【寄稿】日本とは何か ―草木の美に恋していた日本人―

笹川セイジ

 

日本人論への新たな挑戦

 数えきれないほどの日本人論が発表されてきました。それだけ、日本とは何か、日本人とは何か、という課題が、近代日本には切実なことなのでしょう。自分のことが分からないということです。分からなくとも日本の社会の秩序は諸外国に較べれば異常に平穏です。しかしその平穏は突如暴発するかもしれない不安を宿しています。なぜなら戦前の狂気の大戦、敗北の体験があるからです。

 その点、江戸時代までの庶民には、そのような破滅を孕んだ不安の意識は見あたらない。北斎の富嶽三十六景や広重の東海道五十三次などの版画には、哀れはあっても、慟哭、憤怒はない。

 言える事は、明治維新の前と後とでは何か根本のところで、変わってしまったということです。その変質によって、北斎や広重が問題にもしなかった、日本とは何かという課題がせりあがってきたのでしょう。

 これから展開する論が今までの日本人論と違うところは、絶対神、キリスト教、儒教、仏教、あるいは丸山真男、加藤周一、山本七平、吉本隆明、ヘーゲル、マルクス、ハイデガーなどの言説と無関係に仮説を立てるところにあります。勿論、諸先輩碩学の懸命の日本分析の所説にすごく影響を受けています。ただ、その分析比較の成果から直接的には論は立てていないということです。

 その理由は、50年ほどのサラリーマン生活の体験から結論すると、その職場生活で、ただの一度も丸山真男も山本七平もキリストもマルクスも話題になったことはないし、必要とされたこともない。特に日本人の半分を占める女性の人たちとの協働では、そのような理屈は最も嫌われることでした。

 つまり、日本とは何かという課題は切実であることは十分理解しても、職場生活ではその課題はなきに等しく、しかも仕事の遂行には何の支障もなかったのです。従って、日本人の生活には思想は必要ではなく、思想とは無関係に強力に庶民を導く何かがあるということです。その何かはむしろ思想を排除する特性を持っている。そのように考えると、思想から迫ってゆく日本人論には限界があるのではないかと思うのです。

 従って、日本人を論ずるには、二つの課題が発見されます。一つは、日本人の世界観そのものをそれ自体として言語化するということ、もう一つは、現代日本の惨状と未来喪失の起点と思われる明治維新の本質を明らかにするということです。前者が成らなければ、後者の探求は出来ないのです。

 

草木の美に恋をする日本人

 その何かは長い間、日本の自然に関係しているのではないかと考えてきました。しかし、海外に旅行して、異国の自然も独特雄大な美を誇っており、日本の自然の美を特別なこととして考えることはできないと思うようになりました。

 ところで、桜を愛する日本人がたくさんいます。本居宣長は桜賛美の歌を驚くほど多く詠んでいます。西行も桜の名歌があります。自然という全体ではなく、個々の草木のいのちのあわれに感じ入っているのです。

 宣長も西行も桜の美に恋しているのです。しかし、桜は宣長も西行も意識することはありません。従って、宣長も西行も桜へ恋心は片思いです。

 なぜ草木に日本人は恋ごころを抱くのでしょうか。草木は清潔で美しい存在で、しかも春夏秋冬と生命の循環を毎年繰り返して、日本人の生存の源泉だからです。

 小さな名も無い花も巨木の桜も、等しく億年の歴史をもつ生命法則に促されて、いまここに生きる存在です。日本人は草木の存在に真善美の永遠の在り方を見出し、その美の姿に恋心が芽生え、一体になりたいという欲望を抱き、その草木に生存維持を委ねたのです。つまり無数の草木という眼前の現実が永遠なのです。しかも日本人にはその驚くべき不思議が議論を要しない、疑問の余地のない血肉化した常識になっているのです。

 人間は死を意識せざるを得ない唯一の動物です。本能に生きる他の動物は死もまた本能の一部です。自己の人生に限りあることを知る限界付けられた人間という存在は、その限界を永遠なるものに、結びつくことによって、永遠を得ようという衝動を持ってしまうのです。

