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気付かなアカン、若者世代をいじめるニッポン!

今週の一曲
命の別名 by中島みゆき

(※ この曲の解説は、表現者criterionメールマガジン『週刊ラジオ表現者、今週の一曲は『命の別名』です。』
https://the-criterion.jp/mail-magazine/20180521/
をご参照ください。以下、抜粋します。)

・・・この曲は「高校教師」や「家なき子」「人間・失格」の野島伸司が脚本を書いたドラマ「聖者の行進」の主題歌として、中島みゆきが直々に書き下ろした一曲。

で、このドラマは、「知的障碍者」が周りの大人たちに虐げられ、搾取され、それに対抗できない無力な姿を描写したもの、でした。

まずはその歌詞をご紹介します。

『知らない言葉を覚えるたびに
僕らは大人に近くなる
けれど最後まで覚えられない
言葉もきっとある

何かの足しにもなれずに生きて
何にもなれずに消えてゆく
僕がいることを喜ぶ人が
どこかにいてほしい

石よ樹よ水よ ささやかな者たちよ
僕と生きてくれ
くり返す哀しみを照らす 灯をかざせ
君にも僕にも 全ての人にも
命に付く名前を「心」と呼ぶ
名もなき君にも名もなき僕にも

たやすく涙を流せるならば
たやすく痛みも分かるだろう
けれど人には
笑顔のままで泣いてる時もある

石よ樹よ水よ 僕よりも
誰も傷つけぬ者たちよ
くり返すあやまちを照らす 灯をかざせ

君にも僕にも 全ての人にも
命に付く名前を「心」と呼ぶ
名もなき君にも名もなき僕にも
命に付く名前を「心」と呼ぶ
名もなき君にも名もなき僕にも』

・・・

このドラマは確かに「知的障碍者」を扱うドラマでした。

ですが、誤解を恐れずに言うなら、「まじめに生きる(若)者たち」は、不真面目に生きてきた大人たちの世界の中では、「知的障碍者」と同じ立場に置かれています。

なぜなら、「心」を亡くした大人たち、年寄り達は、意味のない、空疎な言葉をもてあそんでいるからです。

オフィスで、学校の教室で、官庁街で、国会で、そして、テレビやラジオ、挙句には家庭の中ですら―――。

そんな「大人たちの世界」の中は、心ある(若)者たちにとっては、
「最後まで覚えられない言葉」
で満たされています。

だからこの歌の主人公はこう口にするのです。

「知らない言葉を覚えるたびに
僕らは大人に近くなる
けれど最後まで覚えられない
言葉もきっとある」

つまり、「心」をまだ失ってはいない(若)者たちは、「大人」ならば誰でもたやすく口にできる、出世や金儲けやマウンティングや媚びるため「だけ」にある「心」とはなんの縁も所縁もない言葉を上手く操ることが「できない」のです。

だから、当然、心ある(若)者たちは、孤立していきます―――。

でも、この世に生まれ落ち、そして「心」を持つものならば誰もが

「何かの足しにもなれずに生きて
何にもなれずに消えてゆく
僕がいることを喜ぶ人がどこかにいてほしい」

と思わないわけにはいきません。

だから致し方なく、この(若)者は、こう心の中で叫ぶのです。

「石よ樹よ水よ ささやかな者たちよ 僕と生きてくれ」

この世の「立派な大人たち」がすべて、「空疎な言葉を操る、空疎な大人」であっても構わない、せめて、石や樹や水、そしてささやかな者たちが、私と共に生きてくれればそれでいい―――。

つまり、共に生きるものが、ささやかな者であってもいいし、それが難しいなら石でも樹でも水でもいい――

この(若)者は、そこまで可能な限り、極限にまでささやかなささやかな、小さな願いを持つだけに留めているのです――。

ただし、それでもなお、絶対に譲れない「一線」がある。

それこそが、「心」です。

「心」さえあるなら、
過ちがあってもいいし、
哀しみがあってもいいし、
私や貴方の名前すら要らないし、
わたしやあなたの区別すら要らない――

でも「心」なきものなら、
あらゆるものを絶対に許さない。

だから、中島みゆきは心を震わせながら、こう大声で叫ぶのです。

「くり返すあやまちを照らす 灯をかざせ
君にも僕にも 全ての人にも
命に付く名前を「心」と呼ぶ
名もなき君にも名もなき僕にも」

・・・この詩、そして歌は、きっと、「心」ある方ならば、若者であろうと年配であろうと、その「心」を必ず「灯す」力をもっているのではないかと――思います。

   (以上、抜粋終わり)

今週のテーマは「気付かなアカン、若者世代をいじめるニッポン!」。デフレ経済の下では、資産を持つ高齢者が得をし、これから資産を形成する若者は割を食う。若者のための投資を怠る国に、未来はない。

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