以前、ミラン・クンデラの小説『存在の耐えられない軽さ』を読んでいたとき、語り手である作者の次の言葉に、思わず目を惹かれた。クンデラは言う、「小説は著者の告白ではなく、世界という罠の中の人生の研究なのである」と。
これはクンデラの文学観の率直な表明であるとともに、私が小説を読むときに抱いていた感覚を、端的に代弁してくれる一文でもあった。クンデラにとって小説とは、もう一人の自分がどのように生きていくのかを見届ける「実存の実験室」と呼べるものであり、そこに私も自分自身の姿を重ねることができる。だが、かつての私は、そうした感覚を十分に言葉にできないままでいたのも確かだった。
だからこそ、本書を読んだときの衝撃は大きかった。小国チェコで生まれたクンデラは、一九六八年に起きた民主化運動(プラハの春)の弾圧を契機に、四十六歳で亡命を余儀なくされるのだが、そうした実人生を背景に彼の作品を読解する本書は、〈偶然性と必然性〉という関係と、それを包括する「運命」という概念を、クンデラ文学に通底する主題として読み出していく。歴史のなかに生きる人間について考え、その運命をいかに語るのか――本書の問いは、私が抱く文学とは何かという問いと、そのまま繋がるものに思えた。言うなれば、文学とは、人間の運命を描く営みにほかならないのである。
まず本書は、初期クンデラのロマン主義批判について検討していくが、その批判は、若い頃共産党に入った彼自身の自己批判の側面もあったという。スターリン批判以降、革命への熱情を徐々に喪っていく人々の行方を描いてから(『冗談』)、後に共産主義者の「抒情的熱狂」を諫めていた(『生は彼方に』)クンデラは、そこからの「啓蒙」の道を示そうとする。だが、「歴史を主体的に導」けない中欧に生きる彼にとって、その達成はあまりに困難だった。実際、本書が示唆するのは、歴史の流れに巻き込まれるしかない中欧の受動的な在り方
と、それゆえの啓蒙に対する彼の諦観的な姿勢である。そして、そうした姿勢から導かれるものこそ、偶然(受動)的な状況を「危機」において看取する際に出来する、運命というモチーフだった。
では、ここでの運命とは一体何なのか。『存在の耐えられない軽さ』の読解から本書は、それを軽さと重さの綱引き、すなわち偶然に身を委ねて個人の生がいかに軽くなろうと、常に必然としての死が重々しく横たわる、この両者の絡み合いから生じるものと考察する。つまり、〈世界=罠〉に囚われた自身の人生を厭世的に眺める作中人物の視点と、予め彼らの死を知る読者(作者)の眼差しが交錯するときに現われる、生の一瞬間を指して、それを運命という名で呼ぶのである。
言い換えれば、運命とは単なる偶然の連続から、ある必然的な意味を読み取ろうとする態度によって見出されるのであり、まさにそれは「文学的な観念」にほかならない。本書は、運命を捉えるものとしての文学に正面から向き合う、いま読まれるべき文芸批評である。
令和6年7月20日(土)19:00~21:00
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