特集対談 自由と民主だけでは 「保守政党」にあらず/伊吹文明×藤井聡

啓文社(編集用)

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本日は6月14日発売、『表現者クライテリオン2024年7月号 [特集]自民党は保守政党なのか?』より、特集対談「自由と民主だけでは 「保守政党」にあらず」から一部をお送りいたします。

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自民党が目指すべきは、日本人にとっての「伝統的規範」を拠り所とする現実重視の保守政党である。

 

「ポピュリズム的リベラル」へのアンチテーゼとしての「保守」

藤井 今回の『クライテリオン』では、「自民党は『保守政党』なのか?」という特集を組んでおりますが、この特集を組むにあたっての背景が二つあります。一つは、「自民党は保守政党である」と綱領で掲げている一方で、先生のご著書『保守の旅路』(中央公論新社)でも引用されているハイエクやアレクシス・ド・トクヴィルといった思想家たちが論じていた「保守思想」の観点からすると、少なくとも現在の自由民主党は極めて新自由主義的であり、「保守」とは言い難いということです。小泉構造改革をはじめとして、伝統が失われていくような方向でさまざまな改革を行ってきたわけですが、こういった経緯を踏まえると、「自由民主党は『保守政党』なのか?」という疑問が出てくるところであります。

 もう一つは、安倍政権が誕生した頃から、諸外国あるいは国内の左派の方々から「日本は右傾化している」と指摘されることが増えてきました。あるいは、維新の会や日本保守党、参政党といった政党が「保守」を標榜しており、少しずつ勢力を拡大しています。こうした状況は、最も「保守」を体現すべき自由民主党が、その国民の期待を反映していないことの必然的帰結のようにも思える一方で、そうした今日の流れは本当に日本が「保守化」していることを意味するものか否かという疑問もあります。

 そうしたことも踏まえ、「自由民主党は『保守政党』なのか?」という特集を組むことで、改めて日本のあるべき姿を考えたいという思いでおります。伊吹先生はご出身の京都大学に在学中、「保守」を学問的、思想的に学ばれ、それを政治の中で具現化されようと努めてまいりましたし、自民党が下野していた時に設置された政権構想会議の座長として自由民主党は「常に進歩を目指す保守政党である」という現在の綱領をまとめるのに尽力されましたこともあり、自民党と保守の関係についてはぜひ伊吹先生からお話をお伺いしたいと思い参上した次第です。

 ついてはまず、「自由民主党は『保守政党』なのか?」という言葉に対しての印象、あるいはこの疑問形に対するお答えがあればお伺いしたいと思います。

伊吹 藤井先生はいろいろなことをご理解された上でご質問されているのだと思いますが、「保守」とは何かを明確に定義し、共通認識を持たないといけないと思います。安倍さんのことを「右傾化している」と言っていた人がいますが、「右」と「左」とは何なのかもしっかりと定義しないといけません。「右」と「左」とは、たまたま議会で権力を持っていた与党が右側に席を占めていた一方で、反対の人々が左側に座っていただけのことであって、右翼だとかレッテルを貼るのは、メディアを含めて間違っていると思います。

藤井 最近だけでなく、戦後日本のメディア空間において長年にわたる言葉の歪みがあったということですね。

伊吹 そうです。「保守」についても同じようなことがあります。自民党が下野した際に、当時の谷垣総裁のもと政権構想会議を私がお預かりして、政権を取り戻すためにいくつかのことをやりました。「党が生まれ変わった」ことを示さないといけないので、綱領を変えようという話になった。

 私は当時も今も、自民党が「保守政党」であるとは思っていません。ただ、当時の民主党は、バーク流にいえば「非暴力的ポピュリズム革命」で政権を取った。バークは『フランス革命の省察』の中で、ポピュリズムにより大衆を駆り立てて暴力革命で権力を取った後、現実の前に呆然と立ちすくんでしまい、結果的に再び混乱になることを危惧しました。ナポレオンによる帝政復活でそれが現実となった。当時の民主党は暴力は使っていませんが、ポピュリズム的な言葉の武器を使って、「無駄さえ省けば何でもできる」です。彼らは社会主義者や共産主義者ではなく、自由と民主主義を前提にしている政党であり、どちらかというとポピュリズム的リベラル色が強かった。それに対するアンチテーゼを提示しなければいけなかったので、あえて「進歩を目指す保守政党である」と書いたのです。これは総務会で満場一致で承認され、党大会でも承認されています。

 本来、綱領は党の憲法ですから守らないといけないのだが、厳密に綱領に絶対に従わせるとなると、例えば「代表を公選しろ」と言った党員を除名するのと同じ統制になる。それが主張のはっきりしないという、藤井先生の懸念にもつながっている。自民党は、現実を忘れずに問題を処理してきた政党ですが、保守もいればリベラルもいる。文字通り自由と民主制の政党なのが現実です。

