◎それを直視する人々
太陽も死も直視できない――(ラ・ロシュフコー『箴言集』)。
この十七世紀フランスのモラリスト文学者が発した警句は、極めて端的なだけにかえって多くの含みまで読み取ることはできそうだ。とはいえ、おそらくただ直接的に、そのいずれも見る者にとってあまりに強烈すぎるがゆえのアイロニカルな諷刺と解するのが自然なのであろう。
しかしながら、やはりこれだけでは汲み尽くせていない不足感もある。それは視点や方法によっては必ずしも直視できぬとも限らない、といったような可能性の話ではない。太陽と死が何か深い因縁でもあるかのように結びつけずにはいられない、そういう素朴で素直な人間の魂の欲求が、モラリストの洞察や教訓になど収まりきらぬほど、生き生きと脈打っているのを我々は見逃せないということだ。
次のような情景がある。
それは一年のうちでわずか二日のみ、すなわち春と秋の彼岸の中日、西へと沈みゆく太陽をジッと眺めて、一心不乱に祈る人々。
たとえば大和の二上山の雄岳と雌岳の間へと落ちゆく日を――、あるいは摂津の四天王寺西門の向こうの海へと溶けゆく日を――、ひたすらに見つめては、はるかなる西方浄土への往生を願って阿弥陀如来の来迎を切実に想う、そんな古くから続く日本の情景である。
この落日を熟視することで感知する事実、それは「人は死ぬ」ということであった。
こうした生命の全的な味わいとも、宇宙との交信ともいうべき体験への試みは、合理的な理由、分析的な根拠あってのことでない。煩瑣な知性や教養とも無関係だろう。
自分の魂の行方を知りたい、そんな内から湧き出でる圧倒的な衝動と言い知れぬ懐かしさからの渇望であると断定してもいいのかもしれない。
これを「日想観(にっそうかん)」という。
日想観は「浄土三部経」の一つ『観無量寿経』に説かれる十六観の「観想」の第一であり、太陽が西の空へと没していくのを見つめ、極楽世界が西方にあることを想い浮かべる行法である。
本来彼岸に限ることもないのだが、太陽がちょうど真西へと沈む彼岸こそ、西方十万億土のかなたにある極楽浄土の在処を観想するのに適しているという。これが日本独自に大衆化した仏事として春秋の彼岸会となり現在まで根づいているのである。
観想は「仏や浄土の具体的様相を想起する初歩的な観法」であり、その観法とは「心を集中し特定の対象に向けて思念して悟りに至る方法」という(『岩波仏教辞典』)。
説明的にはただこれだけのことで、信仰というのが経典や教義を解説するものでもなく、これらをつくして日想観を仏教用語から明瞭に理解したところで、情動も実践もないところに信仰もまた成立しない。
信仰が各人それぞれの体験であり、生活であり、人生であるのを思えば、いずれ訪れる自身の死への強い興味から彼岸の夕陽を「直視」する行為は、死ぬまではより善く生きねばならぬ、という人間の本性に対する決意と覚悟の確認とも言えるのだろう。
こうした人々の奥深くから噴き上がる原初的な欲求には、とくに日本人の底流にあるどこか「尋常でない尋常な死生観」が感じられる。
◎くるめき沈む日
折口信夫の小説『死者の書』は、中将姫伝説をモチーフとし、蓮糸で当麻曼荼羅を織り上げたのち阿弥陀如来の来迎によって往生を遂げる藤原南家の郎女(いらつめ)の体験を描き上げた「日本近代文学の無比の成果」(川村二郎)であった。そしてここに語られる大きな主題こそ「日想観」だった。
郎女は二上山へと沈みゆく日輪に阿弥陀ほとけを観ずると、それをひたすら追いかけ、念じ続け、想いを深めてゆくのだが、折口は、この日想観という回路に日本人の信仰の源泉のようなものを発見し、それに魅了された古人の感性についての考察を論じている。
四天王寺には、古くは、日想観往生と謂はれる風習があつて、多くの篤信者の魂が、西方の波にあくがれて海深く沈んで行つたのであつた。〔中略〕謂はゞ法悦からした入水死(ジユスヰシ)である。そこまで信仰におひつめられたと言ふよりも寧、自ら霊(タマ)のよるべをつきとめて、そこに立ち到つたのだと言ふ外はない。さう言ふことが出来るほど、彼岸の中日は、まるで何かを思ひつめ、何かに誘(オビ)かれたやうになつて、大空の日(ヒ)を追うて歩いた人たちがあつたものである。(「山越しの阿弥陀像の画因」)
ここからは彼岸の日没の異様さと、それを求めて集まる人々の物狂おしいまでの切実さが窺い知れるもので、そうした信仰の発露について折口はこう確信した。
昔と言ふばかりで、何時と時をさすことは出来ぬが、何か、春と秋との真中頃に、日祀(ヒマツ)りをする風習が行はれてゐて、日の出から日の入りまで、日を迎へ、日を送り、又日かげと共に歩み、日かげと共に憩ふ信仰があつたことだけは、確かでもあり又事実でもあつた。さうして其なごりが、今も消えきらずにゐる。(同)
浄土の教えが伝来するよりもずっと以前、ただ「昔と言ふばかりで、何時と時をさすことは出来ぬ」ものの、まだ信仰の形態もなさない健全な精神活動を想起させるその太陽を追う行為は、古くから日本人が親しんできた自然観であり祈りの習性であったという。それがやがて阿弥陀信仰と結合した。
