『カッサンドラの日記』33 日本語雑感——言葉の存続と消滅

橋本 由美

橋本 由美

 

 講談社のPR誌『本』35巻2号(2010.2 現在は休刊)に、言語学者の国広哲弥氏の『「しにくい」と「しづらい」』というエッセイがある。その一部を、本文を交えながら要約すると次のような内容になる。

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 『筆者(国広氏)が以前から守って来た「……しにくい」と「……しづらい」の使い分けが崩れてしまって、筆者なら「しにくい」というところに「しづらい」が使われる例が非常に多い。』(そのあとで、まだ『世間から「しにくい」が完全に消えたわけでもない』と続くのだが、このエッセイから約15年経った現在では、「しづらい」が圧倒的に優勢で、「しにくい」は殆ど消えている。

 国広氏の使い分けというのは、「しにくい」=客観的な事情から何々することが難しい「しづらい」=主観的に何か心理的な抵抗があって何々するのに困難を感じる、という違いによる。その当時の例文として、曽野綾子の「日本人の考える貧困を救う方法はあまりにも観念的で、貧しさの本質に迫りにくい」、朝日新聞の記事から「外食や加工食品に頼る生活では、自分の食べている脂肪の正体が見えにくい」などを挙げ、どちらも「しにくい」が使われている。

 「しづらい」というのは、「単独の『つらい(辛い)』という語があって、これが心理的な苦痛を意味することが大きく影響していることは十分考えられる」と述べて、国広氏自身が「しづらい」を使う例をいくつか挙げている。例えば、「あの人には義理を欠いているので、ちょっと頼みづらい」「偉い人の漢字の誤りはちょっと訂正しづらいね」などと言う場合である。反対に「ヤミ金融業界の実態が分かりづらい」「年齢が上がるほど卵子が老化し、妊娠しづらくなる」(どちらも朝日新聞の記事)などは「しにくい」のほうが自然であると述べている。

 『要するに筆者の場合、ふつうは「しにくい」を使っていて、特に必要を感じたときに「しづらい」を使う』のだが、『予想外なところで「しづらい」に出会うのがつらい。』と結んでいる。 

 (要約、以上)

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変化の過渡期 

 

 このエッセイを保存しておいたのは、私自身がこの頃、同じことを感じていたからである。確かに2010年頃から、学生たちが急に「……しづらい」を多用するようになったと感じていた。はじめは、その子が何かとても嫌な思いをして「辛い」状態なのかと思って、「どうしたの?何が辛いの?」などとトンチンカンなことを聞いてしまったのだが、どうも単に「しにくい」の意味らしいと、だんだんわかって来た。それ以降、あっという間に「しづらい」が席巻していく、その速さに驚いたのである。

 私の使い分けも国広氏と同じで、「しにくい」という集合の中に「しづらい」が部分集合としてあるという認識だった。何か、心に痛みを伴うような場合に敢えて「しづらい」を使うのは、自分の心理を強調するためである。例えば、飢餓状態の人の前で自分だけ何かを食べるときは「食べづらい」であり、相手が触れてほしくないことに敢えて言及しなくてはならないようなときに「言いづらい」と言う。しかし、ベタベタした食べ物は「食べにくい」であり、早口言葉は「言いにくい」であった。また、物や機械や自然現象には「感情」がないから「しにくい」を使った。「ドアが閉まりにくい」とか「車輪が回りにくい」、「風が通りにくい」「光が漏れにくい」などである。いまでは、これもほとんどが「しづらい」である。以前はこのような無機質なものに「しづらい」を使うのは、擬人化するときだけだった。

 実際に20年くらい前までの報道や雑誌、小説、論文などを読めば「しにくい」が主流だと言うことはすぐにわかる。軽い雑誌類や若者言葉の間で「しづらい」が幅を利かせはじめたが、論文や報道などではまだ「しにくい」が使われていた。最近は、子供のころから「しづらい」に慣れている世代が報道記事や論文を書くようになったので、どの分野も「しづらい」に変わった。今では、テレビやラジオ、NHKのアナウンサーでも新聞でも「しづらい」になっていて、以前は「しにくい」を使っていた老人世代も意識せずに「しづらい」を使っている。

 当時、不思議に思ったのは、「つらい」と言うほうが、口の筋肉を使うからである。「にくい」のほうが筋肉の運動量が小さい。口を大きく動かすのだから「言いにくい」はずなのに、言いやすい「しにくい」を使わないのは何故だろうという疑問が湧いた。それとも、若い子たちは心優しくて、物でも自然でも「辛そうに」感じるのだろうかとも考えた。

