本日は8月16日発売、『表現者クライテリオン2024年9月号 [特集]指導者の条件』より、特集座談会の冒頭をお送りいたします。
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「制度」よりも指導者の「資質」を議論すべし
藤井▼今回は私と編集委員の柴山さん、そして慶應大学商学部准教授で、本誌の「表現者賞」受賞者でもある岩尾俊兵さんをお迎えし、「指導者(経営者)の徳」と「日本型経営」の関係について議論したいと思います。
現在の日本では、組織運営や政治・行政においては「指導者」が適正な人物であることが必要であり、かつその指導者には「徳の高さ」が絶対的に重要であるという当たり前の議論が見過ごされているように思います。会社では、指導者(経営者)が立派であれば会社のパフォーマンスは向上し、社員の士気も高まるでしょうが、指導者が自分のことばかり考えているクズみたいな奴だとしたら、会社はあらゆる意味で滅茶苦茶になってしまうことは確実です。
同じことが日本の政府にも言えます。総理大臣が高い徳や品格を持つ方であれば、実質的な行政もうまく動き、政治不信が緩和されるのはもちろんのこと、国民統合も加速されるでしょうが、逆に自分のことばかり考えているクズみたいな奴だったら国は乱れます。世の中の秩序を保つには「仕組み」も当然大事ですが、それを動かす「指導者の徳や品格の高さ」が大事だという、見過ごされがちではあるが至極当然の問題意識のもと、今回の特集を組んだ次第です。
岩尾さんは経営学、特に日本型経営について研究されています。とかく平成、令和の御代では「日本型経営は古いから欧米流のビジネスのやり方を学んだ方がいい」と言われがちですが、決してそうではありません。よく考えてみたら、日本型経営は戦後から一九九七年のデフレ突入まで、敗戦国日本を経済大国に押し上げるメインエンジンだったはずです。そして、日本型経営の中心部には「経営者の資質、徳や品格」が確実に位置しているのだろうと思いますので、ぜひそのあたりを中心にお話をお聞きできればと思っております。
柴山さんからも、今回のテーマについてお考えのところがあればお話しいただければと思いますが、いかがでしょうか。
柴山▼優れた指導者がリーダーシップを発揮しないと、どんな組織もうまくいかないというのは常識です。しかし、一九九〇年代あたりからそういう当たり前の議論より、むしろ制度を新自由主義的に変えていくことが必要であるといった議論が続いてきています。それで世の中が良くなったのならいいのですが、全然良くなってない。にもかかわらず、未だに制度をいかに変えるかという話ばかりが続いています。
改めて原点に返って指導者のあり方を考えようというのが今回のテーマなのですが、最近は新自由主義的なイデオロギーの総本山たるアメリカでも、株主にばかり目を向ける株主資本主義は駄目で、ステークホルダー(従業員、地域の関係者、取引先など)と協働しながらやっていく企業や資本主義のあり方が大事であるという議論や、人への投資が大事であるという議論が注目されるようになってきています。ごもっともな議論ではあるのですが、それらはもともと日本企業がやっていたことじゃないか、と思いますね。アメリカ企業が打ち出すコンセプトをありがたがる人は多いけれど、もともと我々がやってきたことと何が違うのか、という疑問をずっと持っていました。
岩尾先生の本を読むと、まさにその通りのことが書かれてあります。最近アメリカ人が言っている新しく見えるようなコンセプトも、ルーツをたどると八〇年代頃に成功した日本的経営のあり方をアメリカの経営学者が学んで、それを概念化して世界的に広げた面があるわけです。新しい経営のスタイルだともてはやされていたもののルーツは日本にあり、それを逆輸入することでかえって歪みが生じているという話を書かれていますが、全くその通りだと思います。そういう観点から、ここ三十年、四十年の日本の経営を取り巻く環境の歪みについて、ぜひお伺いしてみたいと思った次第です。
「人に好かれ、皆で豊かになる」ことが日本的経営の本質
