場末の酒場

北澤孝典(農家・信州支部)

 

 都会の勤め人を辞め、田舎で百姓生活を始めて10年が経つ。

 豊かな自然環境での落ち着いた生活を手に入れて、率直に満足はしている。落ち武者の負け惜しみなど、微塵も感じていない。

 元来、孤独を好む性格だと自認している。

 通知表には、協調性が無いと指摘され、スポーツも団体競技より個人競技に打ち込み、修学旅行以来、旅は独りで訪ね歩くのを好んだ……程度のものだが。

 

 そんな小生、大規模な会社組織から、一人親方の農家になったのだから、夢が叶ったはずなのだが、どうも釈然としない。

 かつての都会生活では、駅前繁華街の一角の社宅に住んで、週に2,3回は、近所の酒場に顔を出していた。

 仕事上の接待や同僚との飲食も日常的にあったが、そこでの打算的な会話に未練はなく、行きつけのバーでの、議論とも呼べない行きずりの会話が、どうも懐かしい。

 農家と言っても、創業と同時に法人を設立し、代表取締役となった。

 当初は、地元の商工会議所や銀行の会合にも参加して、懇親を深めるよう努めていたが、しばらくして、どちらも足が遠のいた。目の前の現金か、互いの傷を舐め合う自慰的な会話に終始しており、居心地が悪かった。

 

 自然の景色と、多忙な子供達との家庭生活で、足るを知ってはいた。

 きっかけは、2021年に松本で開かれた「表現者クライテリオン松本シンポジウム」だった。

 

 日々繰り返されている社会的な茶番劇から目を逸らすべく、それまでも、保守思想家の著作を読んではいたが、口外するようなことはしていなかった。

 シンポジウムでの質疑応答、その後の懇親会や、直後に設立された信州支部の活動、そこで交わされた様々な議論が、ぼんやりとした不安を払しょくしてくれた。

 

 何よりも大切なものは、社交だ。

 冒頭、孤独を好む、などと恰好つけたが、少し考えてみると、自分のような凡人に、孤独など耐えられるはずはない。

 英雄たちの思想を書籍で読んではいても、口に出す言葉や、行動で表す態度に出されなければ、思想とは程遠い、単なる知識に終わってしまう。

 クライテリオンを介して築かれてきた社交の場が、まさに、その知を実践する機会として、自分を研磨してくれているように感じている。

 

 保守思想発祥の地とされる英国には、パブがある。Public house公共の場と訳される、文字通り社交の場だ。

 一説によると、その数は5万店近いらしい。英国の人口は、日本の凡そ半分なので、我が国に置き換えると、10万店ということになるだろうか。

 減少一途の公立小学校の数は、平成の時代には2万校を下回ったので、乱暴だが、1小学校区内に5件のパブが存在する計算になる。

 イギリスに行ったことはないが、20年程前にヨーロッパを訪ねた時のことだ。

 パリ近郊のレストランで、昼食を取っていたら、消防士達がテーブル席に座り、制服姿のままワインをボトルで開け、会話を楽しんでいた。

 ブリュッセルでは、路面電車が通る幹線道路のテラス席で語り合う人々が、古い町並みと溶け合っていたのが印象的だった。

 最も記憶に残っているのは、夕方の帰宅時の通勤電車でのひとコマ。パリ中央駅で乗った郊外行きの電車。通勤電車もテーブル席で、ほぼ満員だった。

 突然4人がトランプのようなカードゲームを始めた。家族か仲間なのか、と思ったが、30分経った頃から一人が抜けて降車、その後、皆別々の駅で降りていった。

 毎日同じ時間の電車に乗る他人同士が、カードゲームを楽しんでいたのだ。時間を共有する楽しみが根付いているのだと、文化の違いを感じた。

 今もその光景が繰り広げられているかは不明だが、少なくとも、日本の通勤スタイルのような、全員が全員、スマホを眺めてはいないと想像はつく。

 

 信州支部で浜崎洋介先生を招いた勉強会で、氏が語った言葉を思い出す。

 

『人と人の関係性が急速に希薄化する現在も、それが辛うじて残っている場所がある。場末の酒場だ。』

 

 今後も、社交を楽しみたいと思っています。よろしくお願いいたします。