【橋本由美】『カッサンドラの日記』34 アメリカ大統領選挙—民主政治の混迷

橋本 由美

橋本 由美

複雑なアメリカの選挙制度 

 

 アメリカ大統領選挙が近づいて来た。毎度のことながら、有権者登録とか、選挙人数と獲得票数だとか、州毎に異なる制度だの激戦州だのと、アメリカの選挙制度はややこしい。同時に行われる連邦議会選挙でも、割り当てのある上院と人口比で決まる下院では選挙運動だって違うだろう。近代的合理性を追求してきた国家のものだとは思えない複雑な仕組みである。但し、この複雑さは捨てたものではない。上院へは小さな田舎の州でも確実に議員を送り込めて州の利益を主張できるし、国全体の利益を考えたときには下院議員選出の際の人口比がものを言う。大統領はエースの切り札を持つが、議会の力も、独立した司法権も強い。大統領選挙や上下両院の選出方法の違いは、権力の暴走を阻止するために考案されたのだろう。この世に完璧な制度などなく、常に何らかの欠点や不満があるのだから、権力の集中を避けるために幾重にも関門を準備しておくことは、むしろ合理的だと言える。「エドマンド・バークは『単純な制度は、控え目に言っても欠陥がある』と述べたが、それはまことに味わい深い言葉なのである。」(高坂正堯)

 2016年の大統領選挙の共和党候補予備選にトランプが登場したときは、アメリカの有力メディアでは泡沫候補扱いで笑い者になっていた。日本のメディアも一緒になって笑っていた。トランプの支持層は教育のない白人貧困層だと言って相手にせず、エリートの代表のヒラリーが当選確実だという雰囲気だったのは、誰でも覚えているだろう。「予期せぬ」トランプ大統領の誕生には、この複雑な選挙制度も加担したようだ。世界中がトランプ本人や支持者やアメリカの現状を、大慌てで分析し始めた。

 トランプの掲げる「MAGA―Make America Great Again」と「America First」は、よく考えると矛盾した主張だ。「偉大なアメリカ」というのは、外的世界を意識している。国際世界がなければ、その偉大さはわからない。「アメリカ第一主義」というのは自国優先で、周りがどうでも構わない。自分だけよければいいというのでは「偉大」になれない。それでも、この二つを同時に受け入れてしまうのが、いかにもアメリカ人らしい。

 

集権的な政府を必要としない「外敵の不在」

 

 建国時代のアメリカ人は、ヨーロッパから自由を求めて逃げて来たピューリタンたちで、「ボートピープル」の難民である。彼らは権力の干渉を嫌って、自由を最高の価値としていた。広い大西洋に隔てられていることは、ヨーロッパの強国からの圧力から逃れられただけでなく、開拓時代にはヨーロッパのゴタゴタに捉われず、自分たちのことに専念できた。地理的な距離は、内政に専念する上で大きな利点であった。

 幕藩体制の日本が鎖国状態を維持できたのは、同じく地理的条件に恵まれていたからだ。日本近海に現れたヨーロッパ船が切支丹の思想を持ち込んだことは、日本的価値観を揺るがせて統治を脅かす危険があった。彼らを遠ざけるために「ひきこもる」のに、何と言ってもこの時代の日本の地理的条件は有利だった。但し、外敵がいないということは、平和を意味しない。戦国時代の日本は、外敵がいなかったからこそ、激しい権力闘争に明け暮れたと言える。江戸幕府が藩の自治をある程度認めたのは、それまでの戦乱から学んだ統治法だったのかもしれないが、それを可能にしたのは、外敵がいないために強い中央集権を推進する必要性が乏しかったからだとも考えられる。対外関係がなければ、国家意識は生じない。明治政府が強烈に「国家」を意識したのも、列強の脅威に対する反応であった。

 アメリカの州政府が連邦政府に対して一定の力を持つのも、アメリカがユーラシアから離れていることによるだろう。産業化で物質的な力をつけたヨーロッパ列強同士が熾烈な戦闘を繰り広げていた19世紀~20世紀初頭に、アメリカはそれを横目に、西部開拓に伴う鉄道網の敷設や産業育成に専念することで国力をつけることができた。広大な土地でのフロンティアの拡大は、密集地と違って土地に対する争いを回避できる。諍いがあっても逃げ場があれば、不満の捌け口になる。しかも、彼らは、価値観の異なる外部の国々との摩擦の対応に不可欠な「強い中央政府」を必要とせず、権力からの自由があった。「それゆえ合衆国の非常な幸運は、大きな戦争の遂行を可能ならしめる連邦憲法を発見したことではなく、戦争の心配のない地理的位置にあることなのである。」(トクヴィル)

