参院選の選挙戦を傍目で見ながらこの論稿を書いている。
「物価高騰」が争点の一つになっている。有権者の実生活に大きく関わることであり、むべなるかな、大いに政策論争してもらいたい。
一方、私はここでガソリンの補助金をどうするだの、金融政策の見直しをどうするだの、これら巷間行われている論争からは離れ、「物価高騰」について別の角度から、少し話を広げて愚見を披歴したい。
結論から言えば、我が国の独立や繁栄、私たちの生存が結局グローバリズムの上に築かれた「砂上の楼閣」に過ぎないこと、この本質的危機を直視しない現在の政策論争は弥縫策に過ぎないこと、当事者たる私たちに全く危機意識がないこと、この3点だ。
例えば、食品価格の高騰。これはあくまでも現象であり、その背景には我が国の食料自給率の悲惨的な低さ、小麦や大豆など主要作物から飼料に至るまで輸入に頼りきっているという危機的状況がある。広大な耕作放棄地を放置し、食品を大量廃棄し、大食い番組でバカ笑いし、食べ放題店が軒を連ねる一方で、食料をガンガン輸入するこの国の民は金さえ払えば何でも、いつまでも手に入ると思っていないか。気候変動や紛争、人口増加などにより世界の食料事情は決して楽観できないにもかかわらずだ。「いざとなったら食い物のある国が生き残るのだ」(野坂昭如)。経済的繁栄で高慢になった考えは変えなければいけない。
食料はほんの一例で、石油や天然ガスのエネルギー、その他の資源も同様だ。いずれも国家存立には絶対に欠かせないものだが、ほぼ輸入に頼りきっている。ある地域で紛争が起こったり、円が安くなったり高くなったりするだけで、国家存立が易々と揺らいでしまう。つまるところ、我が国の独立や繁栄、私たちの生存は自らの掌中になく、他国やグローバル企業、金融資本などの掌中にあり、その思惑に左右される「砂上の楼閣」でしかない。
はたして政治家も有権者もこの本質的危機を直視しているだろうか。答えは残念ながら否だ。大いに否だ。
物価高騰への対策は当然すべきだ。だけれども、問題の本質はそこにないのだ。議論がズレてるのだ。急場はしのげても根本的解決にはならない。本質は何か、本質は奈辺にあるのか、政治に臨む態度はかくあるべきだ。政治家も有権者も。
我が国も国民も高所で綱渡りしているようなものだ。当人らは自覚していない。呑気な顔で歩いている。しかし、横から他国やグローバル企業などに押されれば、あっという間に奈落の底だ。それほどこの国の足元は脆弱なのだ。「砂上の楼閣」の上で国防費の増加だ、平和外交だ、敵基地攻撃能力の保有だ、などと言われても私は苦笑しかない。児戯に等しいではないか。
この論稿が掲載されるまでに参院選の結果は出るが、結果如何にかかわらず、本質的危機は依然残っている。即効薬はない。グローバリズムの見直しも急務だ。危機の本質を見極め、この国を建て直す。そのための国民的議論を始めようではないか。
林文寿(岐阜支部)
2024.10.15
御子柴晃生(農家・信州支部)
2024.10.15
吉田真澄(東京支部)
2024.10.15
羽田航(53歳・派遣・埼玉県)
2024.10.15
川北貴明(34才・芸術家・大阪府)
2024.10.15
九鬼うてな(17歳・生徒・京都府)
2024.10.15
近藤久一(62歳・自営業・大阪府)
2024.10.15
前田一樹(信州支部、39歳、公務員)
2024.07.25
奥野健三(大阪府)
2024.07.25
たか(千葉県、41歳、イラストレーター)
2024.07.25