じ続けてゆくことになる。
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