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動揺するウェストファリア体制と日本

橋本由美(東京都、69歳、無職)

 

 現代国際社会は、ウェストファリア条約から始まったと言われる。

 一六四八年に締結されたウェストファリア条約は、三十年戦争終結のための講和会議における合意である。主要三国(神聖ローマ帝国皇帝、フランス国王、スウェーデン女王)以外にも、この戦争に何らかの形で関わった王国や領邦や地域が使節を派遣したため、講和会議はヨーロッパのほぼ全域が参加する初の国際会議となった。しかし、宗教勢力・領邦国家・帝国といった錯綜し複層する支配構造の中での多様な紛争の処理はそう簡単にできるものではなく、最終合意までには、長い年月と断続的な話し合いが重ねられた。リンガフランカとして用いられた言語も開催地によってラテン語・フランス語・ドイツ語・イタリア語など様々で、交渉形式や席次の序列でも混乱した。

 この会議の過程で、領邦主や独立を要求する地域などが議決権を持つ参加を求め、等しく投票権が与えられたことによって、帝国の意思決定に領邦諸侯の同意が必要になった。更に画期的だったのは、長引く交渉を迅速に処理するために、聖俗の交渉事項を分離したことである。こうした会議進行上の取り決めが、政教分離や主権という概念を形成することになったが、この時点ではまだ、現在のような明確な「主権」には至っていなかったようだ。(明石欽司『ウェストファリア条約・その実像と神話』)

 しかし、地域権力の独立性を示す「主権」の萌芽となる考え方は、根強い一元的価値観の支配下にあって、ゴルディアスの結び目を断つような発想であったと言える。何故、あれだけ激しい宗教戦争の紛争解決手段として、価値(聖)への執着を放棄して、現実的利害(俗)に基づく多元性を認めることに同意できたのか。そう簡単なことではなかったはずである。

 ひとつにはルネサンスを経験したことで、異なる世界観や人間の主体性という発想に触れていたこともあるのだろう。一方で、この時代に、航海で得られる富を求めて大航海時代が始まっていたのもルネサンスの通過によるところが大きい。宗教戦争も大航海時代も、どちらも煎じ詰めれば、ヨーロッパ諸国の覇権争いである。ウェストファリア体制は、植民地においても現地人の主権ではなく入植したヨーロッパ人の領土として適用されたが、圧倒的な弱者である現地人に対しては「聖」の放棄はなされなかった。国家主導の重商主義は、植民地を含めた確定した領土を基盤として富の蓄積を促した。

 国境や主権という概念は、聖俗支配権が複雑に入り組んだハプスブルク帝国内の戦乱の収拾という目的だけでなく、寧ろ、ハプスブルク家に対抗していたブルボン王朝など周辺の強国にとって有利に働く取り決めだったと思われる。その後の産業革命は経済も社会をも大きく変えた。変化の乏しい農耕社会と異なり、産業社会に於いて、それに携わる人々の末端にまで要求されたのは、信仰よりも、読み書き能力と均質なスキルであった。産業の安定と発展には集権的な保護を必要とする。国家に要求されるのは秩序の維持であり、近代国家は、主権の及ぶ範囲を明確にした国境によってまとまりのある集団として機能した。ウェストファリア条約が準備した聖俗両面での領土の境界の明確化が、争いの絶えない大陸ヨーロッパ地域に、現実的なルールに基づく国民国家への移行を促したと言える。

 

 一七世紀における注目すべきことには、他にイングランド銀行の設立がある。宗教戦争はブリテン島でも避けられなかった。イギリスはウェストファリア会議に参加していない。会議が進行していた頃、イギリスでは清教徒革命の最中で、クロムウェルに戦費の調達をしたのはアムステルダム銀行である。一二九〇年のユダヤ人追放令以来、オランダに渡って金融活動をしていたユダヤ人は、クロムウェルの時代に戦費の支援と引き換えにイギリスへの帰還を許され、銀行、国債、為替相場、株式市場が活発になる。一六八八年の名誉革命でオレンジ公ウィリアムがメアリー二世と共にイングランドを共同統治するに当っての支援に対する見返りとフランスとの戦争の債務処理のために、一六九四年にイングランド銀行が設立された。銀行券の発行が許可され、国債は税による利払いで保証された。当時のオランダもイギリスも海洋通商国家である。そのディアスポラ的傾向は、ユダヤ金融と親和性があった。資本収益が労働による生産利益よりも大きいということは、既に聖書の記述からも覗える。但し、通商国家の繫栄には実体のある生産の存在が必要である。旧約は、農産物だけでなく、「鉄」の優位性についても多くの箇所で語っていて、資源とその製造技術の力を既に十分に認識していた。大英帝国を支えたのはアジアと新大陸の資源や生産力であった。

