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【寄稿】無形の霊性 横山大観の絵を見て

小町(20歳・家事見習い・関西支部)

 

 日本人の心をうつすものは、霞に散りゆく桜の花ばかりではない。どんな時も不動の姿でそこにある富士もまた、古くから数多の日本人の心をうつし、慰め、奮い立たせてきた。言いかえれば、日本人の心そのものでもあった。

 この秋、私は日本画壇の巨匠、横山大観の絵を、一度目は、信州の飯田美術館で菱田春草の絵とともに、二度目は大阪の山王美術館で梅原龍三郎の絵とともに観た。図版ばかり見ていた私は、大観の描いた本物の絵を前に、ひどく感動した。

 大観は、いい絵について「それは作品を見たらあっというだけで、ものが言えなくなるような絵だ。どうだこうだ言えるような絵、言いたくなるような絵は、大した絵ではない」と言ったそうだが、私は大観の絵の前で、そっくりそのまま、そういう反応をしていたことに気がつく。

 今、私は、その時、絵の前で決して言葉にすることができなかったあの感動、考えることさえ出来なかった何かを、自分の記憶をたどりながらつきとめてみたいのだ。

『もつと深いところにある「日本人であるのだ」という個性を腹の底から認める――私が繪を描いている自信も喜びもここに根ざしているのです』

 大観は日本の美の感覚が湧き出る泉を、いつも求めている。貪欲に求めている。大観の皇国史観というようなもの、歴史による後付けに過ぎない。少なくとも、あの富士は、そんな歴史の思惑には汚されない何かを秘めている。霊気を帯びた不二の峰々。

 美の源泉。それは探すに大変なものであるに違いない。しかしそこに大観はたどり着く。何度でも探し当てる。美しい泉の湧水を得て、時にその淵でお酒をあおりながら、大観は生涯絵を描き続けた。

 しいて言うならば、富士の背で真っ赤に燃える日の丸。それが大観の「魂」だったのかもしれない。大観の絵には、日本人であるというところの個性を腹の底から認めて、すなわち、その魂を深めて深めて、さらに深いところにある霊性まで認めてしまって、そこから何かを表現しようとしている。霊と魂の摩擦がある。出会いがある。そこに大観の盟友であった、菱田春草との違いがあるのだ。春草は富士のそばに、真っ赤な日の丸は描かない。春草の富士はあまりに静かすぎる。神様が、なんの分け隔てもなく世界を眺めたときに見た、山の一座にすぎないみたいだ。冷え冷えとして、あまりに澄み切った春草の絵には、時に輝かしく燃え、時に野蛮に変ずることのある魂というものが存在しない。そこには初めから、透き通った透明なものがあるばかりである。あまりに透き通ったものは、とても儚い。美の泉の中に産み落とされた春草にとって、この世はあまりにも野蛮すぎた。天才、春草の短命について、私は天を憎むことができない。それは春草の天性の美しさに由ったものであったと思うから。

 大観は、この薄命の盟友から、生涯、その透き通った霊性を感じ続けたはずだ。大観の魂に霊性を与えたのは、春草だった。それを思うにつけ、私は夏目漱石と正岡子規の二人の友情を思い出さずにはいられない。江戸の一番最後の年に生まれた漱石と、明治元年生まれの大観。二人のそばには、天才的で、理論家で、そうして薄命の友がいた。これは、ただの偶然かもしれない。しかし、日本画壇、文壇を率いた大観や漱石の魂に、霊性を与え続けたのは、その美しい天性を残して、儚くこの世を去った春草であり、子規だったのではないか。

 大観と春草は、ともに岡倉天心のもとで学び、日本画壇に新しい風を吹かせた。岡倉天心は『茶の本』を記したことでも有名で、明治の芸術に、江戸人の天心が与えた影響は貴重であり、大きなものであったと思う。