 日本人が見出した永遠なるものは、草木の神秘的で人間の知を超えた不思議な生命法則です。どんな草木でも例外なく、独自の生命法則を有しており、芽が出て、茎が、枝が、葉が、花が、実りがというように次々に勢いを増しつつ順番違えず、生命の法則を毎年繰り返し実現してゆく。日本人はこの草木の神秘的必然の生命世界の永遠に恋をしたのです。

 日本人は、草木に一体になって、草木の具体的な生き方を模倣するよう努力します。草木が倫理、生き方の教師なのです。

草木は動物と違って、毎日汚物を出しません。清潔で、静かです。しかし、その性格は春夏秋冬の四季の移り行きによって変化します。春は朗らか新鮮であり、夏は自己主張して元気です。秋は実って、誇らしい、冬は厳寒に耐えて、土に戻ります。

 この変容に日本人もあやかって、場面場面に応じた、性格を発揮します。日本人の性格である、平和、調和、議論しない、頑張り、誠実、清潔、忍耐力、汚れを嫌うなど、みな草木の性格に通じています。

 

日本人の行動原則

 日本人は草木の神秘不思議必然の生命法則に依存するので、安心して、いまここの状況にいきることができます。その意味での日本人の行動原則はいまここに生きることです。草木の存在は、お日様太陽と大地に依存しています。お日様によって、草木は自発自転の生命を展開できる、また大地に根を降ろすことによって安定し、大地からの水分栄養を得ることが出来る。草木の生存は依存によって始まるのです。

 従って、日本人の世界は、お日様、大地、草木と日本人の融合としての青人草(作物、作品)の3大要素によって構造化されます。

 生命法則は億年の生命の歴史が詰まっていて、神秘であり、必然の起承転結であり、日本人にとって安心と安全を恵んでくれる親のような存在となります。日本人はこの草木の生命法則に依存して、いまここに生きるのです。日本人も草木に倣って、依存が前提の生存維持です。

 日本人は、無数の草木に名前を付け、その独自の春夏秋冬を型として体得し、その草木から、生活に役立つ作物、作品を作り出し、衣食住に役立てきました。例えば、竹というものから、かご、唐傘、扇、筆、尺八、竹垣、竹の子、竹刀、などなど数多くの食べ物、日用雑貨などを作品作物として日本人の生活を豊かに便利にしてきたのです。

その一つ一つに先祖の創意工夫と製作の型が伝承され、子孫の生きる財産として累積しているのです。

 日本人はいわば竹の永遠必然の生命の内部の多様性に生きることに精進してきたのです。日本人はこの無数の草木の型を受容する無私の器になるよう修行します。

 

草木の生命存在の主体は何か

 草木の主体は何だろう。例えば、菊は地中の種から芽が出て、茎、葉、花と形成しつつ、次々に変容して、最後は枯れて、元の種に戻る。次々と主役は交替してゆくが、時々の主役が全体ではない。地上の茎、葉、花どれも全体を統御する主体ではない。地下の根も主体ではない。根が地上に指示命令を出しているのではない。だから、今、見える具体的な菊に真の主体を見出すことはできない。主体は菊の生命の展開を起動している目に見えない何かということになる。その主体は草木の種が備えている生命法則ということになる。菊の各部分はその生命法則の促しによって、自発自転的に生まれて変容してゆく。従って、草木の主体は目に見えない不可思議神秘の必然的な生命法則ということになる。

 その主体は具体的な生命現象としてあらわれ、日本人はその現象の凝視から、その主体に直感を働かせます。その実感は決して言語によっては、十分に定義できません。言葉の断片を集積してもその不可視の主体にはたどり着かないのです。従って、生命法則と言う不思議は言葉で定義してはならない不定の存在で、その不思議に参入しようとする人間も不定で、言葉で規定できない、むしろ規定されるのを拒否するのです。神は言葉であるという欧米の伝統とはあべこべなのです。

