こんばんは。表現者クライテリオン編集部です。
いよいよ明日発売!最新号『表現者クライテリオン2023年11月号』の特集タイトルは、
本日は本誌編集長の藤井聡先生による「特集によせて」を公開いたします。
本特集の企画趣旨をご一読いただくとともに、ご関心をもたれましたら是非ご購入予約の方をお願いいたします。
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いうまでもなく、人類、そして国家や社会の存続と発展・繁栄の為に「医療」は極めて重大な役割を 担う。しかし、だからといって医療水準を無限に上昇させていく事が掛け値なしに是認されるべきな のかと言えば、決してそうではない。それによって「失われる」ものが生ずるからだ。
その代表的なものが、逆説的にも人々の「健康」だ。
「薬の過剰摂取は体に毒」がその典型だが、特定医療行為の「副反応」によって「トータル」として人々の健康を毀損するという事態は常に起こり得る。例えばコロナ感染症をロックダウンによって抑え込もうとした時、それによる経済的社会的被害がそのロックダウンの「効果」を上回る事もあり得る。
とりわけ今日では、政府支出の増大を忌み嫌う政府(財務省)が、支出拡大を最小限に食い止めつつ医療財源を「確保」するために、医療以外のあらゆる支出を削減し、各種増税を図り続けている。政府(財務省)はそれを実現するために「プライマリーバランス(PB)規律」と呼ばれる財政規律を導入するに至っている。そして、そうした支出カットや各種増税でデフレが加速し、貧困格差が拡大し、国力衰退が導かれる、という深刻な社会的副作用が生み出されてしまっているのである。
無論、貨幣論的に考えればそうした緊縮的態度は不合理極まりないものではある。
しかし、「過剰医療が政府の緊縮財政を導いている」という事が厳然と存在してしまっているのであり──いわば「過剰医療こそがPB規律の母」だったのだ──、それが現代日本の悲しき実態なのである。
しかも仮に現代貨幣理論に基づいて医療費の支出額の上限をインフレになれば引き下げデフレにな特集によせて れば引き上げるという、いわゆる「帰納的財政論」と呼ばれる財政態度が倫理的に許容されるかと言えば、甚だ疑問でもある。短期的な経済状況にあわせて人間の命の価値を決める様な財政運営が倫理的に許容されるとは考え難いからだ。しかも、過剰なインフレが導かれて「経済」自体が破綻してしまう程の巨額医療支出を継続し続ける事もまた、やはり許容され得ない。
つまり、積極財政を理論的に強力にサポートするあの現代貨幣理論ですら「過剰医療は不条理なり」という命題を否定する事ができないのである。
では、なぜ我々の医療は不条理な「過剰」と言い得る水準に達したのか──その背後にあるのは「生命至上主義」という名のニヒリズム(虛無主義)だ。あらゆるものの価値を虛無に帰すニヒリズムでは、どんな者でも容易くその重要性を理解できる「生命の価値」が逆説的に肥大化し、その重量は地球をすら超越する。こうして「命は地球よりも重い」という台詞を口にし続ければ、それを守る医療以上に重大な事など何も無くなってしまい、医療の為にあらゆる犠牲が払われる事になる。そしてその「巨大な犠牲」故に我々の文明は今、滅びつつあるのだ。
しかもそこにビジネス主義者や拝金主義者が混入すれば、彼らはホンネでは全く信じてなどいない生命至上主義の衣を身にまとう事を通して過剰医療を強烈に加速させる事に成功し、効率的に患者達と政府から大量のマネーを吸い上げ続けるビッグ・ビジネスを完成させる事になる。それは合法的大規模詐取と呼ぶべき事態であるが、残念ながら今日の日本の医療界には、そうした事態が徐々に拡大しつつあるのである。
本誌では、日本においてとりわけ顕著なものとなりつつある、ニヒリズムに裏打ちされた生命至上主義に貫かれた現代の文明はもはや「病院文明」と呼ぶに相応しいものに「堕落」してしまっている事を描写する。そしてそこで横行する過剰医療の恐るべき不条理を明らかにすると共に、その超克の術を考える特集をここに企画した次第である。
表現者クライテリオン編集長 藤井聡
執筆者 :
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