【寄稿】正統(ショウトウ)とは何か

前田健太郎(49歳・東京都)

 

それが神でないのなら

 二十世紀初頭、G・K・チェスタトンが『正統とは何か』(安西徹雄訳、春秋社)を著した動機は、ある人物との会話のなかで「自分自身を信じているものは必ず成功する」などと相手が確信的、かつ決まり文句のように語ったことへの疑念であった。

 チェスタトンはその手のモノ言いは何ら内容のない噓っぱちであり、自分自身とは真っ先に疑ってかかるものだ、と相手を厳しく論難した。ではいったい何を信じるべきなのか、そう投げかけられた問いへの回答が同書となった。そしてそれこそが〈正統〉という歴史と伝統に裏づけられた真実の神への信仰(具体的にはキリスト教)であった。

 この書の原題の”Orthodoxy”には、元来、宗教における〈正統〉な信仰の意味も濃厚に含まれているということは、とりわけ英語圏の人々には直接的な肌感覚としても理解できるらしい。

 おそらく日本において、〈正統〉と聞いて、すぐさま神や宗教の信仰を思い起こす人はそれほど多くはないだろう。

 日本人の多くが思い浮かべる〈正統〉とは何か。やはり個々の主義主張にかかわらず、万世一系の天皇の皇統をおいてほかはないかと思われる。

 伊藤博文が、明治憲法の制定に先だつ枢密院での草案審議において、日本には欧米のような道徳的機軸としての宗教観がないため「我国ニ在テ機軸トスヘ〔ベ〕キハ、独リ皇室アルノミ」(『枢密院会議議事録』第一巻)と力説したことはその例証としても十分に有力である。

 日本人である限り、天皇の存在は無関心ではいられない一大事であり、今日においても、こと皇位継承をめぐっては、さまざまに議論もなされているところだが、どのような意見を支持するも反対するも正統性の考察を抜きにしては語れないのである。

 ところで、ここまで述べてきた〈正統〉という言葉の読みはもちろん「セイトウ」である。これは漢音(七~八世紀に伝来した唐代長安の北方音)での読みであるが、呉音(漢音以前に百済経由で伝来した南方音)で読んだ場合には「ショウトウ」となる。

 ショウトウ──。もはや今日では完全に死語の部類であるが、南北朝時代に北畠親房によって著された歴史書『神皇正統記』が「ジンノウショウトウキ」と読むように中世では限定的ながらしばしば使用されていた。

 そして「セイトウ」と「ショウトウ」は、厳密には別の意味を持つ言葉であり、とくに中世においてはショウトウをしてセイトウを裏づけようとする試みもなされた。本稿ではそのことを探ってみた。以下、〈正統〉の語は「ショウトウ」と読んでいただきたい。

 

正統はだれか

 話は『神皇正統記』のことである。

 著者の北畠親房は、大覚寺統(南朝)の後醍醐天皇や後村上天皇の側近として仕えた公卿であり、博識の歴史家でもあった。

 同書はまさに南北朝の動乱へと突入したころに書き上げられたのだが、その主旨は、足利尊氏が擁立した持明院統(北朝)の光厳・光明天皇は「偽主」であると断定し、摂関政治や武家政治から天皇親政を実現した南朝の後醍醐天皇こそが天照大神よりの正しい継承者であり、それが後村上天皇へと受け継がれたという正当性を示すことであった。

神代より正理(しょうり)にてうけ伝へるいはれを述(のべむ)〔中略〕しかれば神皇の正統記とや名(なづ)け侍(はべる)べき。(神代の条)

 こうして神代から、神武天皇を経て後村上天皇までの歴代天皇の来歴が、神道思想を軸に国体論や政治論などを交えつつ記されるのだが、その重大な主題に据えられたのが〈正統〉論であった。

 天皇における正統──それは単に皇位の系譜のことではない。皇位継承の直系の血統であり、それも男系男子の系譜を意味した。

 具体的に同書では、皇統を〈代〉数で、正統を〈世〉数で表記している。第一代である神武天皇は第一世の正統でもあり、それが二代で二世の綏靖天皇、三代で三世の安寧天皇へと連綿と続いていくのだが、その〈代〉と〈世〉が分岐するのが十四代仲哀天皇からであった。