 

対立関係にある帝国と民族国家 

 

 アメリカにとって、国内に専念できる時代は、幸せな時代だったのかもしれない。第一次大戦が勃発しても、ヨーロッパの争いに巻き込まれることを嫌っていたし、第二次大戦でも参戦に消極的だった。ヨーロッパの強い要請で第一次大戦に引っ張り出されたあと、戦後の「ウィルソンの14か条」が提示したのは、帝国の解体だった。有名な「民族自決」は、ナショナリズムの肯定である。ヨラム・ハゾニーは『ナショナリズムの美徳』の序章で、「ほんの数十年前まで、一般にナショナリストの政策は、寛大で寛容な精神と関連付けられていた」と述べ、ウィルソンの14か条と、ルーズベルトとチャーチルの大西洋憲章が人類の希望の光であったと言っている。歴史上、帝国と民族国家は対立関係にあり、ナショナリズムは帝国からの解放のための輝かしいパワーだった。「ナショナリズム」が「悪」の代名詞として嫌われるようになったのは、そんなに古いことではない。

 ハゾニーの『ナショナリズムの美徳』が2018年に出版された直後に、トランプが突然「私はナショナリストだ!」と言い出したと、会田弘継氏が指摘している。トランプ陣営は(おそらく同書によって)国境を無視したグローバリズムが帝国であると位置づけ、グローバリズムを推進するリベラル陣営に敵対する武器として、堂々と「ナショナリスト」を用いたのである。

 

ディアスポラとグローバリズム 

 

 歴史は予定通りに進まない。あんなにユーラシアのゴタゴタに関わることを嫌っていたアメリカが世界中に関与するようになったのは、第二次大戦で唯一無傷だったこともある。アジアでもヨーロッパでもほとんどの都市や産業が破壊され、自力で復興することが困難だった。アメリカは既にヨーロッパを凌ぐ大国になっていて、マーシャルプランは大国としての義務の遂行であり「善意」でもあったのだろうが、それをスターリンが面白く思わなかったのも当然である。冷戦は、否応なくアメリカをユーラシアに関わらせた。戦後生まれの私たちが知っているアメリカは「ひきこもり」ではない。むしろ「お節介」な国である。国家の力が弱いときには国外の権力を遠ざけたいが、自分が力を持てば勢力を伸ばしたくなるものらしい。最近は「御家の大事」に忙しく、また他所のことに構っていられなくなって来ている。

 冷戦末期以降、アメリカ政治を動かしていたのは、所謂ネオコンと言われるユダヤ系の人たちである。彼らの親や祖父母は、世界革命を夢見るトロツキストたちで、帝政ロシア末期の迫害から逃れてポーランドやウクライナ方面からやって来たユダヤ人だった。彼らの思想は、ピューリタンとよく似ている。ナチスの迫害のころまでにアメリカに渡ったユダヤ人の数は、民族移動と言えるほど多かったという。

 ディアスポラ(離散)には国境はない。迫害・差別が繰り返されれば、国家に対する忠誠心も生まれない。お金と能力があれば、世界のどこでも生きられる「anywhere族」である。そうならざるを得なかったのであり、彼らが生き残る条件だった。ヨーロッパで差別を受けていたディアスポラのユダヤ人たちの生活手段は金融だった。金融と頭脳という個人の力が、生き残るための武器だったのだ。大英帝国の財政・金融に食い込んだ彼ら(ロスチャイルド家)は、アメリカのFRB創設にも関わっている(ウィルソンのクリスマス法案)。そして、レーガンからクリントン、オバマに至る時代は、彼らの子孫たち(ネオコン)の時代だった。彼らの主導するグローバリズムには、祖先のトロツキストたちの匂いがする。

 金融は、すべてのものを貨幣価値に換算する。モノもサービスも文化も自然も、そして、人間も標準化して計量の対象にしてしまうのが貨幣である。人間の価値を生産性とか有用性とかで数値化・格付けするのに学校制度や資格試験が利用される。能力主義は個人主義の行き着く果てだ。「それだけ」を基準に所得や利益を傾斜配分する社会で落ちこぼれて行った人々が「救い」を求めたのがトランプだった。トランプが拾い上げた「捨てられた個人」たちが集まれば、多数のポピュリストの力になって独裁者を生む。嘗てのアメリカで想定された、選択の意思と行動の自由をもつ主体的個人はどこかに消えて、救いを待つ受け身の個人の集団になった。トランプ支持者の集会は、まるで救世主を寿ぐ民衆の群れである。

 

民主国家に必要な「他者」 

 

