自宅の周りの田んぼは、急速に休耕地が多くなってきた。耕作者(委託者を含め)の高齢化で続けられず、放棄地も目立つ。
以前は4月の桜色風景に続いて、5月には田んぼに水が引かれ緑色の早苗が植わり、農村には新しい息吹が満ちていく。心が弾んだものだ。
田植えの準備で田起こししている景色をぼんやり眺めていたら、かつて小学生の娘を水田に連れていき、草取りしたことを思いだした。たぶん、こんなやり取りをしたように思う。
娘は、田んぼに這いつくばって草を取っている私にこう言った。
「お父さん、スパイダーマンみたい」
前日に映画館で観た「スパイダーマン」の主人公が壁を這い上る動作に似ていたのだろう。
除草剤を撒かず、無農薬にこだわっている私を描写した一言に親子を感じ、妙に頭に残っている。
しかし、その後の半日這いつくばった「水田のスパイダーマン」が考え続けたのは、娘の意外な次の言葉。「田んぼに水が入ると広く感じるね…」だった。そこで、考えた理由を、こんなふうに日記に書き残している。
・空や景色が映り、光が反射して地面の時よりも立体感が出て、広く感じる。
・苗が列になって植えられていると、見た目にも近い所と遠い所がはっきり強調されて、遠近感が出て広く感じる。
・水が入り苗が植わると水面がさざなみ、苗は風で揺れ動いて見えるから、広く見える。
それ以上に私がこれだと思いついた理由がある。
「水田に空が映ると、山国の人間は、実はその水に映ったブルースカイが憧れの海につながっている」とイメージするからではないか。
そして、水は上流から流れてくる自然の賜物で、国民の共有財産。個人の田んぼという私有地に、共有の水が流れ込みつながることで、他の田んぼと一体という共有地意識が芽生え、視界が拡大し「広い」という意識を持つのではないか。
以上、25年ほど前に考えたことだが、今も同意できる。水田は、暮らす人々の感性を養い、連帯感を醸成する、「故郷の臍(へそ)」なのだと。
今、改めて思うのは、信州などの山国は、戦後の高度成長時代に加速した沿岸の都市部形成を、「人材と食料の供給」で支えたことだ。結果、大消費地となり、そこに「上流社会」が生まれた。
しかし、人口減少社会の今、自然エネルギーの利用や自然環境の保全、地震・災害等のリスク回避の面からも、山国での生活に価値を置く人々が現れ始めている。
都市への人口シフトが、逆に「カムバックサーモン」のように、標高の高い山村地に逆流(カムバック)してくると私は予感している。
足るを知る生活と精神活動に価値を置く、文字通り「上流社会」が新たに立ち上がってくるのではないか(インフラ整備が後押しすればなおさら)。そんな勝手なイメージを楽しく思い描く。
また、「田とは何か」を字典で調べると(字典・白川静著「字統」「字通」)、田は区画の形(一夫の耕作面積)とある。一方、田へんの「町」は、「まちという市街」の意味で用いているが、もともとは「あぜ道」の意。町も田から派生していて、私は納得する。
漢字には、「田」「米」「禾(いね)」を部首に持つ熟語が多く、日本人の価値観が農業を基盤にしているのは確かだ。
中でも、私が大切にしている漢字は、禾(のぎへん)の「私」。
本誌読者はエッと驚かれたかと思う。「私」とは「ム(すき)を用いて耕作をする人」をいう。日本人である限り、「自らのルーツは耕作者である」ということを知っているべきだ。そこから民族の自覚と連帯が立ち上がってくると思う。
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