 美しい名もない小さな花を前に西欧人も日本人も美しいと感じるのは、一緒です。ただ、西欧人はその美に創造主の偉大さを見出すのに対して、日本人はその美の奥にある神秘的な生命力の永遠を感じるのです。

 日本文に主語がないという説もこの草木モデルからは、当然であって、日本文に主語、主体を特定することは困難です。

 日本人が草木をモデルにするということは、人間生活に役立ってくれる草木に名前を付けることによってその草木が人間にとって特別な存在になることを意味する。名の付いた草木が増えてゆくことが人間生活の充実です。

 

日本と天皇の意味

 従って、菊という名がその草の全体を象徴するものとなる。具体的な菊の各部分を詳細にその役割を追及していっても、部分が累積してゆくだけで、全体は姿をみせない。それが草木なのです。名前だけが全体の象徴で、具体性はなく、記号であり、しかし記号であってもその名前は神秘的な生命法則の別名です。名は記号であっても生きているのです。日本人は、この名に助力奉仕する存在です。名前は植物的永遠の個別名であり、日本人の永遠を担保するものだからです。名に対する侮辱、嘲笑への復讐とは、名という至高絶対の生命存在への侮辱、嘲笑なので、決して許されるものではない。聖なるものへの侮辱なので、復讐して、聖なる物の再生復活を果さなければ成らない。

 日本とは幼い苗木が万年の年輪を刻む巨木になった樹木の名です。天皇はその神聖な日本という名の樹木の生成に助力奉仕してきた万年の日本人の人びと全員の全体象徴の名なのです。万世一系とはその意味です。

 従って、日本という名、天皇という名、も聖なる草木生命の生ける全体の象徴なので、嘲笑されてはならないものです。

 日本人であれば、日本が侮辱されたり、天皇を汚されたと感じたら、怒りの感情が湧いて来る。それは当然で、どちらも全体の象徴で、日本人の植物的永遠を象徴する名であり、日本人を生かし、包んでいるものだからです。

 天皇の苗字は日本です。日本・天皇です。意味は草木・日本人です。その人草をお日様と大地が愛情を注いでいるのです。

 日本人の名前も自然草木の苗字と草木に恋する個々人の名前の結合、均衡です。丸山真男、山本七平、森有正、加藤周一、苗字には、山、森、藤、みな主体としての自然草木に関連し、真、七、正、周、などの名前は人間の心情に関連する。日本人の名の構造が日本の本質であり、草木に恋する日本人なのです。

 草木の永遠性に依存するという日本人の在り方、つまり草木モデルという仮説によってこそ、日本も天皇もその本質を定義できるのです。

 日本人は全て、部分存在であり、名づけられた草木の内部で奉仕する細胞的存在です。その部分細胞の役割を果しあうことによって、日本という草木の不可視の全体生命が実現循環してゆくのです。

 

日本人の役割分担

 草木は地上の具体的な生成という動と大地に根を張って動かないという静を同時に営み、さらに等しい均衡を保つことによって、その生命活動を維持しています。この地上の役割と地下の役割分担と均衡が春夏秋冬に通時的に共通してます。地上では芽が出て、茎が形成され、葉ができ、蕾が出来るというように順番に絵巻物のように生命が展開してゆきますが、地下では、根は静かに栄養と水分を地上に送り届けて、地上を助けているのです。

 日本人は、この草木の活動の在り方を模倣します。この地上の動の役割と大地の根の静の役割分担と均衡が、夫と妻、棟梁と御かみさん、店と奥、会社における製造と総務、省庁における、建設省、通産省などと大蔵省、厚生省、国家における、幕府と朝廷などとなって、現象します。男らしさとは地上の具体的生命活動から、女らしさとは大地に隠れて地上を助ける活動からうまれます。

 いまここに生きるという事は、異なる個人が、仕事の遂行の状況では、地上の仕事の役割を担う人間とその地上での活動の環境を整備し助力する役割を担う地下の人間が調和して、二人が一人の人間のように息を合わせて働くことです。つまり、我を主張する個人主義では、いまここに生きることはできない。