 

生き残る単語の特徴 

 

 15年も前のエッセイを思い出したのは、先月発売の『日経サイエンス』の記事による。SCIENTIFIC AMERICANからいくつかの論文のダイジェストが載っているのだが、そのなかの言語学の分野の紹介が、この長年の疑問に答えてくれたのだ。タイトルは『言語の進化——存続か消滅か、単語の命運を分けるもの』という。ダイジェスト版をさらに要約すれば、次のようになる。

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 「言語は時間をかけて徐々に変化する。社会的要因や環境的要因が言語の変化にどのように影響するかを調べる研究は多いが、特定の単語を語彙目録に定着させる人間の認知的選択の力を解明しようとする研究は非常に少ない。米国科学アカデミー紀要に発表された大規模な新研究はまさにそれを調べている。」

 研究では伝言ゲームに似た実験を数千人規模で行った。まず、被験者は英語の物語を読まされる。彼らは、他の被験者に読んでもらうために、その物語を書き直す(書き写すのではない)。書き直した文章を読んだ次の被験者は、同様にそれを書き直して、別の被験者がそれを読む。何回かそれを繰り返した後、最後に書き直された文章の中から「最初の文章にあった単語」を調べるのである。つまり、世間で「噂話」や「事件」などが伝わる速度を短縮して再現したのが、この実験である。

 実験の結果、最初の文章に含まれていた単語のうち、最終版の文章に残ったのは特定の単語に限られた。研究チームは、最後まで残った単語を「話者が好む単語」として、その種類を解析し、「好み」が経時的変化を促していると理論づけた。更に、研究チームは過去200年の英語の400億語以上を含む歴史的文献を解析し、同様に特定の単語だけが生き残っていることを確認したという。

 「好み」は、脳への定着を促す要因であり、単語に進化的優位性を与えている3つの特徴があるということがわかった。第一に、幼いころに習得する基本的な単語hand, uncle, todayなどである。第二に、animalなどの抽象的な単語よりもdogといった具体的な単語の方が定着し易い。第三に、否定的であれ肯定的であれ、感情的に興奮させる単語は存続する傾向がある。  (要約、以上)

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 上記の実験結果で得られた特徴のうち、第三の特徴に着目したい。最初の文中に同義語がいくつかある場合、書き直すたびに、その中の「感情」を刺激する単語が優先して使われるようになっていくということである。ほとんど意味が同じならば、何度も繰り返すうちに、刺激的な単語だけが生き残って、「ひかえめ」で「おとなしい」単語は消えていく。これは、「しにくい」と「しづらい」の関係にも当てはまる。「しづらい」のほうが、強い感情を含む単語だからである。国広氏の文中にあった「単独の『辛い』という語の心理的な苦痛をあらわす」強さが関係している。口の筋肉の運動量などよりも、感情に訴える単語は「強い」生命力を持っているということだ。

他にも、「すごい」が、日常、頻繁に使われることや、「絶対」「絶叫」「絶賛」などの「絶」や、「激辛」の「激」を多用するのも、同様だろう。刺激は慣れを生じ、より強い刺激を求めるようになる。はじめは刺激的だということで選択された言葉も、定着すれば次第に普通の言葉になる。「凄い」という言葉は、よく考えれば相当に強い語感があるのに、いまでは普通の形容詞である。そして、この傾向は、英語や日本語だけでなくどの言語でも当てはまるらしい。

 

認知言語学と社会学 

 

 「しづらい」が席巻した理由は納得できたが、さて、この結果が、私に新たな疑問を生じさせた。このような言語進化の傾向が、個人や社会にどのような影響をもたらすのかということである。研究チームの結論では、どの単語が残るかという問題の他に、いくつかの同義語がひとつの単語に収斂していくことを(確実ではなく議論の余地はあるが)言語が「単純化にシフトする」とも言っている。単語の単一化は、豊かな表現力の衰退とも考えられるのである。実際、国広氏が述べていたように、以前は「使い分け」をしていた表現が区別されなくなり、ひとつの単語だけで表されるようになったということでもある。言語と意識には相互作用がある。言葉の単一化は、私たちが「雑な」方向へ変化した結果だろうか。それとも、類似語が消えることが原因で惻隠の情が失われていくのだろうか。認知言語学で明らかになった結果が、社会学に還元されたとき、どのような意味をもつかということである。

