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競争原理の非普遍性

谷川岳士(大阪府、 37 歳、会社役員)

 

昨今テレビ等の報道で、ネットでのいわゆる「炎上」したネタが取り上げられているのをしばしば見かけます。
例えば記憶に新しいのはあおり運転とその一連の暴行事件など。
いかにも耳目を引く映像が添えられ、人々の義侠心を喚起する「ネットで話題のネタ」として取り上げられます。
 
こういったSNSネタをマスメディアが取り上げることは、 社会的ヒステリーを煽る事になりかねない危険性をはらみ、どうか慎重に扱って頂きたく思います。
しかし一方で適切な「報道姿勢」さえ保つことができれば、 例えばあおり運転の事例なら運転モラル向上の世論形成につながるという利点にもなりうるものです。
 
その「報道姿勢」という問題について。
私が見る限り、マスメディアがSNSネタを取り上げるタイミングが、殆どの場合で各社横並びのように思われます。
ネット上で話題になってから、若干の日を跨いだ後に各社一斉にワイドショーなどで取り上げる、というパターンのようです。
どこかが先駆けて炎上ネタに飛びつき速報を打つ、といった事は今のところ見られません。
 
ただ単に裏取り取材などを行い番組のスケジュールを調整した結果、偶然各社ともに同じ日に報道する結果になる、というだけなのかもしれません。
私はメディアの内実を知る立場になく推測でしかありませんが、しかしここには「炎上ネタを煽るような真似はせずに、お互い品位を守ってやっていこう」というモラルある曖昧な合意、あるいは「相互に抜け駆けをしない」という、ある種のカルテルとも言えるような同調が存在しているのではないか、とも見えます。
 
いずれにせよ私はこれを批判する意図はありません。むしろ、節操なく拙速な速報を競い合うような事をせず、品位を保とうとする姿勢を評価したいと思います。
これは確かに残るメディアの良心なのでしょう。つまり、マスメディアは自らの振る舞いにおいて、その原理として持つ速報という競争性よりも優先すべき倫理が存在することを自覚している事の現れだと言えます。
 
にもかかわらず日々目にするのは「市場原理」や「自由競争」という理念を、自分達以外のあらゆる事象に対し、あまりにも幼稚に適用しようとする言説です。
競争の素晴らしさを説き、切磋琢磨が経済を活性化させ、不当な受益者を排除し、結果、文明文化科学が発展して、そして人々に幸福をもたらす……、といった類に。
 
昨年、最先端の技術の粋を集めた一大事業であるはずのリニア整備で、行政は独占禁止法違反により参加企業へ制裁金を課すなどという事がありました。
各社が持つ随一の技術を持ち寄った最先端の巨大事業で互いの得意分野の協力のはずであり、これを談合として罰するなんて、私にはとても信じられませんでした。
この事業に求められるものは、競業ではなく協業である事は本来言を俟たないはずです。
このような愚策に対して、過当な競争の弊害を理解しているであろうはずのマスメディアから批判の声はまず聞かれません。
 
先般の台風の水害や、地震対策等の防災にしても同様です。
例えば身代金事件が起きれば報道協定が結ばれ、人命最優先として事件が解決するまで報道が自粛されるのは周知の事実です。
ここにマスメディアの競争原理などありえません。
人命や都市、国土そのものを守る防災事業も同様に競争原理を一旦保留すべきです。
 
勿論競争によって得られる利点を否定するものではありません。
しかし、どうしてその原理をこうも軽々しく何もかもに適用しようとするのか。
競争原理の中に倫理という要素があるのではなく、倫理に基づいた競争であるべきです。
過ぎた競争によって失われる ものがあるという、競争原理の非普遍性はメディア自身が理解しているはずです。
「我々はその原理から外れた特例なのだ」などとは言わせません。
 
今年も頻発した台風で甚大な被害が発生しました。
競争を煽り、徒に災害を深刻化させるこのマスメディアの言説の罪もまた強く指弾しなければならないと思います。