 

日本の無意識

 ところで、地上の草木の春夏秋冬の活動が開始される前に、大地の内部で草木の種が芽を出して、地上へ出てゆく準備段階、赤子、幼児の時期があります。この地中の天国体験が地上の春夏秋冬の土台となります。

 それが、柳田国男が言う、「7歳までは神の内」という言葉です。高度成長期以前の日本人の親は、赤子幼児を大切に扱い、魅せられて、存分に自由気ままに、甘えさせ、その幼児期の幸福を充実させようとしました。戦国時代来日したザビエルも、他の宣教師も、ムチを使わないその育児をみて、驚いています。

 渡辺京二「逝きし世の面影」によれば、幕末明治初期に来日した欧米の政治家、宣教師、知識人は例外なく、日本の子どもたちは世界一幸せであり、一日中ニコニコしていると、何度も言及している。

 これは、大地の内部に芽吹いた草木が大地の温もりに保護されて、自由に活動している時期に相当するものと思われる。草木に一体になろうとする、日本人はこの草木の芽の生命状況を模倣して子育てしているのではないか。

 ベネディクトは、「菊と刀」で、この自由寛大な育児から、日本人はみな、過去に楽園を体験していて、その全能の自由な、恥も義理も知らない体験が日本人の人生の土台になっていると指摘している。

 この時期が、日本の歴史の、縄文一万年余に相当するのではないか。縄文時代は平和で同じ場所に千年以上定住しており、しかも虫歯も発見されており、豊かな生活を送っていたと想像されている。まさしく、日本人の赤子幼児時代と酷似している。

 日本人の無意識とは、個人の一生としては、赤子幼児期、日本の歴史としては万年余の縄文時代を指すのではないか。

 

草木モデルの日本歴史

 この草木に恋して、草木に一体となろうと精進してきた、日本人の歴史は、いわば、草木の生命意思、春夏秋冬の画期の繰り返しになるのではないか。そのような視点で日本の歴史を見直すとどうなるでしょうか。

 日本の歴史は、この春の茎、幹、枝、葉などの部分要素形成期、夏は春に形成された部分の伸張、膨張、衝突などの自己主張期、秋は夏の混乱の只中から、統合が要求され、実りの収穫期となる。最後に冬の崩壊期となり、独裁や暴発ありで、次の画期が準備される。

 その概略は縄文時代の安定した生活の達成を土台に、日本列島という既知の大地に稲作の適地を見出し、拡大してゆく歴史です。

 まず、弥生時代の縄文生活に隣接した里地や谷地、古墳時代の溜池によって傾斜地の平野への進出、条理制時代の、大規模土木事業による、平野部への適地拡大です。

 条理制の平野部進出は、奈良、平安の口分田と荘園という幹、枝という部分形成の春の時代、鎌倉、南北朝、戦国は、葉の下級武士や大衆の力が全面に出て、春に形成された利権や権威を調整して、部分が互いに自己主張して、充実、衝突、離散のカオスの夏の時代です。次にそのカオスを制序して、平和となり、花が咲き、実りを得る秋、江戸時代となります。

 ペリー来航の黒船ショックから急激に崩壊期の冬になり、幕末動乱をへて、明治維新を迎えることになります。

 この春夏秋冬の必然的ないまここの絵巻が日本歴史の全体、および、奈良、平安、鎌倉、などの各時代にも見出される。

 

二つの同調

 草木モデルから明治維新の意味を考察する前に、同調には二種類あることを確認しておく必要があります。

 自発的同調と他律的同調(同調圧力)、の二種類です。

 自発的同調とは、草木が主導します。草木の変動に応じて、自分の行動をその変化に合わせて一体化をめざす同調(恋心の発動)です。人間自身が自ら草木に合わせてゆくもので、例えば、栗の実の色が濃くなったので、その栗の変容に同調して、栗の実の採集を開始するようなものです。自発的同調は多様多数の草木の変化に応ずるもので、日常的であり、その様相は個性的で多様性に富む。しかもその同調は歴史的に型として累積し、日本人には過去を尊ぶ先祖信仰が生れます。

