本日は10/16発売の最新号『表現者クライテリオン 11月号 この国は「移民」に耐えられるのか?』より、巻頭コラム「鳥兜」をお送りいたします。
川口市の「クルド人問題」をはじめ、移民による治安の悪化がマスメディアやSNSで取り沙汰されることが多くなり、この夏の参院選では参政党の躍進を後押しする要因の一つにもなった。一方、リベラルなメディアや移民推進派の論者からは、「外国人の犯罪は過大評価されている」という反論が唱えられることが多
諸説あって結論が簡単には出せないのだが、たしかにマクロな統計をみる限り、移民が日本の治安を大幅に悪化させているとは現時点では言えない。外国人の犯罪率が日本人のそれより何倍か高いという分析はあるものの、総数でみれば誤差程度の違いに過ぎなかったりするし、在留外国人の数が増え続ける一方で外国人の刑法犯は減少しているというデータもある。
ただ、この種の議論でいつも見落とされているのは、外国人による犯罪や迷惑行為は我々にとって、日本人がはたらく悪事よりも「不愉快」なのだという、素朴な国民感情の問題である。統計的には外国人の素行が日本人に比べて極端に悪いわけではないのだとしても、外国人による一件の犯罪が、日本人によるそれよりも大きな不快感、嫌悪感、恐怖感を催すことは少なくない。
たとえば、在日米軍による邦人女性への性犯罪を、日本人どうしの性犯罪より何倍も「胸糞悪い」と感じる人は多いはずである。また、外国人の旅行者が神社の鳥居や桜の木にぶら下がって悪ふざけをしている動画がSNS等で出回ることがあるが、こういうものを見たときに我々が覚える怒りや悲しみは、言葉にし難い「やりきれなさ」を伴いがちである。直接の被害は同じでも、外国人からの加害は「日本人や日本文化そのものへの侮辱」と感じられやすいし、日本人の不届き者に対しては説教もできようが、相手が外国人となるとそうもいかないからだ。
人間は生まれつき「内集団バイアス」と呼ばれる傾向を持っていて、仲間 (内集団)に対しては肯定的な評価を、よそ者 (外集団)に対しては否定的な評価を抱きやすい。また、よそ者がはたらく悪事は「彼らが持つ本質的な欠陥がもたらしたもの」と捉えるのに対し、身内の悪事は「例外的・一時的・外的要因によるもの」として受け流しやすい傾向もある。これは「根本的な帰属の誤り」と呼ばれるバイアスで、日本人の犯罪や迷惑行為なら「中には悪い奴もいるもんだ」で済むところが、移民の犯罪や外国人観光客の迷惑行為となると、「だから外国人は困る」となりやすい。
そして人間は、「自己効力感」 (自分でコントロールできそうだという感覚)を持てない出来事に対して、より大きなストレスやフラストレーションを抱きがちである。外国人には、我々の手が届かない「母国」という逃げ場がある。それに、言葉や常識を共有していない相手には不快感を正確に伝えることもできないし、教育やしつけによって改善してやろうという気も起きにくい。結果としてそこに溜まっていくのは、やり場のない怒りや無力感である。
これらを不合理な「偏見」や「差別」として非難することは簡単だが、こうしたバイアスは我々の心に埋め込まれた本能で、それ自体はどうしようもないものでもある。無用な摩擦を減らしたければ、外国人の受け入れそのものを抑制するか、内集団の一員とみなせる程度の「同化」を求めるか、平均的な日本人以上に品行方正を心がけてもらうしかない。もちろん我々が外国を訪れる場合も同様で、「よそ者」に向けられる視線の厳しさをよく弁えておかねばならない。それこそが、真の「多文化共生社会」なのではないか。
<編集部よりお知らせ>
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