【寄稿】米国人が見た占領日本

H.A.笑童(75歳・無職・大阪府)

 

 1945年の終戦から78年が経過し、戦後生まれも後期高齢者になった。

 戦争のこと、軍隊のことを実体験として語れる人を探すのは難しくなってきている。

 戦時中はもちろん、あまつさえ日本が国家として世界に認められた昭和27年(1952年)頃の記憶も現代から葬り去られてしまっている。

 事実が闇の中に埋もれ、再び陽の目を見ることはない。しかし、わが国ではつくられた虚構の世界が事実として悠然と表通りを歩いている。

 そのような日本をアメリカ人はどのような目で見ているのだろうか。

 ここで紹介するのは一人のアメリカ人女性だ。

 彼女は20代でアジアを旅行してその歴史と文化に興味を持ち、その後アジアに関した講義をもつようになった。

 そんな彼女が46歳、終戦翌年の昭和21年(1946年)にGHQ(連合国最高司令官総司令部)労働局諮問委員会の一人として来日し、女性を含めた戦後日本の労働環境の組織づくりや法整備をその任務とする仕事に就いた。

 任務を解放された彼女は、帰国して一冊の本を書き上げた。

 それが「Mirror for Americans:Japan」(邦題「アメリカの鏡・日本」)である。

 この本の中には日本人が知り得ていない膨大な量の事実が隠されている、今回はその一部を少し長くなるが紹介する。

 

<日本占領は、日本の侵略的軍事機関の破壊に必要とされた期間を経過した後も、「戦争願望を形成する経済・社会制度」と日本人の性格を「改革」するという論理で、引き続き正当化されていった。

 占領の正当化は一つの仮説に立っている。すなわち、日本人は異常に侵略的な習性を持っているという仮説である。

 日本人は近代以前に、「戦争美」を創出し、「武士階級」を崇拝し、常に「軍事独裁者」に統治され、天皇を生きた「軍(イクサ)神」として崇めてきた。

 そして日本人の宗教である神道は日本人を優れた民族と信じさせ、神である天皇を世界に君臨させるため日本人に「世界征服」を命じている。私たちはそう教えられてきた。

 こうした日本人観が熱っぽく語られ、広く喧伝されてきたから、かなりのアメリカ人は本当のことだと信じてしまった。

 1944年2月、米キリスト教会会議はルーズベルト大統領に宛てた電報で「神聖なる天皇と皇祖の加護の力」を信じる日本人の蒙昧(モウマイ)を覚ますために国家神道の2つの神社を爆撃するよう要請した。

 私たちは国家神道を廃止し、神社や神官に対する国費の支出を禁じた。

 私たちは、日本の歴史、道徳、地理から「軍国的」神話を「祓い清める」までは、学校で教えてはならないと命じた。

 私たちは、全国に若いアメリカ人チームを派遣して、学校の教室に飾られている天皇の肖像、写真、博物館などにある神道関係の遺物は見つけしだい押収させ、天皇の政治権力を否定する新憲法草案の検討を始めた。

 私たちは「ザイバツ」を解体しようとしている。

 しかし、ザイバツは、この言葉のまがまがしい響きにもかかわらず、単に日本のモーガンであり、デュポンであり、フォードであり、ロックフェラーであるにすぎない。

 私たちは日本が再び軍隊をもたないように指導している。

 近代以前の日本は軍隊らしい軍隊をもっていなかった。

 対外関係がなかったから軍隊の必要もなかったのである。

「国」と「藩」の政府が、各自の防衛に当たる「武士」という名ばかりの小軍事集団をもっていたにすぎない。

 私たちは、日本が二度と海軍をもたないよう指導しているが、欧米列強の援助で海軍をもつまでは、日本にはそういうものはなかった。17世紀初めからペリーの「門戸開放」まで、個人でも集団でも50トン以上の船を建造ないし所有することは法律で禁じられていた。わずかにあった船も軍船ではなく、小規模な海運業者だけが沿岸貿易用に使っていたにすぎない。

 私たちは、日本人に国家神道を廃棄させた。しかし、国家神道は西洋型国家意識の日本版にすぎない。

 国家神道は、1868年、西洋の「指導」に応えて出てきたものだ。

 近代以前の日本では、神道は自然と祖先に対する信仰であり、習俗であった。

 軍事的なもの、国家的なものの対極にあるものだった。

 日本の外交は徹底して平和主義だった。

 日本列島は世界の常識からいえば、国家でさえなかった。

 仮に国家があったとしても、国家宗教といえるものは仏教だったのである。

 私たちは「白人の帝国主義的支配から有色植民地住民を開放する」という日本人の「神聖なる使命」を偽善と決めつけた。

 しかし、西洋文明と西洋の政治をアジア、太平洋、南太平洋諸島、アフリカの原住民に及ぼすのが「白人の責務」ならば、日本の行動理念はそれに対する論理的かつ当然の答えである、と日本は主張していた。

 日本人と政治意識をもつアジア人がよく知っているこうした事実は、私たちの占領を歴史としては面白く、政策としては恐ろしいものにしている。

 私たちは、日本人の性格と文明を改革すると宣言した。

 しかし、私たちが改革しようとしている日本は、私たちが最初の教育と改革でつくり出した日本なのだ。

 7隻の軍艦を率いて日本の門戸を開いたペリー提督は、ダイナミックな西洋文明を表わしていた。

 その物力と機械力は1853年の日本が及ぶところではなかったが、1945年も同じである。 

 マッカーサー将軍が「未曽有の陸海空大兵団」を引き連れてきて、今度は日本の門戸を閉ざした。

 日本民族は生まれつき侵略者であると考える者にとって、日本史の事実は極めて都合が悪い。

 戦時中の宣伝担当者たちは、それらしい実例を挙げるのに、実にどぎつい言葉でバカバカしい話を作り出さねばならなかった。

「東京レコード」のトリシャス記者は、日本の歴史的拡張主義を立証するために、日本列島が神々に征服された「神話」と朝鮮を征服した「伝説」を歴史に書き入れている。

 つまり、架空の出来事を現実のものにして、それを証拠と呼ぶのである。

 この馬鹿げた記事が、ニューヨーク・タイムズの整理記者を喜ばせ、2600年の不敗の歴史という大見出しがついた。

 日本の歴史を2600年にするために、神話の時代まで遡ったわけだ。

 日本人自身も神話時代を歴史に組み入れてきた。

 日本の文化の長い流れを象徴的に表現したのが神話である。

 占領の第一号指令は、神話はいっさい日本史から排除するよう命じるものだった>

 

 以上、ごく一部を原文(邦訳)のまま紹介した。

 ペリー提督がやってきた頃のアメリカは、ヨーロッパ列強の足元にも及ばない小国だった。

最初に日本と和親条約を結んだが、自国で始まった南北戦争のため本国に引き返さねばならないような未熟な国でもあった。

 第1次世界大戦などで体力と財力を蓄え、20世紀初頭には新興国として日本と並んで国際社会に名を連ねるようになったアメリカが、世界の〝一等国〟になるための足掛かりとなったのが太平洋戦争であった。

 そのためには日本を踏み台にして「民主主義」対「帝国主義」の構図をつくりあげることが絶対条件であった。

 しかし、その過程においてアメリカは現代の問題児である「中華人民共和国」成立の後ろ盾になってしまっている。

 そして戦後は、度重なる戦争を繰り返して領土を広げるイスラエルに対し、毎年継続して軍事援助をしている。そのイスラエルは今、港湾都市ガザに侵攻し、学校や病院を爆撃している。

 やはり、歴史のない国は戦略をもたないのだ。