 他律的同調とは人間が主導します。自然災害疫病などでムラ全体が危機に陥るような事態に現われる同調です。昨夜来の暴風雨でムラを流れる川が氾濫し、多くの家が住めなくなり行方不明者がでているような状況です。村全体を守るために、ムラの指導者たちが協議してその救済方法を取り決めして、個人の都合を棚上げにするときに現われる。他律的同調は人為的であり、突発的で、予測が困難、非日常的で、あくまで特殊な状況です。

 他律的同調は画一的、集団的に力を集中させるものです。一時的に日常の生産作業を停止して、歌舞演劇をやめ、流木を除いたり、道路を封鎖したり、集団的力を集中しないと、危機を回避できないので人びとは全体の指揮にすすんで従います。その他律的同調は未来の危機への準備が意識の中心となるので、日常を忘却することが要請されます。

 二つの同調の性格は対照的、対立的です。しかし、他律的同調圧力はみな一時的、臨時的なもので、直ぐに正常の日常的な自発的同調に戻っています。

 

明治維新の本質

 幕末に日本人が感じた危機とは夷敵に日本が占領され、植民地にされかねないという緊急事態です。隣国の中国ではその無残な侵略が公然と行なわれていたのです。

 明治維新は自然災害と比較にならない国の危機に対応する改革と人民は判断しました。つまり、緊急事態であり、その対処に必要とする人為的で強制的同調を発令するのはむしろ必要と感じたのです。草木モデルの世界を守るために、その強制的同調が発令されるのは当然だとしたのです。

 ところが、明治維新の改革は、草木モデルを守るどころか、むしろ、草木モデルの世界を破壊するものでした。日本人は自己の存在根拠を自覚していなかったので、明治の改革が自己のアイデンティティを毀損するとは、誰も思っていませんでした。

 その改革の本質は非常事態の日常化、恒久化にあったからです。この危機を克服しようと考えぬいた諸改革は結果として、日本人を本来の自然と融合する草木モデルの日常に戻ることを不可能にしてしまいました。適応が異常逸脱したのです。明治維新の本質は臨戦体制の恒久化です。

 従って、明治以降は、生活に意味を見出すことも、物の哀れを感じることもなくなりました。草木の無限生命が生活から消えたからです。意識は未来の成功であり、その成功への準備の多忙であり、そこに価値としての個人の存在はありません。永遠を失った画一均一な自己喪失の群れです。

 本来であれば、緊急事態は一時的で、すぐ草木モデルの生活に復帰するのですが、明治維新は膨大な資金を必要とする軍隊と近代産業育成のため、先祖からの草木システムの総遺産をいわば搾取して、資金と人材を捻出したのです。その新世界は、臨戦態勢の準備を速めるため、合理化、効率化、数値化の近代化を推進し、草木モデルを遅れたものと啓蒙し、封建の残滓と蔑んだのです。その思考は令和の現在でも進行中です。

 改革者は、西欧の侵略の実態を熟知していました。その軍艦を造る生産力、強大な軍事力、それに対抗するのは、西欧の技術を導入し、四民を平等にして、国民皆兵にすることが必須と判断します。つまり、日本人を総武士化することです。武士身分を解消して、国民全員を武士にしなければ、この危機を乗り越えることはできないと。

 

空気としての絶対物語

 草木モデルの日本人の行動様式は、草木の神秘必然の生命法則に依存して、いまここに生きることです。草木はお日様(アマテラス)と大地(スサノオ)に依存しています。

 維新の改革によって、草木モデルが棄てられた臨戦体制下では、この本来の構造がどのように変容変質するでしょうか。

 草木モデルを棄てた臨戦体制下の日本人は、しかし、万年の間に血肉化した、いまここに生きることしかできません。現実が生のままで入って来る性格と階層性の敬語が通常である日本語そのものが、いまここに生きることを促しているのです。いまここに生きる原則の前提は必然的な起承転結の生命の絶対性です。