 アメリカ合衆国はアイデンティティの異なる人々の契約によって成り立つ人工的な国家であるが、広大な国土と二つの大洋による明確な国境を持ち、ユーラシアの紛争から直接被害を受けない。二〇世紀に帝国を解体させたとき、コストのかかる植民地の直接統治よりも、自国の産業に有利な経済圏を構築することで覇権を握った。嘗てブルクハルトは『世界史的考察』で、これからの教養の担い手がアメリカ化して、芸術や研究という知的分野が単なるビジネスと化すのではないかと危ぶんだ。文化よりビジネスを優先した文明が、グローバリゼーションを生み出したのは当然だったのかもしれない。アメリカもユダヤ系金融とアングロサクソンの海洋通商国家の性格を受け継いでいる。

 

 世界の殆どは、もともとウェストファリア条約の批准地域ではない。ウェストファリア体制の基本理念は合理的な国際法として徐々に整えられてきたが、それは大陸ヨーロッパの思考方法から導かれたものであって、他の文明圏には、ヨーロッパ・ルールに馴染めない地域があり、アングロサクソンもまた、批准地域ではなかった。

 広大なステップやタイガの続くロシアに国境の概念は生じにくく、厳しい寒冷地帯は、温暖なヨーロッパとは異なる。砂漠のベドウィンにとっての自由や熱帯で求められる制度はヨーロッパと同じではない。厳しい自然条件は、強い政治的求心力を要求する。個人の力では太刀打ちできない苛酷な環境では、安全と分配の保証さえ与えられれば、責任を伴う欧米的自由を寧ろ負担に感じ、権力に従うことを選ぶ。資源はランティエ・エコノミーを許し、支配層の独裁を招きやすい。高度な民主制は住民の水準(教育や倫理観)が問われ、中間層を形成する経済力がなければ上手く機能しない。

 普遍性は風土の違いを克服できない。国家の多元的価値観を認めたウェストファリア条約は、一元的価値から脱皮しようとする現実的妥協であった。それは、新たな「普遍的価値観」による体制の構築ではなく、帝国支配に対抗するために領有権や同盟権・武装権を主張し、ヨーロッパ内の紛争解決のための基本ルールを模索したものだった。

 

 民族とは人工的な認知によるものであり(A.ゲルナー)、明確に定義しようとすればするほど、混乱や紛争を招く問題でもある。民族の概念が人工的な認知によるものであっても、宗教や言語や文化は、人間にとって長い歴史に根差した実体である。民主制か否かに拘らず、個人や集団のアイデンティティの拠り所は国家にあり、民族が集団的な幻想であっても実体として機能し、内政での重要な要素である。

 近年、世界を揺るがせている最も大きな要因はグローバリゼーションと情報化社会であろう。必ずしも国家の保護を必要としなくなった巨大多国籍企業と情報産業が国境の概念を消滅させつつある。様々な情報に容易にアクセス可能になってアトム化した個人は国家への帰属意識を希薄にし、アイデンティティの多様化・複数化が起こる。国民国家の機能的価値が危うくなったことで、世界の混乱が始まった。近代化や産業化は、文明を選ばない。グローバリゼーションで国境の意味が薄れ、もともと国境意識を持たない帝国と同様に、全体主義的独裁者にも利益をもたらした。ソビエト連邦の崩壊がもたらした、西洋的な自由世界の完成という一方的な幻想が一転し、グローバリゼーションによる直接対外投資と各国の法人税率の引き下げ競争によって賃金までが低所得国の水準に収斂されていく現実が先進国の就労者を失望させた。教育のある中間層の崩壊が始まり生産力は落ちた。投資先の途上国も含めて、グローバリズムに関わった国家の内部は分断された。

 国家の保護を必要とせず国境を無視する多国籍企業は、納税をも忌避する。究極の錬金術でもある中央銀行制度は必ずしも税収を必要としないが、税によって保証されることで通貨は価値を与えられ、通貨発行権が有効になる。主権も国境も通貨も承認されて初めて機能する。それらもまた便宜上要求される人工的な認知に他ならない。デジタル通貨は通貨発行権や物価の安定機能という中央銀行の土台を揺るがせ、そのままでは国家からソブリンを奪う。しかし、民間企業がどれほど巨大であっても、領土を持たない営利企業は、国家が担って来た国民への責任や保障を与えることはできない。

