【前田 英樹】「人工知能が知能ではないこと」

表現者クライテリオン事務局 (規準社)

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【特集論考】神なき時代のAI教

人工知能が知能ではないこと

AIは何も創造しない。
情報原子を組み合わせる速度、それのみが驚異に過ぎない。
その精神なき機械にいま人間が試されている。

前田 英樹

自然の知能と人工知能

人類史を決定づける真の転換点は、事件によっても戦争によっても来ず、新たな道具の発明によって来る。石器時代に人がどんな戦争をしていたかは、いまさら重要な事ではないが、石器が銅器や鉄器に移行していって生じた変化は、今日でも熟考に値しよう。電気を引き入れて起こした人間生活の変化ほど、人類にとって重大なものはなかった。私たちは、いまもその変化の延長上を生き、そこで争っていると言ってもよいからだ。

二十世紀以降、電子技術の急激な開発で湧き起こって来た人間世界の変化はとなると、これはどこに進んで行くものやら、まだよくわからない。先行きがよくわからないとは、現在起こっている変化が何なのか、まだほとんどの人に見えていないということである。これは人が生きる歴史の常であり、まして新たな文明の技術が人類の生存の形を変えようとしている時には、その度合いは、はなはだしい。

電子技術の発明の先端にいる人たちには、未来が見えているであろうか。彼らに言えることもやはり現在のなか、科学上の技術に関わるごく一部分のことでしかあるまい。その技術が何に用いられて拡大、変形し、人類の思考と欲望とをどう変えてゆくかは、誰にもわからない。わかったふりをして、小利を得ようとするのは詐欺であるが、そういう詐欺は、すぐまた別の詐欺の前に馬脚を現わしている。

新しい事態が、現在を根本から攪乱させているかのように見える時、欺かれない精神にできることは、どんな時にもやはり、ただひとつしかないように思う。それは、その事態を引き起こしているものの元の働きを、すなわち原理を見極めることだ。すると、その原理は、たいていは驚くほど簡明なもの、歴史の発生点からほとんど変わっていないものであることがわかる。これを見極めるのは、自前の意志によって働く人間の精神であって、間違えても人工知能などではない。

AIと呼ばれる情報処理技術の途方もない発達は、なるほど先が見えないところへと拡がってゆくだろう。いまの人が、これを人工知能などと呼びたがるのは、あたかも、そこに、情報の生成とか、発明、創造とかがあるかのように考えてしまうからだろう。実際には、AIがやっていることは、すでに存在する多数の情報の組み合わせだけである。機械がものを産み成す、創造する、というような考え方は、単に原理として誤りであるだけでなく、ほとんど邪教の信仰に近い。

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すでに出来上がった情報は、外側からの分析によって構成要素に分解できる。それらは他の情報から区別するのに必要な、ごく少数の原子にまで解析できるだろう。原子は、Aか非Aか、陽極か陰極かの二つがあればよい、あとはそれらふたつの組み合わせによって、機械は出来合いの意味を何でも示せるし、語らせることもできる。

むろん、情報を構成する原子の数を少なくするほど、組み合わせの数は、それに比例して膨大なものになるだろう。だが、その組み合わせを、一定の条件下で瞬時にやってのける物質媒体が私たちの手に入れば、物を言っているかのように見える機械は、すなわち情報を組成するロボットは、たちまち出来上がるだろう。何も驚くべきことではない。十七世紀のヨーロッパで、物質に関する実験科学が成立した時点で、その可能性の内にすでに含まれていたことだ。

多くの人が何度も言ってきたことだが、AIが貯える情報は、人の知能によって構成され、固定されたものである。それを最小単位の要素に分解し、また組み立て直す、それは機械でできる。人の知能が固定する情報の、その元にある運動は、どこから来るのか、何から生成されるのか、この問いは知能だけでは解けないし、精確に語ることもできない。だが、この運動なくしては、知能による情報の固定作業は始まらないし、AIによる情報の原子解析や再構成などは、なおさらのことである。

AIが生成し、新しく発明するものは何ひとつない。さらにまた、人間の純然とした知能だけが、単独で創造できるものも何ひとつない。創造に関われるものは、知能をはるかに超えた、生命全体から来る能力以外にはない。人工の模造品であれ、自然のものであれ、知能をここまで考える人は案外と、いや実に少ない。人工知能が持つとされる弱点、創造する性質のなさは、自然の知能そのものがすでに持っている。ゆえに、ふたつの知能は、始めから至って相性がよく、協力しやすいのである。

生命に潜在する創造の源

人は、動物である以上、まず生きなければならず、食わなくてはならず、食う獲物を捕らえなくてはならない。そのために為される行動は、文明の進展に応じてどんどん複雑になっていったが、原則は変わっていない。要は役に立つものは取り、立たないものは捨てる。獲物の走る姿に見惚れていては、猟師は鉄砲を撃てない。だから、獲物から運動を捨て、凝固した姿を仮定して引き金を引く。これが、猟師の眼とまったくひとつになって働く彼の知能である。

動物の知覚は有用な行動のために一切が組織され、身体の外側にその対象を描き出すが、人間の知能は言語が固定する観念によって、さらにその対象を計量可能で安定した諸関係に置き換える。運動の知覚から固定した観念へ、観念から数の関係に進むことは、人間の知能が頑強に保つ習性である。

では、人工知能は、何をするか。

続きは本誌にてお読みいただけます。

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