 そこで、草木の必然的生命法則の代替物が必要になります。いま・ここに同調して生きるためにはその絶対的起承転結の実りという果実がなければならないからです。その代替物が成功の絶対的ストーリーです。戦前には、日本は神国で、道義の国であり、故に絶対に負けることはないというストーリーが日本人に与えられました。

 明治以降、あらゆる分野で、反論疑問を許さない天下りの絶対的神話が鳴り響きます。神聖不可侵の天皇、日本不敗神話、皇国史観神話、共産の天国神話、学歴神話、絶対悪のコロナウイルスなどなど指導者も大衆もその絶対を欲しているのです。マスコミはその神話の拡声器です。

 近代日本人は、大地に根を張る日常が消えて、いわば、宙に浮いた状態、故郷を持たない存在になりました。生命法則に依存できなくなったため、今迄口にしなかった、絶対的物語が必要となります。神話です。絶対無謬の物語を提示されて、その確信を持つことによって、いまここに生きる力が湧いてくるからです。

 

臨戦体制下の日本人の行動様式

 草木モデルの世界の三大構成要素はお日様、大地、草木と日本人の融合、青人草でした。

 草木モデルが消失した世界の三大要素は、空気、場、場に所属する人間です。絶対的成功ストーリーが時代の空気として掲示されて君臨し、場は大地から離れ、根がむき出した草木の空間で、その成功ストーリー実現のために、所属する人間を活用するのです。その醜い場も大地を失って倒産する危険を回避するため臨戦体制に入ります。場に所属する人間は草木から切り離され、型を身に着ける必要がなく、ただ場に活用される、極端に言えば消費される、手段的存在にされてしまうのです。

 大地を失った日本人は、生存は孤立した場(組織)に依存する以外選択肢がない。組織の命令や意向が絶対化し、一片の辞令で、東京から北海道へ転勤させられ、拒否できない。会社の無法な指示にも逆らえない、弱い従順な存在になってしまいました。根を張れない、ふわふわキョロキョロして浮遊する感覚の人間が増えてゆく。中央の緊急の公に包まれて、日常の雑事の多忙の私に拘束された弱い人民。特に教育権を奪われた男性は生き甲斐を失い、勇気を欠いて臆病で、ただ忍耐する術を覚える。

 その準備と多忙の生活は漱石に言わせれば、皮相上滑りであり、鴎外に言わせれば、普請中です。上滑りとは大地に根を張ることが出来なくなってしまった草木モデルの消滅から発生しており、普請(準備)中とは次々に掲示される成功ストーリー実現の準備です。その上滑りと普請中が延々とエンドレスなのです。臨戦態勢の近代日本では、福田恒存が嘆くように、立ち止まることが出来ないし、許されません。

 従って、明治以後の令和までの歴史はたえず人為的に危機が醸成される歴史です。日本人は戦前は皇軍兵士であり、戦後は企業戦士です。子どもは高度成長以後、受験戦士です。政治であれ、経済であれ、社会であれ、いつも外に危機と課題が掲げられる。危機の非常事態の連続が政権の正統性の必要条件なのです。

 

日本初の壮大で秘められた成功物語

 明治近代の壮大な秘められた物語は、黒船ショックの数年後には既に出来ておりました。そのストーリー、青写真があったが故に近代化の驚異的な速さの導入実現が可能になったのです。

 橋本佐内、吉田松陰などが構想する、西洋に伍する軍備を整え、植民地を獲得し、その上で、欧米露など夷敵を追い払い、安心楽土の日本にするという物語です。

 その成功物語を草木の生命法則の代替として、絶対天皇のもとに宣言され、全国民みな戦士となって、この危機に対処するということです。この物語が明治以後の臨戦体制の国づくりの方針なのです。

