最新刊、『表現者クライテリオン2024年11月号 [特集]反欧米論「アジアの新世紀に向けて」』、好評発売中!
今回は、特集座談会の一部をお送りいたします。
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藤井▼ 今回の本誌では「反欧米論──『アジアの新世紀』に向けて」という特集を企画いたしました。産業革命から二十世紀後半までは欧米が世界の覇権を明確に握った時代でしたが、二十一世紀に入った頃からアジアの相対的重要度が上がってきています。今後数百年スパン、千年スパンの世界史の中で、欧米中心主義からの転換が起こりつつあるやに思います。こうした歴史観は、この度日本で新しく誕生した石破政権の外交戦略を考える上でも極めて実践的な意義があるものと思います。
例えば、こちらのグラフをご覧ください。このグラフは、西暦元年から今日までの実際の、そして、近未来までの見込みの、GDPの各国シェアの推移を推計したものです。ご覧のように、産業革命以降、イギリスを中心にヨーロッパの存在感が大きくなっていき、二度の世界大戦を経てアメリカが覇権を握ることになりました。戦後には日本も含めた日米欧の成長が著しく、日米欧のシェアは二十世紀後半には八割から九割を占めていました。
しかし、最近では中国が台頭し、G7の経済的地位がどんどん低下しています。そして今後はインドも拡大していき、二十一世紀中盤頃には中国・インドで、GDPの半分以上を占める一方、日米欧のGDPシェアは半分以下になるであろうことが推計されています。
つまり、少なくともこのGDP推計の視点からいえば、二十一世紀の中頃に日米欧の覇権は終焉し、それ以後は中印が覇権を握るであろうことが予期されているわけです。ただし、こうした中印覇権状態は決して例外的なものではなく、世界史的に見ればむしろ、その方が「平均的」な状態だと解釈することができるものです。ご覧のように、一世紀から十八世紀の産業革命期まで、中印は七~八割前後ものGDPシェアを維持していました。つまり、日米欧が経済覇権を握っていたのは、紀元後においては十八世紀から二十一世紀中盤までの「僅かな期間」に過ぎなかったのです。
さて、今日の日米欧の覇権の凋落は経済の話に限られたものではなく、政治的にも見られるものです。例えばアメリカでは共和党と民主党との対立が内戦と言われるほどに深刻化しており、ヨーロッパではEUというコンセプトが成功とは言い難い状況になっており、さらにロシア・ウクライナ戦争やガザの紛争も欧米のシナリオ通りに進むとは思えない状況になっています。
さて、こんな日本が世界史の中で世界的プレゼンスを示し出すのは黒船の来航以降ですが、その時に採用したのが「脱亜入欧」という政策ビジョンです。そこから約百年にわたり様々な戦争を戦い、最終的に大東亜戦争で敗れましたが、今日に至るまでずっと一貫して「脱亜入欧」路線を踏襲
しています。今となってはアメリカの属国になり、外交もアメリカ一辺倒、思想に関しても欧米中心主義になっています。「価値観外交」などというものはその典型です。
しかし、先ほど概観したように今や、欧米は大きく弱体化しつつあり、欧米一辺倒の外交の国家的弊害がまさに激しく加速しつつある状況にあります。ついてはこうした中で日本はどのように国を運営すべきか考えようというのが今回のテーマであり、「脱亜入欧」において相対的に軽視してきた「アジア」に目を向けて、もう一度世界を解釈し直す必要があるのではないかと考えています。
片山先生は二〇〇七年に『近代日本の右翼思想』(講談社選書メチエ)という書籍を上梓され、それを皮切りに日本の右翼思想について議論を重ねておられます。近代の日本はあっさりとアジアを捨て去ったわけではなく、実際には多様な議論があり、「アジア主義」や「大東亜共栄圏」、「五族共和」、「八紘一宇」といった思想・理念もありました。つまり、欧米の存在を認識しつつアジアに軸足を置いた思想も展開していたわけです。今一度「反欧米論」や「アジアの新世紀」というものを考えるにあたっては、片山先生が論じてこられた会沢正志斎をはじめとする日本の思想を見直す視座が必要になるはずです。まずは近代日本の右翼思想におけるアジア・日本とヨーロッパとの距離感や思想的な関係について、片山先生が感じられているところをお話しいただきたいと思います。
片山▼ 日本は確かにアジアの一部ではあるのですが、「アジア」や「東洋」という概念は向こうからやってきました。日本は長いこと西洋というものを知らなかった。シルクロードはローマから奈良までという話もありますが、ローマ帝国を日本が政治的に意識することはなかった。日本はまず唐(中国)と天竺(インド)と日本の三国で世界を考えた。「三国一の花嫁」とは「世界一美しい花嫁」という意味です。「三国」に准ずるのは朝鮮でしょうね。幸い日本は島国ですので、外国に乗り込んでこられることはあまりないまま上手にやりおおせてきました。「極東」という概念は西洋を抜きにしても成立していた。端っこの島国は何かと得します。
でも、大航海時代から産業革命に至る時代の流れの中で、ついに西洋の影響力が日本にも及ぶ。それまでの西洋というかヨーロッパは、極東の反対の「極西」ですよ。モンゴルやオスマン帝国などに攻められて危ない目にも遭いましたが、モンゴルだと「極西」の奥までわざわざ攻めて行くほどの値打ちを見出さなかったのでしょう。そんなユーラシア大陸の西の端のヨーロッパが、産業革命を経て一気に世界の中心に躍り出ます。江戸時代の日本人はアヘン戦争の衝撃もあり、このままではヨーロッパの植民地にされるのではないかという危機感を強めていきました。要するに、ヨーロッパが押し寄せてきたからこそ、それまで一緒だと思っていなかった「アジア」を意識するようになったのです。
会沢正志斎の名前を出していただきましたが、鎖国を保ったままで西洋を跳ね除けられると思おうとしたのが江戸後期の水戸学の初心ですね。日本ほどの科学や技術の地力があれば、西洋の文物についての長崎経由の限られた知識だけでも、応用を利かせれば、製鉄や近代兵器の製造まで日本が自力で行えて、軍事的に対抗でき、日本の独立を守れると考えたがったわけです。
しかし、…(後編に続く)
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