藤井▼今、柴山さんがおっしゃったことが、まさに我々編集委員で議論していた内容ですね。まずはどこからでも結構ですので、岩尾さんのお話をぜひお聞かせください。
岩尾▼いわゆる「日本的経営」と言われるものがこの三十年、四十年で失われてきたわけですが、同時に失っているのがまさに徳だという気がします。戦後からデフレに入るまでの時期の日本の経営の正解は、一言で言えば「人に好かれる経営」、「皆で豊かになる経営」でした。口八丁手八丁でお金を集めるのが上手い人ではなく、自然と人が慕って集まってくるタイプの経営者が求められ、そのためには当然ながら経営者は自分の徳を磨いていかなければならなかったわけです。実際に、そうした人が経営に成功していきました。
本田宗一郎さんや松下幸之助さんなどはまさにそういうタイプですよね。丁稚奉公から苦労して事業を興して、高学歴の人も含めて皆が「親父さん」と言って慕ってくれる。そうやって人が集まってきて、その結果売上も上がる。これが日本的経営の本質であり、まさに「徳の経営」です。そして、人を大事にする、人に慕われるということの具体的なやり方の一つとして、終身雇用とか企業別労働組合、年功制といった制度が出てきたのであり、それら自体が本質ではないんです。本質はむしろ、人が集まってくる「徳の経営」にあったのではないかと思います。
藤井▼なるほど。昔は皆、徳が高い人が好きだったのに、いつの間にか徳のある人が好かれなくなった、という傾向があるわけですね。
岩尾▼確かにそうですね。藤井先生と前回対談したときに私が十分に答えられなかったことがあったのですが、それがまさに「今の世の中が残念なことに徳を求めてない」という危機感です。例えば、「お金を集められるのなら、粉飾でも何でもして上場させてくれ。そのためなら株主や客を騙してもいい」となってしまうと、徳のある人ではなく金を集められる人がリーダーになってしまいます。実際にそれで成果を出すようになると、余計そういう状態が強化されると思います。
藤井▼おそらく循環的なプロセスがあって、社員が徳の高い人をリーダーに押し上げるという因果プロセスがあると同時に、徳が高い人がいることで、それが構成員全体の徳を高め、雰囲気を良くするという教化的なプロセスもありますよね。そのことについて、岩尾さんが知っている事例があれば教えてもらえますか。
デフレが希少資源を「人」から「お金」に変えた
岩尾▼先ほど申し上げた本田宗一郎さんや松下幸之助さん、あるいはその思想的源流になっている渋沢栄一が有名な例ですね。彼は「人本主義」を唱えていて、お金が大事だと言っていた岩崎弥太郎との間で激論がありました。実際に、戦後のインフレ下のようにお金が希少資源ではない状態では人間の方が希少資源なので、「人本主義」的な発想を持った人が生まれました。「QCサークル」とか「改善活動」と呼ばれるものがそうですが、人こそが価値創造の源泉だと考えて、仕事をするための知識を多くの人に薄く広く広げて、皆で新しい知識を提案して、その結果として良い製品ができて世界中で売れて、皆が豊かになったわけです。渋沢栄一と戦後日本、これらが大きな事例ですね。
しかし、一九八五年のプラザ合意、さらに九〇年代のバブル崩壊などもありデフレ社会になったことで、お金がものすごく強い力を持つようになりました。希少資源が人からお金へと百八十度変わってしまったわけです。
具体的な人名を出すと訴えられそうですが、何の仕事をしているか分からないけれどお金は集めてくるという人がいますよね。平成以降に登場した、投資家ウケが良いけれど犯罪スレスレでも気にしないような経営者の名前を、誰でも一人は思い浮かぶと思います。平成時代にはデフレでお金が希少資源になってしまったことで、本田宗一郎さんや松下幸之助さんのように人が集まってくるリーダーは成果を出せなくなってしまい、逆に希少資源であるお金を集めるのが得意なリーダーが成果を出せるようになってしまったのです。
藤井▼なるほど。デフレでお金が少なくなったからお金の重要性が高くなり、人ではなくお金を大事にするような状況になってしまったということですね。やはり九七年の消費税増税が転換点であり、バブル崩壊から九七年まではそれほど転換していなかったのでしょうか。