 明治以後の日清日露の戦争、台湾、朝鮮の殖民地化、列強に伍する軍事力、満州国、大東亜戦争、共栄圏の実現と、みな維新時の物語の実現です。恐るべきことです。

 この硬直した日本人の攘夷の成功物語の拘束が、大戦の弱点となりましたが、この物語に殉ずるしか日本人の選択肢はなかった。それは、必然的な生命法則の永遠性を代替する物語だったからです。

 この維新から開始された絶対的物語は、いまここに生きる行動様式でしか実践できないので、やはり春夏秋冬の歴史過程および画期をたどることになります。維新から大東亜戦争の敗戦まで、一続きの春夏秋冬の絵巻物になってしまうということです。

 春は西南戦争で前時代の過去は忘却され、戦時に必須な部分の形成時代、インフラの形成、鉄道、通信、法整備、日清日露の勝利、をへて第一次大戦景気となって、バブルとなりました。

 夏は全国に波及した米騒動から始まり、春の部分形成過程で腐敗、不正、貧困格差が表面化し、その利権および政党、財閥への大衆からの抗議となります。軍縮など欧米との確執、安田善次郎暗殺事件、同時に大正デカダンスと、権威失墜と政治混乱のカオス的調整期となります。

 秋は春の部分形成と夏の体内外危機、調整カオスを土台に実現し、その象徴は1938年の近衛内閣の国家総動員法です。この戦時体制への一致団結、および国家社会主義的統合が維新からの物語の決意を促してゆくのです。

 崩壊期の冬は真珠湾攻撃の勝利からはじまります。真珠湾攻撃はアメリカや英国の謀略によって、誘導された事実が戦後明らかになっていますが、その当時、その策略を日本が察知したとしても、その攻撃は回避されず、その物語の神話性によって行き着いてしまう、必然な決断であったと思われる。全国民がこの攻撃の成功に感動したのも、その為です。本土が焼け野原となり、原爆が投下され、ポツダム宣言受諾で冬の終わりです。

 

戦後の成功物語

 維新の成功物語が破綻した、戦後は、その草木の日常に戻れない臨戦体制は継続しています。そのため、占領下という変化した状況での、新しい絶対的成功物語を創出しなければなりません。いまここに生きる行動様式がその絶対を欲するからです。

 草木の生存がお日様と大地への依存が前提のように、戦後の日本の生存も絶対的な存在への依存が必要です。明治政府は、先祖が残してくれた草木モデルに依存(収奪)しました。戦後になると、国民は戦前の軍部の横暴と憲兵や民間の国防婦人会などの監視に息がつまっていました。そこで、アメリカの強大な軍事力に依存して、安全保障の強兵をアメリカに託して、平和憲法のもと、世界経済で然るべき地位を占めるという成功物語を創出しました。

 戦前の天皇絶対のもと、絶対不滅の戦士、戦後の絶対平和のもと、経済戦士と、どちらにも絶対が呼び出されます。戦後の物語は、日米安保条約の保護に包まれて、絶対平和を唱えつつ、経済戦士となって経済大国へ邁進するのです。

 戦後の歴史も戦前と同じく、その経済の絶対的成功物語の方針の下、いまここに生きてゆくので、戦前と類似した春夏秋冬の推移、画期が展開します。

 西南戦争の役割が戦後では安保闘争が担います。

 高度成長が開始され、日露戦争の勝利が東京オリンピックの成功に相当し、日本製品が怒涛のように欧米、アジアの市場に進出し、欧米、東南アジアで摩擦が生じ、土地投機の狂奔のバブル景気で世界第二位の経済大国になったことが、戦前の軍縮が要請される五大列強国にのしあがったことに相当します。春の部分形成期です。

 バブル崩壊から平成不況、デフレとなり、政治的は、改革が叫ばれ、政党の離散、結合、新党乱立、民主党政権となり、安倍首相のアベノミクスまでが夏の調整改革混乱期です。戦前の大正の混乱、政党交替、昭和恐慌に相当します。戦前は関東大震災、戦後は東日本大震災がおこっています。