 小選挙区制度は、自由という意味からすると極めて統制的な制度です。『保守の旅路』にも書いていますが、政治改革の議論があった時、小泉純一郎さんは「小選挙区制は絶対にいかん。定数が一つしかない選挙制度を作ると、公認権を持つ者に権力が集中する。同時に、公費で補助する政党助成を入れてしまうと、その配分権を持つ党執行部の権力が強くなりすぎて総裁の独裁になる」と反対した。当時はまだ田中派支配で、小泉さんたち清和会はずっと忍従を強いられていた。しかし、小泉さんは権力を取った途端に郵政解散をして、公認権を自由自在に使って刺客を送り、私の地元では野中広務さんの政治生命を奪ってしまった。どのような制度にも長所と短所は必ずあります。それを使う人間によって長所も短所となる。

 

「お天道様」と「世間様」が保守の拠り処

伊吹 我々が子供の頃に言われた言葉に「お天道様の下を歩けないようなことをしてはいけない」があります。「世間様が見ているぞ」とも言われました。バークに倣えば、自由と民主は大切だが、自由にも欠点がある。わがままと権利の主張をしっかりと分けられない人がいるということです。民主主義にしても、SNSで煽られるとそれを信じてしまったり、自分のことや目先の損得で票が動く。それが暴力として現れたのがフランス革命です。

 しかし、ハイエクも言っていますが、一人ひとりの個人は間違うので謙虚さを持つべきであり、大勢の人が決める方が失敗が少ない。だから、統制経済・計画経済より市場経済が良いし、独裁よりも民主主義が良い。しかし、民主主義にもポピュリズム化する欠点があるし、自由競争だけでは利益のためには何をしてもいいということも起こる、結果的に社会が分断される。その時に立ち戻るべきものが「世間様」であり「お天道様」です。社会の秩序は法律や刑罰で護られているように思うが、それ以上に大切なのは「暗黙の約束ごと」、伝統的規範です。人間が迷った時は、一度「伝統的規範に立ち戻ってみる」、これが「保守」の肝で、お天道様です。

藤井 それが日本人としての「保守」の姿勢だということですね。

伊吹 「日本人としての」とおっしゃったのはまさにその通りで、バークが言っているのは、立ち戻るべきものが民族によって少しずつ違うということです。日本人は農耕民族ですし、明治維新の時の国家神道は別にして、それ以前の世俗神道、仏教、そして儒教によって日本人の「世間様」、「お天道様」が形成されている。

藤井 ほぼ英訳が困難な概念ですね。「世間様」は“Public”とはちょっと違いますし、「お天道様」もまさか“Sun”ではないですからね。

伊吹 ヨーロッパのキリスト教文化では、「天にまします我らの神」と私たちを繋ぐのはイエス・キリストただ一人です。だから、西洋文化は極めて排他的で自己主張が強い。そういう中から十字軍のように、違うものは暴力を使っても排除し、自己を貫く。

 日本の場合は八百万の神様がいて、仏教で如来様もいくつかおられるし、菩薩様にいたっては何百とおられる。日本の「お天道様」、「世間様」を理解するには、神道とは何か、儒教とは何か、仏教とは何かを学ばないといけない。そういうところから、バークの言う民族によって違う保守の拠り処のようなものが出てくるのだと思います。ハイエクの表現でいえば「自生的秩序」です。

藤井 仏教も儒教も神道も、日本という風土の上に自生する一本の樹木のようなものだということですね。

伊吹 そうです。僕は第一次安倍内閣の安倍さんが一番好きで、彼と一緒に教育基本法改正もやりましたが、第二次安倍内閣は第一次のようなピュアな感じではなくなりました。彼の考えを忖度すると、自説だけを貫いていると、反対する人が出てきて権力を失ってしまう。その結果、とんでもない政権が出てくるのは国民のためにならない。我慢しつつということでしょうね。第一次安倍内閣のような形で権力を維持できるくらいに多くの日本人の投票行動や信条が磨かれれば、自民党は「保守政党」たり得たと思います。だが、投票は政治理念だけでは動かない。現実は理論・理屈だけでは処理できない。

藤井 なるほど。第一次安倍内閣では「戦後レジームからの脱却」という象徴的な言葉がありましたよね。一般的な解釈としては、GHQを中心とした「戦後レジーム」によって大きく歪められた日本民族という「自生的秩序」の樹木をもう一度生い茂らせるための試みだったと思います。それを目指していたのだとすればまさに戦後政治の総決算となるわけですから、私は大きく期待していたのですが、おそらくは「戦後レジームの脱却」と言ってしまったがゆえに長く続かなかったのでしょうね。

伊吹 そうだと思います。いろいろな立場の人がいますから。

藤井 私は第二次安倍内閣の誕生に際して選挙の頃から政策論の立場からお手伝いしておりましたが、「戦後レジームからの脱却」という言葉はその頃からなくなってしまいました。ただ、その選挙では「日本を取り戻す」という、マイルドではありますが一応は同じ趣旨の言葉を使われていました。

伊吹 これも解釈の仕方によりますが、日本の「お天道様」、「世間様」を再確認しようということです。

 

続きは本誌にて…

 

〈対談者紹介〉

伊吹文明(いぶき・ぶんめい)

昭和13年京都生まれ。生家は文久年間創業の繊維問屋。京都大学経済学部卒業後、大蔵省(当時)に入省、英国駐在、蔵相秘書官を経て、昭和58年より衆議院議員(当選12回)。労働大臣、国家公安委員長、文部科学大臣、財務大臣、自民党幹事長、衆議院議長を務める。令和3年9月議員引退。


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