 大観と春草はじめ、天心の弟子たちは、水彩で空気というものを表現しようと試みた。それは、当時、油絵で表現するものであり、日本画には輪郭線が必要であった。が、大観や春草らはそれを日本画で、水彩で表現しようと工夫した。しかし、そのようにして描かれた絵は、朧げで、縹渺としており、世間では「朦朧体」と、半ば非難の意味も込めつつ呼ばれるようになる。

 その試みに、天心の芸術的な哲学、ことに東洋的な思想が影響していたことはいうまでもない。たとえば。

 天心、弟子に「笛声」という題を与えて曰く、「笛を吹いている貴公子を描かずして、笛の音を聞かせよ」と。

 すなわち、描かずして描くということ。天心はじめ、大観や春草らが求めていたのはそういうものだった。朦朧体は「空気」というものを描こうと努めた。それは描こうとして描くことであったかもしれないけれども、その試みによって、大観と春草の二人の絵は、これまでにない発展を見せた。描くなと言われども、「描いてみなければ気がつけなかった表現」というものに二人は気がついたのだと思う。

「有形の物象を藉り来りまして無形の霊性を表現するのが日本画であります。即ち、物象と其中に潜むところの霊性との渾然一如たる相を象徴的に表現するのであります。日本画の表現は只対象を如実に描写するを以て能事とは致しません。対象の中にあるところの精神を把握するのでありますから、対象の中の形象を省略し、簡略化せんとします。」

 してみれば、大観は、千五百の「富士」を描いたのだろうか。大観が富士を藉りて来て、本当に描き出していたのは「無形の霊性」といった、目には見えないものだったのだ。考えてみればみるほど、当然のこと、私たちは「富士」が見たくて大観の絵を見るのではない。そこに帯びている空気、霊性、富士の奥に潜むもの、富士が醸すものを感じるので、ものが言えなくなる、歯が立たなくなる、感動する。

 大観にとって、富士は、ひとつの「有形の物象」、つまり日本の芸道や武道にいわれる「型」であったのだ。大観は富士というひとつの型を藉りて来て、富士にうつろう、千変万化の様相を描いてみせた。大観は富士を眺め、映し、そこに潜む何者かを索め、そうして、自身が富士と化してしまった。全く、富士になりきってしまった。

 松尾芭蕉は「竹のことは竹に習え、松のことは松に習え。」といった。それは目に見える形だけではない。松や竹の、その心を知るまで習うのだ。そして、まるで悟りが開けるように、その心を知った時、かの人はすでにかの人でなく、我即ち竹、竹即ち我、の境地に至るのである。こういうことは、凡々たる私たちには突拍子もないので、真剣な顔で言われると、思わず笑ってしまいそうになるが、どのような世界でも巨匠とはそういう人のことをいうのであって、筆に墨をつけ、ちと線を引いただけで、どうしたことか、竹の竹たるを、松の松たるを表現してしまうのである。

 山王美術館で大観の絵とともに観た、「日本の洋画家」梅原龍三郎の絵は、私にとってゴッホの絵と同じくらい個性的なものであった。ひとつひとつの絵は、その人の個性の形をありありと示している。薔薇も、牡丹も、梅原龍三郎という人物をよく表現している。私は、絵を見ているのか、梅原龍三郎を見ているのかわからなくなる。そういう意味では、有形の物象を藉りて来て絵を描いた人に違いないが、梅原龍三郎が描いたのは、「無形の霊性」というよりも、「梅原龍三郎」の感性であり、「無形の個性」というようなものに感じられた。梅原龍三郎の絵には隙がない。鏡は目に見える形を映すが、近代の洋画家たちは、鏡の代わりにモチーフを置き、そこにあらわれる自己の感性や個性と格闘しながら、無形の個性をキャンパスに描き出した。絵の前で、私は梅原龍三郎という人物を無視することができない。

 大観の絵も、はじめ画壇や世間では、大観の個性的なものとして評価され、個性の表現として評価されたが、幾歳月を経て、その絵を見たときに私たちが感じるのは、大観の個性を超越した、いや、大観の個性さえ包み込んでいた日本人の個性であり、山川草木に宿る霊性である。

