5月21日のクライテリオンシンポジウムに参加しました。
小幡敏氏の本を中心にいろいろ議論があったのですが、正直言って、日本人であることが恥ずかしいような気持ちになりました。
「日本人のイヤなところばかり突きつけられて、暗い気持ちになった。日本人と して希望が持てるような話を聴けないだろうか」との質問が若い人からあったとき、「実態をしっかり認識することが、次のステップに繋がる」というお話をされたように思います。
コロナ禍でイヤというほど露呈した、日本人の出鱈目さにうんざりしているの で、なかなか次の一歩に確信が持てません。
日本人に自分が日本国の一員であるという自覚が乏しいのは、そもそも江戸時代まで、日本列島に住む人間に「日本国民」であるというナショナリズムがなく、自分たちは己の属する村落共同体の一員であるという意識しかなかったからじゃないか、その習性が今でも残っているからじゃないかと思えます。武士にしたってせいぜいが己の属する藩の藩士であったり、江戸に住む旗本だったわけで、「日本国」に忠誠を誓っていたわけではありませんから、「日本国」という概念は明治になってから、天皇制というもので統合をはかったものでしょう。天皇制は日本に住む人々が天皇に対して持つ自然の敬愛の念とは異なります。
法による支配と立憲主義は違います。
明治憲法は、薩長明治国家が曲がりなりにも西洋と同じように近代国家をつくるために制定したものであるけれど、日本国憲法に至っては、そもそもわれわれ日本国民が、厳格に則らねばならない法であるのかということ、9条云々以前に考えさせられます。
「居住・移転の自由」から来る移動の自由であったり、「財産権」から来る営業の自由が侵されても平気でいられるのは、日本国憲法が自分たちのものという感覚がないからに思えます。
そうすると日本には、そもそも個人が確立されていないから、欧米流の民主主義が根づかず容易く「衆愚政治」に陥っていくわけも納得できます。
欧米流の民主主義をこの2世紀あまり、欧米は世界に押しつけてきました。
その破綻はいま明らかになってきているのではないでしょうか。
欧米流の民主主義が肌に合わないということを日本の悪であるかのように考えるのは、間違いなのじゃないかと思えます。 では、日本の長所は何でしょうか。
日々の生活を大事にし、素直であること、上に立つ者に従順であること、ものを大切にし、長く大事にすること、自分の身体も大事に清潔に保つことなどです。
日本人の素直であることを善であるとするなら、徳のある立派な人には、素直に従えるということではないでしょうか。
ノーブリスオブリージュという言葉がありますが、この言葉の意味を身に付けた人が一人でも多く上に立っていくことが善と考えられるのではないでしょうか。
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