十一月号では、堤未果さんと藤井聡編集長の「『農』は日本の心」対談が印象に残った。特に近代化の進展により、人が消費者や生産者などに極限まで分業され、単一の役割に閉じ込めるところがあるという論旨には深く頷かされた。
近代化自体がゲマインシャフトを重んじる世界とは程遠い側面があり、われわれはそうした側面を意識しながら次なる社会を構想していかなければならないのではないだろうか。
また、モンサント(現バイエル)に代表されるグローバルアグリビジネスは、各国が農とともに培ってきた伝統を破壊し続けてきた。モンサントがイラク戦争後灰燼に帰したイラクに進出し、遺伝子組換種子と除草剤を補助金付で無償提供することでイラクの伝統農法を完膚なきまでに打ち砕いたことは有名な話だ。
遺伝子組換の種子と除草剤の効果により、最初は豊作となるが、次第に土地が痩せていき、大きな収穫は見込めなくなる。しかしそのころには伝統農法のノウハウは継承されずに絶えてしまっており、苦しくなるとわかっていても、引き続き種と肥料と除草剤を買いつづけざるを得なくなる。
儲かるのはグローバル企業だけという事態が世界中で発生している。こうした末期的状況に陥っている近代農業を、小手先の次元ではなく、根本哲学から何とかしなければならないと強く思う。
こう考えたときに思い起こすのは、戦前の農本主義思想家・権藤成卿である。
権藤はその主著『自治民範』の冒頭で以下のように言う。
居海に近き者は漁し、居山に近き者は佃し、民自然にして治る、古語に云ふ山福海利各天の分に従ふと、是の謂なり。
海に近いものは漁をし、山に近いものは耕し、山の恵み海の恵みに従うことで民は自然に治まるのだという。当たり前のことを言っているようにも聞こえてしまうが、現代社会こそまさにその土地で取れるものではなく、地球の裏側から人工的に作った農産物や海産物を運んでくるようなやり方が効率的だと考えてきたのである。
しかしそうした自由貿易を前提にした議論はウクライナ事変で崩れ去り、また、地球規模で商取引を行うことで経済発展するのだというグローバリズムは、甚大な格差をもたらす負の側面が明らかになった。
権藤が重んじた概念に「社稷」がある。社は土地の神、稷はその土地にできる穀物の神で、その土地土地で取れた穀物を氏神様に祀る地域共同体のネットワークを社稷といった。そしてその中心にあるのが天皇であり、各社稷による自治を尊重するのが、古代天皇の理想とした政治であったというのが権藤の主張であった。
権藤が重んじた「自治」とは、政治権力の動向に左右されない民衆の生活慣習(=「成俗」)に基づくもので、成俗こそ民衆が生活の必要から紡ぎあげてきた伝統であった。
こうした権藤の思想は、グローバリズムが極点化した現代だからこそ見直される価値がある。例えば二〇〇〇年ごろにバングラデシュの農村で起こった、「ノヤクリシ・アンドロン(=新しい農業運動)」という農業運動は、農薬、化学肥料を止めて、村の共有地の池や湿地、共有林の生態系を取り戻そうという運動であった。
バングラデシュはグローバル農業資本が持ち込んだ農薬や化学肥料により土壌や水質の汚染が深刻になり、収穫量が下がっていたのだ。それへの対案は伝統的暦に基づく農法であり、村で種子倉庫を共同管理するといった「共同体の農業」であった。
農薬を使わない代わりに、伝統的無農薬農法では虫や鳥が作物の成長を助ける。短期的に見れば迂遠なようだが、これらの取り組みにより固有種が守られ、農作物の生物多様性が確保され始めている。こうした活動こそがベンガルの伝統を守ることに繋がっているのだ。
衣食住が共同体と共にあった時代こそ幸せで、そうした時代には農業は決して産業的商品ではなかった。農は共同体の信仰と共にあり、収穫は神に感謝しムラで分け合った。わが国でも、こうした伝統農業の価値についていま一度見直さなければならない。
林文寿(岐阜支部)
2024.10.15
御子柴晃生(農家・信州支部)
2024.10.15
吉田真澄(東京支部)
2024.10.15
羽田航(53歳・派遣・埼玉県)
2024.10.15
川北貴明(34才・芸術家・大阪府)
2024.10.15
九鬼うてな(17歳・生徒・京都府)
2024.10.15
近藤久一(62歳・自営業・大阪府)
2024.10.15
前田一樹(信州支部、39歳、公務員)
2024.07.25
奥野健三(大阪府)
2024.07.25
たか(千葉県、41歳、イラストレーター)
2024.07.25