 

 情報も金融も、すべての産業のCPUの部分である。産業の「肉体」部分である資源や生産現場から利益を吸い上げることで肥大化する。肉体部分のない頭脳に意味はない。CPUは、ユーラシアとアフリカの富という肉体部分に関わり続けることになり、ドイツとロシアの存在は潜在的な障害として意識される。近年、そこに一帯一路の中国が加わった。

 

 帝国支配が蹂躙しグローバリズムが無視する「地域の文化」が国民国家を機能させてきた。地域性は風土の物理的限界を越えられない。民主制は、その地域内の合意でしか上手く機能せず、地域の限界を越えられない。地域の多元性を無視して勢力を拡大しようとするとき、「普遍的価値観」が強要される。それは、ウェストファリア会議で分離した筈の「聖」を蘇らせることに等しい。

 自由な民主国家の連帯は必要だが、自発性のない自由と民主主義を普遍なものとして強要すれば、それは自由でも民主的でもなくなり、その不寛容さは全体主義と同質である。アングロサクソンとロシアの対立の構図が明らかになったウクライナ戦争は「普遍的価値観」が、現実の利益闘争を体制対立にすり替えるための武器であることを露呈させた。それは、敵に対する武器であると同時に、アメリカがエネルギーに不安を抱える西側諸国を統率するための武器でもある。

 

 ウェストファリア体制は、それが圧力だったとしても日本にとって有利に働いた。有史以来、大陸の混乱から距離を置くことが出来た日本は帝国の支配を免れた。日本は、比較的均一な民族性と島嶼国という明確な地理的境界によって国民国家の要件を予め備えていたこともあり、ウェストファリア体制のルールをそれほど抵抗なく受け入れることが可能な例外的な地域だったと言えるが、西欧社会とは異なる歴史背景や文化を持つ。

 ハンティントンの分類でも日本はどの文明にも属さず孤立している。文明的孤立は経済の孤立を意味しない。経済的相互依存が進んだ現実世界での孤立は生存を脅かす。現実の国際社会では「主権国家の平等」もファンタジーであり、国力の差は小国に完全な独立性を許さない。軍事同盟や経済圏は、コアになる強国を中心として拡張しようとする帝国の一形態であると言える。嘗て十分にあった大陸との距離も現代では至近距離である。今後、この地理的条件によってブロックで対立する勢力間の緩衝地帯となることは否めない。

 帝国は内部にヒエラルキーを持つ。異なる歴史観や宗教を持つものはヒエラルキーの下部に置かれ、帝国の不安定要因となるために力による弾圧が加えられる。いずれの勢力下でも日本はヒエラルキーの下層に留まるしかなく、余程の実力と存在感を示さない限り隷属を迫られ存続すら危ぶまれる。孤立であろうと隷属であろうと、緩衝地帯の運命は苛酷である。

 

 日本は存在を保てるのか。国家は力と利益と価値の体系である(高坂正堯『国際政治』)。国家の生き残りには、長い年月をかけて育まれ血肉となった国家の意思とアイデンティティが不可欠である。システムに依存するものは、システムの崩壊で意味を失う。システムに関係なく生き延びるのは、資源と技術である。資源に恵まれない日本の選択肢は限られている。人間が生きるために究極的に必要なものは物理的な実体であり、その生産力である。半導体やワクチン生産の混乱が示すように、戦略的なモノづくりの技術力と生産体制の維持は、国家にとって軍事力に匹敵する強力な切り札である。

 技術は抽象を具象化する作業である。思考力と表現力を必要とする。技術に限らず、文化の根源には言語力がある。政治やメディアに溢れる雑駁で緩んだ言葉では精緻な思考を支えられず、豊かな情緒を表現できない。ネットを覆う稚拙で過激な言葉の礫は、私たちに深い思索を促さない。外部からの脅威だけでなく、日本に内在する危機は相当に深刻である。

 正倉院御物の「宝」は、金銀宝石ではなく粋を極めた工芸品であった。工芸の繊細で精巧な美に価値を認める感性と職人の巧みを尊ぶ国民性は、金融や情報で利益を追求するのみの価値体系には馴染まない。「もののあはれ」の感覚は、絶対性からは生じない。日本人の感性は、普遍性や絶対性を裏切る風土に根ざす。金融や情報で操作されたGDPの数値のみに捉われ、「普遍的価値観」に追従して、国家のアイデンティティを見失ってはいないだろうか。既に動揺の時代にあって、私たちには覚悟が問われている。現実世界の展開の速さと不確実さを前にして、時を浪費している猶予はない。