今も尚、彼岸中日海中にくるめき沈む日を拝する人々は、――即庶人の日想観を行ずる者――落日の車輪の如く廻転し、三尊示現する如く、日輪三体に分れて見えると言つて、拝みに出るのである。此日、来迎仏と観ずる日輪の在る所に行き向へば、必その迎へを得て、西方浄土に往生することになる、と考へたのは当然過ぎる信仰である。(同)
日本古来の神の姿であった「くるめき沈む日」は、阿弥陀如来へと変現し、脇侍の観音菩薩と勢至菩薩と共に三尊となって訪れても、それはやはり変わらずに尊く、どうしても想わずにはいられない、普遍的な真実として敬慕され祈り続けられた。また折口は別の論文でこうも分析している。
日本の古代人の信仰は、要するに、たましひが問題だ、と思われる。〔中略〕此信仰の、最単純な形――原始的とは言はぬ――と思はれるものは、たましひが自ら来つて人に寓(ヨ)る、と信ぜられた事だ。結局、其は、そのたましひが寓るだけの資格のある人に憑くのではあるが、同時に、此たましひが権威の源で、其が憑かなくては立派になれぬ、と考へた。(「古代日本人の信仰生活」)
この仮説にもとづくならば、阿弥陀如来の来迎を願う心もまた、立派な「たましひ」の憑着の待望であり、そのためにもその心身は常に清浄にしておかねばならない、との自律の願いも強く込められていよう。
すなわち極楽往生――死、を見つめることは、生というものが生のみでは語りえない、死を抜きしてはどうしても語りようがない、そういう話になる。
◎不気味な誘惑
ようするに、日想観に集う人々がこうした手続きによって死を問題とするのは、その秘密や道理を解き明かすためでなく、死の事実の認識であり、自らの行く末を訪ねて味得するという実践であった。この実体験だけが立証であり確信であり拠り所なのだ。
もっともそれは心を落ち着かせるという側面だけではない。堪え難いほどの激しい動揺と緊張も伴うだろう。
たった一回きりのかけがえのない命に思いを馳せたときの寂しさ。どうして誰もがこの世を去らねばならないのか。まさしく「此世に死ぬるほどかなしき事は候はぬ也」(本居宣長『答問録』)という感慨が胸にあふれて堪らないのだ。
だからといって、死を避けることも隠すこともできない。人は必ず死ぬ、悲しいことだが太陽がそう告げるのだ。
沈みゆく日輪の姿を観ずるままに信じるということは、西方浄土がこの世と地続きであるということを確信させるものであった。死が生の延長線上にあるならば、この生と同時に死もまた信じねばならない。重要なのは、死という事実の隠蔽でも忘却でも糊塗でもなく、その生において死が強く意識されなければ、本当の「生」を生きられはしないということだ。
もはや我々は、日月星辰の運行を眺めて、この身が何か完全なもの、大きなものに抱かれてひとつに溶けゆくというような感覚を失っている。
そればかりか、眺めることさえ無益なものと侮り軽んじもする。太陽を阿弥陀ほとけと呼んでそこへ向かい一体となりたいなど、もはや迷信ですらなく、幻覚と妄想の世界なのだ。
生命を最高の価値に据えた、生存への至高性と疑うことなき延命、また死の忌避ばかりか科学の軽信で死まで征服したがる強欲、これらが真実の生を妨害している。現代人は明らかに生の力を失っている。古人の鋭敏で豊かな感覚も、大きなものに身をゆだねて任せきる謙虚さも喪失し、その無知と傲慢さをさらけ出して恥じるところもない。
『死者の書』の郎女は、二上山に沈みゆく燃える日輪に阿弥陀ほとけの姿を確かに認めたのであった。
郎女は尊さに、目の低(タ)れて来る思ひがした。だが、此時を過してはと思ふ一心で、御(ミ)姿から、目をそらさなかつた。
そしてどうにかしてでも凝視し続けるのだ。ここには純真さや健気さ、という静謐な美質だけでは済ましきれない往生への執念、激情的なエゴイズムもまた共存している。事実、郎女は阿弥陀ほとけのほか一切が目に入らず、それを除いたすべてに無関心であり、ひたすら至福の死のみに陶酔するのだった。
あらゆることに合理性を求め、堪え性もない現代人に、ここまで徹底して信じ抜きながら太陽と刺し違えることができるだろうか。それは病的にも狂的にも映る。モラリスト氏に警告されずとも現代人には太陽も死も眩しすぎるのだ。
しかし同時に、あの「くるめき沈む日」には目をやらずにはいられぬほどの不気味な誘惑がある。だからこそ今なお、彼岸の四天王寺では日想観の法要が行われていて、『観無量寿経』を唱える僧と共に多くの人々が熱心に西の空を思い詰めるように何事かを拝んでいる。そして観するうち、思い上がる一方で衰弱しきった現代人の精神にも火が灯り、生がまた息を吹き返してくる、そうした静かな興奮と感激も覚えるのだろう。
結局、「太陽も死も直視できない」というのがどこまで正確かはわからない。ただ、直視できようができまいが、それらが「ある」ことに変わりなく、いずれも我々の心をとらえて離さない、そればかりは疑う余地のない実感であり、信仰の確かな胎動なのだ。
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