休日に町を歩くと、小さい子供を連れた父親とすれ違うことが多くなったように感じる。彼らは満面の笑みで子供を肩車し、おんぶし、買い物を楽しんでいる。母親は大概、その隣で楽しそうに付き添っているが、たまにそのような夫を尻目にスマートフォン操作に勤しむ光景に出くわすこともあった。
ドラマも映画も、家族の大切さを訴えるものが増えてきている。仕事に心身を捧げ、家族サービスを怠る父親は悪役か、破滅的な失敗者として描かれることが多くなっている。いかなる戦争も家族を破壊する最悪のイベントであり、邦画・洋画問わずに、「御国のために命を懸けて戦ってきなさい」などと本気で口走る人物は、悪の手先か、愚か者だという設定でシナリオが作られているように感じる。もちろん、例外もいくつかあるが。
私は昭和を直接には知らない世代である。高度経済成長期にインフラが整備されていき、ビルが次々と立っていく様子を映像でしか見たことがない。しかし、あの頃は、仕事一辺倒の人間、企業戦士たちが、現在よりは評価され、尊敬された時代だったようだ。上司は主君であり、義理人情は美学であり、出世は名誉であった。そこにパワハラもいじめもあったようだが、おそらく敗戦の空洞を埋めたであろう彼ら自身の「大義」のかけらを、私は当時の書物や映像や巷の会話から、はっきりと感じることができる。彼らはまた、仕事仲間との交流を大切にし、家族をないがしろにしたのだと断罪される。疲れ切った数少ない休日には、子供の世話を妻に押し付けた。もし教育的に問題があるとみなせば、旧日本軍の上官のように、遠慮なく体罰を加えた者もいた。最早、彼らは「戦犯」なのだというイメージが現在の主流だろう。
ある時期、おそらく不景気や社会不安の気配漂う平成の始めから、この父親像が徹底的に改められていったのだと思う。
確かに欧米と比べ、日本の生産性は劣っていたようだし、余暇を取らないことは精神的に本人を追い詰める場合もある。家族と休日にレジャーや買い物をすることで、経済的に社会の活性化につながる面もあるであろう。女性の過度な負担が軽減されたケースもあるだろう。高齢化の進んだ地域社会に、余暇を得た働き盛りの男性が戻ってきたということで、行事や祭りに活気が出てきた地域もあるようだ。
一方で「そこまで仕事を頑張らなくていい」という見方が正当化され始めてきた。初めは「無理しない」という意味合いだったと想像するが、次第に「仕事を頑張ること」が格好悪い、そして「頑張る」ことこそが健康を害する原因なのだと過度に主張されているのではなかろうか。しかし、もし、仕事を頑張ることに対して、世間一般が肯定的な評価を下されないとすれば、それでも仕事を頑張る(あるいは頑張らなければいけない)人たちは、一体どのような言い訳をするのであろうか。
ある休日、コンビニ店内で小学生ぐらいの男の子を肩車していた父親は、流石に疲れたのであろうか、男の子を床に降ろした。男の子は笑顔で一目散に駆け出した。父親はわが子の成長をほほえましく思ったのであろうか、何やらとてもうれしそうであった。男の子は新種のゲームソフト(今はコンビニでもゲームソフトを買うことができるようだ。)を指さして、買ってほしいのだと懇願している。この間、買ってあげたばかりだろうと、父親は一瞬、顔が曇る。そして、不安気に、チラと店内を見渡して、やはり今日はダメだと、息子を諭す。息子はすぐに、ズボンのポケットから、ポケットゲーム機を取り出して、もうそのゲームはクリアしたのだと、父親に見せようとする。
私はそこまで見聞きして、コンビニを出た。父と息子、何かが、足りない。何かが、すれ違っている。
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