 しかるに、大観の絵は虚である。虚であるがゆえに、私たちは大観の感じたものを、ともに感じることができるのだ。大観という人物を半ば忘れてしまったようにして。

 一年ほど前に、私はあるインタビューで、作家の白洲正子さんが、

「文章は書いちゃいけないって言って、消すことが多い。それを教えてもらったんです、小林秀雄さんとか青山二郎さんとか、コワい先生たちに。自分が一番言いたいことを、黙ってると、読者がそれを感じるっていうの。」

と、言っているのを聞いて、その時はなんとなく、なるほどそんなものかなあと思っていたのが、今ようやく分かりつつある。手に取って触れてみるように、否応なく感じつつある。

 思い返せば、古来、日本人はそのようにして、あらゆるものを表現してきたのではなかったか。書かないことによって、表現してきたのではなかったか。

 見わたせば花も紅葉もなかりけり

 うらのとまやの秋の夕暮れ

 私たちは、別にここで文字に起こされた言葉を楽しんでいるのではない。この歌に流れる調べに身を委ね、そうして、なんとも言えない秋の夕暮れ時、漂う寂しさ、時のうつろいを感じるのである。あるいは、夏目漱石が「I love you」という英語を「月が綺麗ですね」と訳したそのこと。これは、気障でも婉曲でもない。「愛している」というよりも「月が綺麗ですね」という言葉の方が、その時の彼や彼女の感情を、月のさやけさや風のにおいを、切り捨てたり端折ったりせず、全てを生かしたまま伝えているのだ。それは、笛吹きを描かずして、笛の音を聞かせることと少しも変わるところはない。

 全て明瞭で鮮烈な表現では、心というものはかえって伝わりにくい。理屈の上では伝わるものの、以心伝心などとは程遠い。

 あらゆるものが定義づけられた明瞭な世界では、いつも何かが切り捨てられ、あらゆるものが四角四面に切り揃えられ、隙間なく埋めつくされてゆく。現代社会の苦しみ。私たちは、息絶え絶えに助けを求めている。暖かい布団、安眠の宿はいずこ。

 そして、探し回って、彷徨い続け、私たちは、はたと気がつくのである。「あぁ、こんなところに…」

 それはすでに、私たちの命に、歴史に宿っていたのではなかったか。あまりに目まぐるしい世界で、急ぎすぎている私たちには、気が付きにくいことだけれども。いや、本当は、知っていたのではないか。しかし、その美しいところは、目に映ずることがなく、あまりに漠然としているので、明瞭の世界に育った私たちには、恐ろしいところに思えてくる。どんな理論も理屈も歯が立たない美の世界は、私たちの一番憧れる場所であり、同時に一番おそろしい場所でもある。

 

 私はすこし書きすぎたようだ。

 けれども、どんなことでも、喋りに喋り尽くしてみて、もう嫌になった、諦めるより他ない、というところまでやってみなければ、黙るにも黙れない。むろん、それだってとても大変なことで、かなしいかな、私は大体の場合、これでいいかというところに落ち着いてしまって、ついには喋るということさえ徹底することができない。

 もう言葉も息も、何にも吐き出すことができなくなったその時、ようやくその人の本当の姿が見えてくる。ありありと見えてくる。息を引き取るとは、きっとそういうことなのだろう。死んでしまった人の美しさ。もののあはれ。

 伝えたいことは書かない方が、言わない方が伝わるというのは、本当のことだったのだ。けれども、今は、ただ書きつづけよう。掌からペンは離すまい。はなから何にも書かないでいても仕方がない。

 描かずして描き、詠まずして詠み、書かずして書く。無謀でもなんでもよい、私は今、そうしたことを自分でもしてみたい。恐れることはない、そこにある驚きや喜びは、大観はじめ、あらゆる巨匠たちが、その作品が、今日まで生き生きと伝えてくれている。