【特集】神なき時代のAI教
動物、人間、天使、神という系列で考えられてきた「知性」の問題。
そこにAIはどう関わるのか。
納富 信留
AIをめぐっては、近年いよいよ議論が盛んになり、実際、生活や社会や福祉や経済や軍事などあらゆる分野で議論以前にすでに深く浸透していることが指摘されている。AIをめぐって喧しい議論があらゆるところでなされている状況には、過剰で杞憂であるという見方がある一方で、これでも十分に危険が認識されていないという見方もある。おそらくどちらも正しい。つまり、言説が一人歩きして一過的なブームを成している面もあるが、他方で、本当に大切で必要な点は見過ごされている、そんな状況なのだろう。浮つくことなく、冷静に現状と将来を見据えた議論をしていかなければならない。私はAIの専門家ではなく一般的な知識しか持たない者なので、自分の専門分野である哲学から、やや距離を置いた考察を加えたい。
AIは英語のArtificial Intelligence の略号で、日本語で「人工知能」と訳されているが、私は「人工知性」と呼ぶべきだと考えている。「知能」という言葉が使われる背景には、人間に近い知的能力を持つものを作りたいという意図が反映しているのだろう。私たちはIQという略語をよく使うが、それは「知能指数Intelligence quotient」のことである。IQは、知的能力がどれほど高いかを評価する基準である。これに対して「知性」とは基準で測る能力というより、感覚や運動能力と並ぶ機能である。「知性」と言おうが「知能」と言おうがそれほど違いはないと思われるかもしれないが、哲学的には大きく異なる。
「知性intelligence」は、西洋哲学では、古代ギリシア語「ヌースnous」、ラテン語の「インテレクトゥスintellectus」、そしてドイツ語の「フェアヌンフトVernunft(悟性)」と続く重要な哲学概念である。哲学では人間の特性としての知性、そして人間以外の知性が昔から論じられてきた。現代に人間が設計し、コンピュータ上で活動しているAIを「人工知性」と呼ぶことは、これが人間や他の生き物と同様に「知性」という機能を持つ存在であると認めることである。では、その「知性」とはどのようなものか、それが問われる。
大場一央先生に学ぶ「大人の私塾」
第一期生 募集開始
「AI」や近代合理主義の限界が見え始めた今こそ、儒教の基礎から「人間の知性や身体性」の根源を問い直す絶好の機会です。四書の筆頭『大学』を一行ずつ愚直に読み解く通期10ヶ月のレギュラー講座がスタートします。
人間は知性を持つ。それゆえ、古代から「人間は理性的動物である」と定義されてきた。ここで「知性」と「理性reason」の区別は問題にしないが(哲学史上は複雑な経緯がある)、人間が動物という類において、他の動物たちと区別される種差は知的能力だとされた。ミミズやタコやハチやクマにはそれぞれ状況を知覚して判断して行動する能力がある。捕食者が近づいたら逃げたり擬態したり、逆に餌があったらそれに近づいて捕らえようとする。しかし、それは人間のように知覚し判断しながら、推論して行動に移すという類のものではない。種によって程度の差はあれ、見て感じたら咄嗟に反応して動く、つまり、知性よりも本能に基づく条件反射的な行動なのである。それに対して人間は「これか、あれか」を選択肢として提示し、それぞれの可能性を考慮し評価してどちらかに決めるという知的な推論過程を持つ。ここに、人間が他の動物と異なる点がある。
伝統的に「知性」と呼ばれたのはそういうものだが、では、知性は人間だけが持つものかというと、そうではない。人間より遥かに優れた知性を持つ存在、すなわち神や天使がいて、彼らの知性は人間と違って純粋で完全であると考えられていた。つまり、知的存在は人間だけではなかったのである。天使が純粋な知性的実体substantia intellectualis だと考えたのは、トマス・アクィナスら中世キリスト教の神学者であったが、神が完全な知性とする考え方はさらに古代ギリシア哲学に遡る。
前五世紀の哲学者アナクサゴラスは、宇宙が全てが混ざった混沌から始まったとしつつ、そこに純粋な「ヌース(知性)」があり、それが物質の運動を引き起こすことでこの宇宙が秩序づけられたという宇宙論を語った。つまり、知性とは人間が持つ能力ではなく、宇宙全体の原理である。人間がこの宇宙や事物を理解できるのは、その宇宙ヌースの一部に与あずかっているからに他ならない。つまり、人間の知性はごく有限なあり方をしており、宇宙にはより優れた知性があるという考え方である。この見方はプラトンやアリストテレスが哲学的に展開することになる。
プラトンは、知性(ヌース)は時間を超えた永遠不変の存在であるイデアを知の対象とすると考えた。時間を超えた知性というのは、私たち人間のように、「Aである。Bである。従ってCである」というような推論を行わず、全てを一挙に捉える直観である。知的能力には二種類があり、推論を重ねることで順序を辿りつつ時間を経て結論に達する理性の能力と、原理を直接に全体で把握する直観である。これらのうち、前者は後者の劣った像、いわば時間的に引き伸ばされたあり方とされる。
では、神や超越的知性はどのように超時間的な知を持つのか。神は自分の外部のものに出会いその影響を受けて認識を持つという形でものを知るのではなく、自分自身が知の対象でもあるという仕方で知る知性そのものである。これが「自己知」とか「思惟の思惟」(アリストテレス)と呼ばれるあり方で、人間には実現不可能なあり方である。対照的に、人間は身体を持って時間のうちで知性を働かせることで、外部の事物から触発を受けて順に思考を巡らす。つまり、「感じ、考える」という過程が人間の知性の特徴である。
ここでAIに話を戻そう……
続きは本誌にてお読みいただけます。
執筆者 :
NEW

2026.10.19
NEW

2026.10.18
NEW

2026.10.16
NEW

2026.10.16
NEW

2026.10.15

2026.10.13

2026.10.15

2026.10.16

2026.10.16

2026.10.08

2026.10.13

2025.06.24

2026.10.02

2026.03.18

2026.10.13

2026.10.19