 もともと民主制には排他的な側面がある。国民の「平等」を確認するために、民主国家には「他者」が必要なのだ。ユーラシアにある古い国家では、他者の認定は容易だった。地域が異なれば文化や宗教や習慣が違って、部族や人種や言語の違いが歴然としている。仲間との同質性を認められる者だけが、平等な扱いを受けられる。民主政治は、多くの点で同質性を持つ「住民の均一性」が安定につながるから、社会のサイズには限界がある。

 新大陸では事情が異なる。ヨーロッパからの移民が始まった時期の「他者」は先住民だった。ヨーロッパからの「不法移民」が、先住民の土地を乗っ取ったのである。彼らは異教徒の先住民と共存できなかった。出身地域や宗派の違いで諍いを起こしていたヨーロッパの移民たちも、白人であるという点では、互いの「同質性」を確認できた。先住民という他者がいたからである。宗派に関係ないところでは、彼らは民主的に行動した。プランテーションや産業が始まると、アフリカから連れて来られた黒人が「他者」に追加された。ユーラシアでは、広域支配での民主政治は難しく、専制的な全体主義国家になる。しかし、新大陸では国土の広さにも拘らず、彼らの民主政治はヨーロッパから来た白人たちの平等の上に成立させることが出来た。ヨーロッパから遠く離れて、まわりに外敵が存在しない代わりに、内部に「他者」を作り出したからである。内部の他者の力が弱く「差別対象」になる限り、白人社会は民主的な政治を保てた。

 グローバリズムの時代は、人の移動も活発になる。どこの国でも移民が増えた。グローバリズムを推進するリベラルな人たちは、すべての人類は平等だと言う。しかし、経済移民や不法移民、まして難民たちは、受入国の思想信条や理念に共鳴してやって来るわけではない。とにかく稼げる場所へ行きたいのである。アメリカにやって来る移民や難民は、嘗ての自分たちと同じで、いまの先住民である白人社会に同化しようとはしない。「平等に」受け入れた移民の増加は、他者の増加だった

 国内の人種の人口バランスが崩れて、白人人口によって保ってきた社会の均一性が失われていくなら、平等の基準が変化して、民主的な政治が難しくなる。あちらこちらが分断されて、理解不能になってしまった。低賃金で働く移民は、白人労働者の地位を下げた。移民が跋扈して、自分たちの存在が無視されていくのは、下層階級に落とされ「他者」にされる恐怖になるだろう

 

平等だけで 民主政治はできない 

 

 平等な人権はアメリカの基本理念である。しかし、彼らの平等を脅かしているのは世界中から来た異なる人種の移民だけではない。学歴で分断された白人同士の間にも、いまや平等はない。そこにあるのは「格差」である。それでも、アメリカ人は強迫観念に取り憑かれたように「平等」を求める。「他者」を次々に作り出しては、すべてに平等を要求する。人種・ジェンダー・学歴・所得・障碍・嗜好・生物的差異……、「平等」に向かって邁進することで次々に差異を見つけ出し、アメリカは「他者」だらけになってしまった。その生きにくさが「トランプ大統領」を生み出す土壌になったのであり、トランプが作り出した現象ではない。分断は既にできていて、トランプはその分断を利用し助長したのだ

 大統領選挙の結果がどうあろうとも、アメリカが建国当時に「理想」とした民主国家に戻ることはないような気がする。アメリカだけでなく、グローバリゼーションを経験してしまった後は、どの国も変質してしまった。グローバリゼーションの恩恵を享受した中国も、簡単に西側と縁を切れない。アメリカは、嘗て理想としたような民主国家の在り方が不可能になってしまったのではないだろうか。平等に選挙権が与えられて、民主的な制度があっても、ひそやかにアノクラシ―に変容していくのかもしれない。

 「♬こんなアメリカに誰がした…?」 多分、それは、不平等なものまで平等と見做して、人間の価値を標準化・数値化することで効率や合理性を追求する文明のシステム、——テクノロジーとグローバリズムとメリトクラシーだという気がするのだが……。

 

『アメリカのデモクラシー』トクヴィル著 /岩波文庫 2008

『ナショナリズムの美徳』ヨラム・ハゾニー著 /東洋経済新報社 2021

『それでもなぜ、トランプは支持されるのか』会田弘継著 /東洋経済新報社 2024

『アメリカ保守主義の思想史』井上弘貴著 /青土社 2020

『ファンタジーランド―狂気と幻想のアメリカ500年史』カート・アンダーセン著 /東洋経済新報社 2019

『グローバル時代のアメリカ』(シリーズ アメリカ合衆国史④)古矢旬著 /岩波新書 2020

『世界地図の中で考える』高坂正堯著 /新潮社 1968

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