 初期の言語学モデルでは、「言語は時間と共に複雑化していく」と仮定していたが、最近の理論では、言語が最終的に「効率的」かつ「理解しやすい」ものになると考えられるようになっていて、今回の研究はそれを支持するものだという。ヨーロッパ言語でも、古典ギリシャ語の発狂しそうなほど複雑で多様な品詞活用が、英語になると随分単純化されている。その英語も古英語はもっと複雑だった。言語は、多くの人に使われるほうが影響力をもつのだから、使い易いように単純化されるのは自然な方向性なのだろう。しかし、同時に単純化によって、表現力が限定されることは否めない。英語でも、文法の単純化、例えば、対格と与格の活用をなくして語順を定めたことで、主語が必須になり、文章表現が狭まったという人もいる。

 歴史上、文法が複雑化し語彙数が増える時代もあった。古代ギリシャ文学の黄金期や、万葉仮名から漢語書き下し文・かな文学などを生んだ時代、Norman Conquestによる英語圏へのフランス語の流入や、幕末維新の欧米の刺激による語彙の創作など、言語的勢いがある時代には、社会や政治が充実していたり変化が起きたりしている。安定期になって社会の動きが減って来ると、言語表現もエントロピーが増大するように単純化していくのかもしれないが、社会的刺激によって脳が活発化するときには、言語活動も暴れ出すらしい。

 だいたい「しにくい」と「しづらい」がいつから使われるようになったのかを、私は知らない。古語では「かたし(難し)」が使われていたと思う。「しにくい」と「しづらい」の使い分けが始まった頃は、微妙な感覚や感情の違いをなんとか表現しようと努力していたことになる。言葉を生み出す欲求が強まるとき、この研究の実験結果のような「効率性」は、必ずしも働いてはいない。このとき脳の認知的選択は、効率化や単一化とは逆の選択をしていることになる。それは、緊張する社会と弛緩した社会の反映なのだろうか。

 

言語と身体と社会 

 

 脳は身体を働かせないと視覚などの感覚器官と連携させることができない。目という構造体があるだけでは、モノは「見えない」。誕生したばかりの子は、モノが見えない。網膜からの信号を脳で処理するには、身体を動かす経験が必要だ。網膜に映るモノを触る経験、自分の動きによって対象の形状が変わる体験、歩行によって離れた場所のモノの大きさが変わる経験や、手で遮るとモノが「なくなってしまう」経験など、光情報の解釈の仕方を脳が学習しないと、「見える」ようにはならない。感覚器官と連携した情報を表現するのが言語ならば、言語活動もまた身体の働きに連動して活性化するとは考えられないだろうか。社会的行動が沈静化し停滞することで、言葉が単純化にシフトするような気がする。

 複雑な感情表現も論理の構築も、言語化しなければ不可能である。最近は、脳で選択する前に、単語や文章をAIが選択してくれる。文字情報よりも画像や動画が好まれ、そのほうが説得力がある。動画も長時間の視聴に耐えられず、短い編集のものが多くなっている。映画やドラマを早送りで見るどころか、作品そのものが短時間になる。数分のショートドラマに起承転結をまとめれば、画面や台詞も刺激による反応を狙ったものになり、単純化されていくだろう。

 AIによる言語選択や画像や動画を利用することで効率よく物ごとが運ばれるかもしれないが、それは何のための「効率」だろうか。機械が人間を操る方法は日々進化している。与えられる刺激に反応するだけで、言語能力を衰退させると、他人とのリアルなコミュニケーションがとれなくなる。受け取る情報が画面上であって、生身の人間が発するものでなければ、「何」から発せられているのか本当のところはわからない。だから、フェイクが拡散される。知らぬ間にフィルターバブルに嵌まり込んで、横の繋がりが稀薄になり、タテ方向の情報の流れが強まる。テクノクラートが発信者となれば、たとえ意図的でなくとも、少数のテクノクラートの支配層と、刺激に反応するだけのアトム化した大衆とに容易に分断される。人々の行動は解析され利用され、民主的であるはずの政治行動が、気づかぬうちに(右でも左でも)専制的な社会に誘導されていくかもしれない。

 新しい言葉は常に生み出されているが、それが刺激による選択で言葉の単一化を招き、一方で、微妙な違いの多彩な言語表現が消えていくならば、もしかしたら、その背景に、私たちの無意識に忍び寄る深刻な社会現象を抱えているのかもしれない。論理や検証に欠かせない精緻な表現力を失って、「エモい感覚」に身を委ねるだけの社会になれば、「知性」の分断を招いて支配層への反撃力を失い、二極化が固定されかねない。いま、国広哲弥氏が存命であったなら、何と言うだろうか。

 

『本』第35巻2(通巻403号)/講談社 2010

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