スマート農業が私をバカにする

北澤孝典(信州支部、50歳、農家)

 

 「ロボット技術やICTを活用して超省力・高品質生産を実現する新たな農業を実現」。農林水産省が掲げるスマート農業のウェブサイトには、自動運転トラクターやドローン、圃場を遠隔管理するソフトウェアなど、その時々の最先端機器が次々と紹介され、現れては消えている。

 私は、東日本大震災を首都圏で経験。地獄絵図とまではいかなかったが、都心から放射線状に地方に伸びる街道には夜な夜な革靴とハイヒールが鳴り響き、その後もしばらく店頭から生活必需品が消えたのを鮮明に覚えている。

 ハイレベルな仕事とコンビニエンスな生活に欲を出し、田舎を捨て都会への転職を試みたが、そんなカタカナ生活は諸刃の剣だと思い知らされ、震災一年後には、生まれ育った長野県で農業を始めていた。

 専門は果樹で、りんごを中心とした果物を露地栽培で育てている。世襲農家でないため、土地も設備も無い状態で、家族を抱えての就農は、今になって考えてみれば無謀ではあったが、そこで、痛感したのは、農村の営みの有難さだ。

 当時は、家内と二人、世話の行き届いた果樹園地を探しては、それぞれの園主に声をかけ、一年を通じて、直接農業技術を教えていただくことが出来た。公的な研究所が発刊しているマニュアル本からも知識を得るが、永年に亘って良質な作物を作り続けている先人たちの教えに勝るものはなく、経験に裏付けされた口頭伝承が如何に大切か、身に染みて感じている。十年程経つ今も、定期的に師匠の指導を仰ぎに行く日々が続いている。

 六月の杏以降、桃やぶどう、そして晩秋のりんごまで、様々な果実が収穫できるように植樹しており、十二月に最後のりんごを採り終えた。やはり、農の最大の喜びは、収穫作業である。里山にも雪が降り始める季節の畑仕事は、体力的にも負担だが、早朝から日暮れまで、不思議と気分は高揚を続けた。

 実りを得るという行為に対し、身体が内側から喜んでいるためだろう。スマート農業の一例として、果実をセンサーカメラで探し出し、伸びたロボットアームが一つずつ籠に収めていく最新機器が話題になっていたが、「収穫の喜びを機械なんかに取られてたまるか」と、隣で作業をしていた家内と同意し、子供達と喜びを分かち合った。

 弥生時代から始まる水稲農業と違い、我が国の果樹栽培の歴史はごく浅く、新しい技術や設備を必要とし、私自身もその恩恵を多分に受けていることは事実だ。しかしながら、スマート農業に象徴されるような一瞬の技術革新競争には、どうも抗いたくなる。

 先述したように、大切な技術は、地元の先人から教わることが多く、その言葉には、マニュアルで記されるような机上の浅はかさも無責任さもない。複雑極まりない自然環境の中で、神経を研ぎ澄まし、人間としての叡智を結集して導き出しているからだと思われる。

 ただ便利なだけの技術を盲信し、人類全てがバカになることを描いたアメリカのブラックコメディ映画『26世紀青年(Idiocracy)』。この映画でも、農業が人類の白痴化を救うカギとして、重要な役割を担っている。

 一秒ごとに新しいモノを競うのもけっこうだが、歴史の中で磨かれ、文字通り培われてきた先人たちの教えに、今後も私は耳を傾けたい。