わたしは、小学校2年生の夏休みに、大阪から親と一緒に現住地に帰省して来て、両親が大阪に帰るという時、どうしても、この家で祖母と二人で居たいと言い張って一週間ほど、田舎に居た思い出が今でも強く残っています。
小学校2年生と言えば、8歳にまだなっていませんでした。
昭和38年のことですから、現在とはこの田舎も随分違っていました。
今は、田舎でも真夏はクーラーなしではとても辛いですし、大抵の家にクーラーがあります。しかし当時はクーラーなどというものはどこの家にもありませんでした。
大阪でもクーラーを使うようになったのは、昭和40年代半ばからでした。
当時は道はコンクリートではなく、すべて地道でした。山は常に人が手を入れに入っているので、山道が踏みしめられていて広く通りやすかったです。
また今のようにサルやシカに出くわすこともないので、子どもでもある程度までは一人で行って虫取りなどが出来ました。
川は現在は遊泳禁止になっていますが、当時は子どもは夏は川で泳いで遊んでいました。
川幅は今の半分の5メートルぐらいでしたが、水深は深いところで1メートル以上はあったかも知れません。
けれど周りに大人の目があったので、容認されていたのかも知れません。楽しい思い出です。
今では子どもだけ自宅に置いておくことは厳しい、経済的に苦しいなどの理由で、夏休みを無くして欲しいと希望する親が多くなっているそうですが、夏休みという長期の休暇があることによって、大袈裟に言えば人生を変え得る経験をすることもあると思います。
何もかもが、コスパと言うのでしょうか。
損か得か有用か無用かで語られる風潮の中で、そんなことを度外視した「素朴な経験」があって、子どもは歩み出した人生のこれからを築いていくのではないかと思います。
コロナ禍で、学業以外の生徒・学生たちの「経験」が悉く軽視され、削られてきました。
削られなかったら得られたであろう、楽しさ、喜び、嬉しさ、そして辛さ、悲しさ。どれほど人生において大切なものを失ったことでしょう
だから、夏休みは不要などというのは間違っているのです。
そんな風に親たちに思わせる、経済的貧しさ、精神的貧しさを生み出している、今の政治が間違っているのです。
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