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亀山郁夫先生へ、インタビューへの感想

福井勝也(東京都、68歳、文筆家)

 

 『表現者クライテリオン』9月号、「特別インタビュー」読ませて頂きました。

 情報源が益々偏って来ているように感じる昨今のロシア・ウクライナ戦争報道にあって、今こそ、いやできればもっと早く、そしてより広範に、レクチャーされて然るべき内容の記事であると感じました。

 本誌は、当方が西部氏編集の時代から時折購入して来たオピニオン誌です。先生の今回インタビュー記事は、貴重な掲載機会になったと思います。

 お話では、その鍵になる「語彙」の一つひとつ、その背景に深く惹かれました。

 それら「受動性」「全一性」「熱狂とユーフォリア」そして「ノスタルジー」まで来て、特にその終わりの言葉。

 

 

 「最終的に、ウクライナ戦争を救うものは、兵士たちのこのノスタルジアの感覚なのかもしれない、と思ったりします。戦争放棄、そして帰郷です。」

 

 これには不意を突かれ、この戦争の「終末」を幻視するような不思議な感覚が残りました‥‥。

 さらに自身も気になっていたのですが、米国の元国防大臣マティス氏の発言を引用されて、その「ドストエフスキー → プーチン」の間に、「ラスコーリニコフ」を挿入されたこと、その納まり具合に愕然としました。

 つまり、その説明がまずあって、

 

「マティスが念頭に置いたのは、明らかに『罪と罰』の主人公ラスコーリニコフです。ラスコーリニコフと同じ目的至上主義が現れると、社会全体にテロリズムの嵐が吹き荒れますが、歴史はそれを正当化してきた事実がある。」

 

 さらに続けて、その結語が語られました。

 

「しかしそれを現代に持ち出すのは、プーチンがすでに歴史の外に出ていることの証です。」

 

 この言葉をお聴きして、この戦争のもう一つの「終末」を想像させられ恐怖すら覚えました。

 

追伸
 但し、僕は「ドストエフスキーは、プーチンの戦争は認めない。」と思っていることも、この「感想」に付け加えさせて頂きます。
暑さとコロナが続いています。

 どうぞ、なお一層のご自愛のうえお過ごしください。