 秋の統合期には夏のカオスに飽いた状況で安倍首相の異次元の金融緩和で世相は一変します。一億総活躍を掲げる安倍首相は戦前の近衛首相に似ています。どちらも国民的人気がありました。

 令和5年現在は冬の崩壊期であり、国民の大半は生活に苦しみ、地方は大空襲がなくても、廃墟になりつつあり、夜ともなれば、自然に灯火管制が敷かれ完璧な闇になっています。つまり、戦前の戦争期の窮乏生活になりつつあるのです。違うのは、戦前には草木モデルが残存していて、人びとの助け合いがあって、元気があったものが、現在はみなバラバラで力はなく、生命力が衰えていることです。

 

永遠を失った日本人

 明治維新による近代化は、その指導者、政治家、官僚、軍人、教授、財界経営者など上層部による草木モデルの廃棄から開始されましたが、農民、職人、漁民など日本人の大部分は草木への恋は衰えつつも、なくなっていませんでした。

 なぜなら、指導者はその草木主体の生業システムからの税収によって、近代化の資金を調達したからです。

 従って、明治維新から敗戦をはさんで、戦後の高度成長期直前までは、草木モデルは生きていました。

 高度成長期の激変とは、村や町に根を張った、大工、鍛冶や、傘や、下駄、畳、桶、建具、八百屋、精米や、炭焼き、などなどの生業群が絶滅してしまったことです。

 この草木システムの破壊により、近所つきあいによる濃密な人間的交流、助け合い、子どもの集団外遊び、などの人情の世界が衰微していきました。このため、日本人はバラバラになり、歴史上初めて、草木モデルという永遠が全面的に消えて、倫理的判断が自分勝手になり、あらゆる分野で倫理的堕落が進行してゆきます。

 以上の高度成長による激変が全国に波及してゆきました。

 明治維新からほぼ100年後の東京オリンピック時に、和気藹々の安心で気兼ねを要しない大衆の家庭に明治維新がやってきました。その意味は、明治国家が草木の生命法則を棄てて、その代替である絶対的成功物語を採用する在り方が、一般家庭にも侵入してきたということです。その絶対神話は、いい大学に合格し、その学歴でいい会社に就職できれば、いいお嫁さんに出会い、裕福な安定した人生を送れるという学歴神話です。

 その事態に適応する為、その神話を奉ずる両親が大部分となり、その主導のもとに子どもたちの生活が管理されてゆく。受験勉強が第一になり、子どもにとって、家庭は安心できる場ではなくなり、逃げ出したくなる悪い場に変貌してしまう。子どもたちは偏差値で差別され、甘えは許されない。家庭が臨戦体制に変貌したのです。

 子どもたちは受験戦士となり、幼児から臨戦体制下に置かれてしまう。

 こうして、高度成長以後は家庭は崩壊し、大人も子どもも、皆ばらばらで、多忙で、いつも何かに追いかけられてゆく。

 子どもの楽園を体験できない子どもたちは、自己肯定感を持てなくなる。その不全感のまま、成人になって、やがて全能の子ども時代を取り戻そうという無意識の衝動に駆られます。その衝動の暴発が威張り散らす政治家、官僚、社長たち、家庭内暴力、DV、ストーカー、いじめ、パワハラ、ひきこもりなどとなって現象します。みな弱いものを対象にした全能感の再生の暴発です。永遠を失った日本人の醜い姿です。

 

簡明な結論

 日常の営みを犠牲にする臨戦のみの体制は無期限に継続は不可能です。追い立てられて、終わりのない、次々の危機への準備と命令服従の戦士は、人生に生きる意味を見いだせないからです。

 価値を見出すのはふんぞり返って、深刻な顔つきで作戦して丁寧に説明する、上層の金満の権力者の小集団だけです。

 日本人は1867年の王政復古の大号令に服してから、ずっと駆けっぱなしで、すでに156年、よろよろして疲れ果てています。もう充分ではないですか。草木の花咲く落ち着いた日常に帰ろうではありませんか。