岩尾▼その十二年前の一九八五年にプラザ合意がありましたが、そこから徐々に貨幣の希少資源化は始まっていたのかもしれないですね。プラザ合意によって日本円の価値が国際的にも国内的にも上がっていく中、一九八七年のルーブル合意でプラザ合意での取り決めを改めることが決まりますが、結局破棄されてしまいます。要は、日本経済を破壊するプラザ合意は守っても、日本経済を復活させるルーブル合意は国際政治において誰も守ってくれなかったわけです。
その後、日銀がパニックになり、金融緩和して誰でも低金利でお金を借りられるようにしました。それからずっと低金利政策を実施していて、本来ならお金の供給量が増えるはずなのですが、うまくいきませんでした。なぜかというと、市中銀行が「担保主義」だったからです。つまり、銀行は人を信頼するのではなくて人が持っている資産を信頼していました。そのため、土地などの担保を持ってる富裕層から見るとものすごくお金を借りやすくなったのですが、担保を持ってない非富裕層からすると、給料も上がらないし売上も上がらないし、お金も手に入らない。そういう二つの社会に分かれてしまったと思います。
藤井▼それは面白い指摘ですね。
岩尾▼こうして、土地を持っていた富裕層がお金を借りて別の土地を買うようになりました。そしてそれを担保にしてさらに土地を買うという、借金と資産の両方を増やす「両建て取引」を繰り返していきました。こうして起きたのがバブル景気だったわけです。そのときの資産は土地でしたが、バブル崩壊で土地の価格が一気に下がったために、富裕層も資産と負債の差額の純債務を埋めないことには破産して一家離散するという状態になったのです。
そうした流れを受けて、庶民から遅れること五年から十年経って、バブル崩壊とともに経営者も皆「金、金、金」と金策と搾取に汲々とするようになった感じがします。
藤井▼なるほど。不良債権を処理しないといけないのでお金の希少性が高まっていき、「人こそが希少性の高い資源である」と考える日本型経営の根幹が崩壊していったということですね。非常に面白い指摘だと思いますが、柴山さんはどうでしょうか。
アメリカや世界と戦う視点を失った経営者
柴山▼視点を変えると、…続きは本誌にて
〇座談会参加者紹介
岩尾俊兵(いわお・しゅんぺい)
89年佐賀県生まれ。東京大学大学院経済学研究科マネジメント専攻博士課程修了。博士(経営学)。組織学会評議員、日本生産管理学会理事を歴任。第73回義塾賞、第36回組織学会高宮賞論文部門、第37回組織学会高宮賞著書部門、第22回日本生産管理学会賞理論書部門、第4回表現者賞など受賞。著書に『13歳からの経営の教科書』(KADOKAWA)、『日本企業はなぜ「強み」を捨てるのか』(光文社)、『世界は経営でできている』(講談社)など。
藤井 聡(ふじい・さとし)
68年奈良県生まれ。京都大学卒業。同大学助教授、東京工業大学教授などを経て、京都大学大学院教授。京都大学レジリエンス実践ユニット長、2012年から2018年までの安倍内閣・内閣官房参与を務める。専門は公共政策論。文部科学大臣表彰など受賞多数。著書に『大衆社会の処方箋』『〈凡庸〉という悪魔』『プラグマティズムの作法』『維新・改革の正体』『強靭化の思想』『プライマリーバランス亡国論』など多数。共著に『デモクラシーの毒』『ブラック・デモクラシー』『国土学』など。「表現者塾」出身。「表現者クライテリオン」編集長。
柴山桂太(しばやま・けいた)
74年東京都生まれ。京都大学経済学部卒業。同大大学院人間・環境学研究科博士後期課程退学。滋賀大学経済学部准教授を経て、現在、京都大学准教授。専門はイギリスを中心とした政治経済思想。編書に『現代社会論のキーワード』など。共著に『ナショナリズムの政治学』『グローバル恐慌の真相』『「文明」の宿命』『TPP 黒い条約』『まともな日本再生会議』『グローバリズムが世界を滅ぼす』な
ど。著書に『静かなる大恐慌』。新共著に『グローバリズム その先の悲劇に備えよ』(集英社新書)。
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