「人間は子供をつくるべきではない」と主張するのは南アフリカの哲学者、デイヴィッド・ベネターだ。似たような考え方は昔からあったが(E・シオランやA・ショーペンハウアー)、数年前に「反出生主義」という言葉が一部で話題になったことから、今では、シオランらよりもこちらのほうが知られているかもしれない。
筆者はベネター氏の著書「The Human Predicament」(※1)をずっと前に読んだことがあり、ある日ニュースで難民キャンプにいるたくさんの子供たちの映像を見たとき、ふと思い出したのだった。
ベネター氏の「反出生主義」の根幹部分を手短にまとめると次のようになる:「生まれれば楽しみも苦しみもあり、生まれなければ楽しみも苦しみもない。両者を比べると、苦しみがある前者の方が悪い。だから生まれてこないほうが良い」(※2)。タイトルの「問い」は、この問題を扱う記事や論文などでしばしば見かけるものだ。
なんと極端な、身も蓋もない考え方だと思う人がいるかもしれないが、共感する人は少なくない(※3)。
「The Human Predicament」は未邦訳だが、他の著書「Better Never to Have Been: The Harm of Coming into Existence」には日本語版があり、このタイトルの和訳は「生まれてこないほうが良かった:存在してしまうことの害悪」となっている。しかしながらベネター氏は、既に存在している人に対して「あなたは生まれてこなければよかった」なんてことは言っていない。基本的な考えは「生まれてきちゃったものは仕方ない。生きていくしかない。だが、これから(新しく)命をこの世に産み落とすのはやめよう。苦しみを経験する存在を増やすだけなのだから」というものだ。「反出生主義」と和訳されて広まった語は英語の「antinatalism」で、もともとは「人口抑制主義」のような意味だった。
子供の数が減り続けている日本にとっては迷惑な思想かもしれないが、人間がこれ以上増えないのは地球環境や動物たちにとっても良いことだろう(※4)。
子供をこれから持とうとする夫婦たちは、ふつうは幸せな家族を思い描くはずだ。ところがその後の現実がそうなるとは限らない。若年層に利用者の多い、とある悩み相談専門サイト(※5)を見ると、「親が大嫌い。死にたい」「母に『お前なんか産むんじゃなかった』と言われた。産んでくれなんて頼んでないんですけど」「家が貧乏すぎて、バイトで貯めたお金を親に勝手に使われた」「成績が悪いと怒鳴りちらす父親。早く死ねばいいのに。もう限界」「両親は優秀な兄ばかり可愛がって、私には『お前はバカ』とか言ってくる。私なんか消えたほうがいい」「誰か楽に死ねる方法教えてください」といった投稿がある。そして、その先に続く文章でたびたび見かけるのが「死にたいけど、その勇気がない。だから最初から(そもそも)生まれてきたくなかった」という内容である。
これに対し、「多感な年頃にはよくある悩みではないか」あるいは「いわゆる『かまってちゃん』ではないのか」などと思われる方もいるだろう。そうした側面もあるのは確かだ。実際、中には「かまってちゃん」でしかないような投稿もある。しかし多くは切実な悩みだ。筆者はカウンセラー系の民間資格を一つ所有しているが、その過程で学んだことの一つに、「死にたいと思うほど苦しんでいる当事者に『生きていれば(つらいことばかりではなく)いいこともある』などと言ってはいけない」というものがあった。「口で言うのは簡単だ」という反発を受けることがあるからだ。斜め上からみると、この「慰めの言葉」は、「拷問が終われば、楽しいことが待っているよ」と大して変わらないのかもしれない。ベネター氏があちこちから批判されても譲れないのはその点ではないかと私は思う。定番の「親からもらった命なのだから大切に」も言ってはいけない。少年少女を苦しめているその張本人が父親や母親なことがあるからだ。
置かれている境遇に不満があるなら何らかの行動を起こすべきだと私は思うが(※6)、子供にそれを要求するのは無理だろうし、大人でも難しい場合があるだろう。自らの命を絶つような「やむを得ない状況」というものもある。
筆者は以前「塹壕の中に無神論者はいない」(本誌2024年3月号掲載)の中で、「見えざる絶対者」を意識して生きることの意義について論じた。神がおられるなら、それは「善」であるはずだ。しかしながらその一方で、瓦礫の山で泣く子供が同じ地球上に存在しているということも紛れもない事実だ。あるいは一見「平和」な我が国では「生まれてきたくなかった」という悲痛な声がネットに投稿されている。これらの現実と、自分の信じるものとに、どう折り合いをつけたらよいのだろうか。
親に理解されない・愛されないといった苦しみと、いま食べるものがない・爆撃に怯える日々を送るといった苦しみとは全く別物だという意見もあろうかと思うが、これらが(どんな類のものであれ)「苦」であることには変わりないと考え一括りにした。
正直なところ、私は反出生主義を──諸手を挙げて賛成はしないが──否定することもできずにいる。
<注釈>
※1 The Human Predicament: A Candid Guide to Life’s Biggest Questions/David Benatar, 2017
※2「楽しみ」と筆者が訳した語は「pleasure」で、よく「快楽」と訳されているが、OxfordやCambridgeの英英辞典で調べると「楽しみ・喜び・満足・幸福」といった意味のほうが最初に示されることを指摘しておきたい。少なくとも反出生主義の話題において、「苦しみ」の反意語としてのpleasureを「快楽」と訳すのは不適切だと感じる(快楽というと飲酒や性交など一過性の「五感の満足」に限定される、あるいはそのイメージがあるため)。
※3 朝日新聞デジタルや毎日新聞、その他ネットメディアなど多方面で取り上げられた時期があった。紙媒体は「現代思想2019年11月号 特集=反出生主義を考える」など。
※4 生物学者の池田清彦氏は著書「SDGsの大嘘」の中で「究極のSDGsは人口を減らすこと」だと述べている。
※5 自殺願望を書き込んで犯罪に巻き込まれることがないよう配慮された、投稿者が安心して「死にたくなるほどの悩み」を書き込めるサイトがある。悩み事・それらへのコメントいずれも全て(AIなどではなく)サイト運営者により目視で審査され、不適切なものは掲載されないようになっている。
※6 人生には、あるいは世の中には、諦めたほうがよいものと諦めてはいけないもの、捨てるべきものと保持すべきもの、変えられないものと変えられるものがある(参考:「ニーバーの祈り」)。
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