著者紹介
1978年生まれ。文芸評論家。
雑誌『表現者クライテリオン』編集委員、日本大学芸術学部非常勤講師。
東京工業大学大学院社会理工学研究科価値システム専攻博士課程修了。博士(芸術)。
著書に『福田恆存 思想の〈かたち〉――イロニー・演戯・言葉』(新曜社)、『反戦後論』(文藝春秋)、『シリーズ・戦後思想のエッセンス 三島由紀夫――なぜ、死んでみせねばならなかったのか』『小林秀雄の「人生」論』(以上、NHK出版)。
編著に福田恆存アンソロジー三部作『保守とは何か』『国家とは何か』『人間とは何か』(文春学藝ライブラリー)などがある。
内容
『表現者クライテリオン』人気連載記事〈「自己喪失」の近代史〉を大幅加筆し書籍化!!
米欧との”文明の戦い”に挑む「空気」はこうして作られた。
自己喪失とリアリズムの霧散。そこに到るまでの必然を、明治・大正・昭和の数々の事件と、人々の苦悩と葛藤のうちに描き出す。
政治テロはなぜ起きるのか!?
80年前の課題=現代日本が抱える大問題としてとらえ直す一冊――。
目次
第一章 「明治の精神」は、どう終わっていったのか
- なぜ、今「日本近代精神史」なのか?
- 近代化の進展と「武士道」の後退
- 日清戦争と資本主義恐慌
- 煩悶青年とその時代――藤村操と高山樗牛
- 日清戦争の勝利と「時代閉塞」
- 「明治の精神」の終わり――乃木将軍殉死と森鴎外
- 武士道を忘れた日本人
- 〇ラフカディオ・ハーンの近代日本批判
第二章 「教養主義」は、なぜ無力だったのか(大正Ⅰ)
- 第一次世界大戦と『三太郎の日記』――教養主義を支えたもの
- 『三太郎の日記』の語る「教養」
- 「桃色の室」と米騒動――大正教養主義の限界
- 鴎外が語った「型」の喪失
- 山縣有朋の死と近代日本の機能不全
- 梶井基次郎『檸檬』――教養主義の向こうへ
- 〇ブルジョワ的成功者とマスメディアの発達
第三章 「大衆社会」は、何をもたらしたのか(大正Ⅱ)
- 政党政治と揺らぐ〈正統性=レジティマシー〉
- 関東大震災と流行飛語
- 殺風景なモダン都市東京へ
- バラバラになった「主観」――新感覚派の実験
- 「マルクス主義」という名の宗教
- 社会運動急進化の二つの理由
- 中野重治と芥川龍之介――その時代の「転換点」で
第四章 「ぼんやりとした不安」が導いたもの(昭和Ⅰ)
- 芥川龍之介の死とマルクス主義、そして小林秀雄の登場
- 昭和恐慌という「非合理性の打撃」
- 満州事変と昭和維新のテロリズム
- プロレタリア運動の崩壊と日本浪漫派
- 萩原朔太郎の「日本への回帰」
- 「猫町」としての日本近代
- 「文明開化の論理」の終焉
第五章 肥大化する「空気」と、自己喪失(昭和Ⅱ)
- 天皇機関説事件と国体明徴声明
- 二・二六事件を導いた「空気」
- 「機関」でも「主権」でもない天皇制へ
- 近衛文麿のモダン性と復古性
- ポピュリズムと日中戦争
- 日中戦争に対する疲れと疑問
- 後づけの「東亜共同体論」
第六章 日本近代とは何だったのか?
- 「大東亜戦争」開戦前夜の動き
- 欧米という”本当の敵”に向かい合えたことの爽快感
- 「東亜百年戦争」という視点――林房雄『大東亜戦争肯定論』
- 近代日本人の「適応異常」
- 優越感と劣等感のあいだで
- バブルと冷戦構造の崩壊がもたらした「新しい非合理性の打撃」
- 自分で自分が道をつけ、進み得たという自覚を
終わりに――「あとがき」に代えて