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【藤井聡】週刊ラジオ表現者、今週の一曲は『命の別名』です。

藤井 聡

藤井 聡 (表現者クライテリオン編集長・京都大学大学院教授)

みなさんこんにちは、
表現者クライテリオン編集長、京都大学の藤井聡です。

本誌クライテリオンでは、
メディアミックスの一環で、このメルマガに加えて、
毎週月曜日、夜9時半からKBS京都、にて

「週刊ラジオ表現者・藤井聡 あるがまま日本 京都」

を放送しています。
https://the-criterion.jp/category/radio/
(※ 過去の番組は↑掲載のyoutubeかMP4を)

この番組では毎週、
雑誌での議論や時々の時事問題をお話していますが、
時折、ゲストの方にもお越しいただいています。

今週は、クライテリオン編集委員の柴山さんに
ゲスト出演いただきました。

そして今晩(5月21日)の放送分で、
柴山さんに決めていただいたテーマは、

『気付かなアカン、若者世代をいじめるニッポン!』

今のこの「デフレ」の中で、
若者世代がどれだけ厳しい状況に追い込まれているか、
それは経済的にも社会的にも
客観的状況やデータを見れば一目瞭然、

なのですが、年寄りたちは偉そうに
「今の若者は内向きだ内向きだ」と批判し続ける。
それに反論すると、
「まぁ、とにかく僕たちはもう、
そろそろこの世からオサラバするから関係ないけどね」
なぞと言い出す始末。
こんな滅茶苦茶に理不尽な年寄り達に抑圧されている中、
中には「白旗」上げてシッポを振り始める奴も出てくる。
この惨状にそろそろ、若者達は気付くべきではないか――?

―――というようなお話で、
柴山さんとアシスタントの吉田美奈さんの三人で
大いに盛り上がったのですが―――

(※ 詳しくは今晩、是非、直接ラジオかラジコ
あるいは、その後公開するyoutubeかMP4でお聞きください!)

その中で、柴山さんの選曲で紹介した「今週の一曲」が、
中島みゆきの「命の別名」

この歌、是非、一度、じっくり聞いてみてください。
(ネット上ではオフィシャルな動画は流れていませんが・・・)

個人的には今まで、恥ずかしながら
中島みゆきを「じっくり」と聞いたことはなかったのですが、
改めて聞いて、その詩と歌の力に、まさに圧倒されました。

ホンットに凄い、の一言。

この曲は
「高校教師」や「家なき子」「人間・失格」の
野島伸司が脚本を書いたドラマ「聖者の行進」の主題歌として、
中島みゆきが直々に書き下ろした一曲。

で、このドラマは、
「知的障碍者」が周りの大人たちに虐げられ、搾取され、
それに対抗できない無力な姿を描写したもの、でした。

まずはその歌詞をご紹介します。

 知らない言葉を覚えるたびに
 僕らは大人に近くなる
 けれど最後まで覚えられない
 言葉もきっとある

 何かの足しにもなれずに生きて
 何にもなれずに消えてゆく
 僕がいることを喜ぶ人が
 どこかにいてほしい

 石よ樹よ水よ ささやかな者たちよ
 僕と生きてくれ

 くり返す哀しみを照らす 灯をかざせ
 君にも僕にも 全ての人にも
 命に付く名前を「心」と呼ぶ
 名もなき君にも名もなき僕にも
 (以下の歌詞はコチラで御覧ください)

・・・

このドラマは確かに「知的障碍者」を扱うドラマでした。

ですが、誤解を恐れずに言うなら、
「まじめに生きる(若)者たち」は、
不真面目に生きてきた大人たちの世界の中では、
「知的障碍者」と同じ立場に置かれています。

なぜなら、「心」を亡くした大人たち、年寄り達は、
意味のない、空疎な言葉をもてあそんでいる
からです。

オフィスで、学校の教室で、官庁街で、国会で、
そして、テレビやラジオ、
挙句には家庭の中ですら―――。

そんな「大人たちの世界」の中は、
心ある(若)者たちにとっては、
「最後まで覚えられない言葉」
で満たされています。

だからこの歌の主人公はこう口にするのです。

「知らない言葉を覚えるたびに
僕らは大人に近くなる
けれど最後まで覚えられない
言葉もきっとある」

つまり、「心」をまだ失ってはいない(若)者たちは、
「大人」ならば誰でもたやすく口にできる、
出世や金儲けやマウンティングや媚びるため「だけ」にある
「心」とはなんの縁も所縁もない言葉を
上手く操ることが「できない」のです。

だから、当然、心ある(若)者たちは、
孤立していきます―――。

でも、この世に生まれ落ち、
そして「心」を持つものならば誰もが

「何かの足しにもなれずに生きて
何にもなれずに消えてゆく
僕がいることを喜ぶ人がどこかにいてほしい」

と思わないわけにはいきません。

だから致し方なく、この(若)者は、
こう心の中で叫ぶのです。

「石よ樹よ水よ ささやかな者たちよ 僕と生きてくれ」

この世の「立派な大人たち」がすべて、
「空疎な言葉を操る、空疎な大人」であっても構わない、
せめて、石や樹や水、そして
ささやかな者たちが、
私と共に生きてくれればそれでいい―――。

つまり、共に生きるものが、
ささやかな者であってもいいし、
それが難しいなら石でも樹でも水でもいい――
この(若)者は、そこまで可能な限り、
極限にまでささやかなささやかな、
小さな願いを持つだけに留めているのです――。

ただし、それでもなお、
絶対に譲れない「一線」がある。

それこそが、「心」です。

「心」さえあるなら、
過ちがあってもいいし、
哀しみがあってもいいし、
私や貴方の名前すら要らないし、
わたしやあなたの区別すら要らない――

でも「心」なきものなら、
あらゆるものを絶対に許さない

だから、中島みゆきは、心を震わせながら、
こう大声で叫ぶのです。

「くり返すあやまちを照らす 灯をかざせ
君にも僕にも 全ての人にも
命に付く名前を「心」と呼ぶ
名もなき君にも名もなき僕にも」

・・・この詩、そして歌は、
きっと、「心」ある方ならば、
若者であろうと年配であろうと、
その「心」を必ず「灯す」力を
もっているのではないかと――思います。

この歌に
そして、この歌が暗示する
今の若者達がおかれている状況のお話にご関心の方は、
是非、週刊ラジオ表現者、お聞きになってみてください。

(※ 関西でラジオを聞かれる場合は
本日21日夜9時半からAM 1143kHzにて、
それ以外の方は、当サイトで公開するyoutubeかMP4でお聞きください。

※ 週刊ラジオ表現者のネットで定期聴取いただくには是非、「YouTubeチャンネル」にご登録ください。)

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