 十四代の仲哀天皇は正統としても十四世であるが、一つ遡ると十三代が成務天皇である一方、十三世は実父である日本武尊(ヤマトタケル)なのである。

 十三代成務天皇が兄の子である甥の仲哀天皇に譲ったことをもって正統の系譜が変化した。

代と世とかはれる初なり。これよりは世を本(もと)としるし奉(たてまつる)べきなり(仲哀天皇の条)

 正統の論理からみれば十二世から十四世の系譜は、皇統での《景行─成務─仲哀》でなく、《景行─日本武尊─仲哀》となる。天皇に即位しなくとも日本武尊が〈直系〉であり、即位しても成務天皇は〈傍系〉にすぎない。そして親房は〈世〉をもって本流として同書を書き記していくとまで宣言している。

 ここから時代を経るごとに〈代〉と〈世〉の継承者の違いはますます複雑になる。

 とくに注目すべきは、継体天皇で、先代の武烈天皇に継承者がなく、約二百年前の応神天皇にまで遡りその五世孫ながらはるかに遠い傍系親族にすぎなかった継体天皇に継承された。そののちも継体天皇の血統が続くため、《応神─継体》の系譜が確立し、その間に即位した仁徳から武烈までの十代の天皇はすべて〈正統〉でなくなった。

 こうして正統から傍系となる天皇は数多く、もうひとつ例を挙げれば、平安前期の冷泉天皇と円融天皇は同母の兄弟だが、時系列ではまず兄の冷泉天皇が、その後に円融天皇が皇位についた。しかし正統なのは後で皇位へついた弟の円融天皇で、これは冷泉天皇の血統が孫の代で絶えてしまうからである。

 

直線への希求

 同書が成立した当時の後村上天皇は皇統九十六代で正統五十世であった。すなわち、ここまでに〈正統〉となる男系男子の継承者は五〇人(天皇以外の皇族含む)である一方、〈傍系〉とされた天皇は重祚も含め五三人にのぼる(なお、親房は皇統において、神功皇后を即位はないものの女帝として代数に加えたが、明治期に諡号を贈られた弘文天皇=大友皇子や、廃帝となった仲恭天皇は代数に加えていない)。

 この正統論からすれば、歴史に名を刻んだおよそ半数の天皇が、仁徳も、雄略も、用明も、天武も、聖武も、清和も、安徳も、そして女帝である推古も、持統も、孝謙も、すべて正統ならぬ〈傍系〉であって、親房は傍系の天皇たちを「凡(およそ)の承運」と表現した。ニュアンス的には「とりあえず継いだ」という寂しいような、不敬のような語感で記されている。

 とはいえ親房は皇統を軽んじたわけでなく、むしろ天皇個人の能力や功績を超えた〈正統〉によって神性や聖徳は補強され、皇位が一層絶対化されると考えたようである。

 実際このことは親房だけのオリジナルの認識でなく中世人の一般的な天皇観であった。親房より百年前、鎌倉初期に天台僧の慈円が著した歴史書『愚管抄』にもある。

神武ヨリ成務天皇マデハ十三代。御子ノ皇子ツガセ給ヒケリ。第十四ノ仲哀ハ景行ノ御ムマ(孫)子ニテゾツガセ給ヒケル。〔中略〕仲哀ノ御時。国王御子ナクバ孫子ヲモチイルベシト云道理イデキヌ。(第三巻)

 先述した『神皇正統記』仲哀天皇の条と照応しており、さらに『愚管抄』では、歴代天皇について記述した「皇帝年代記」の前段に、興味深い系譜も記している。

神武、綏靖、安寧、懿徳、孝昭、孝安、孝霊、孝元、開化、崇神、垂仁、景行、(日本武尊)、仲哀、応神、(隼総皇子)、(男大迹王)、(私斐王)、(彦主人王)、継体、欽明、敏達、(忍坂大兄皇子)、舒明、天智、(施基皇子)、光仁、桓武、嵯峨、仁明、光孝、宇多、醍醐、村上、円融、一条、後朱雀、後三条、白河、堀河(括弧は引用者による、天皇以外の男系男子継承者)

 まさしく正統の一直線の系譜である。中世では天皇の正統観というのが、今日で想像する以上に重要視されていたようだ。

 それは天照大神を継ぐ神武天皇と今上天皇を血統でどう結びつけるかであった。皇位の系譜は血脈的に一系といえども複雑に枝分かれして直線ではない。しかし正統は神武天皇からその時代の天皇とを結ぶ直線の血統である。中世人は直線にこそ宿る純血の神性を見たのだった。

 

固化が保証する神性

 しかし、この正統論の大きな特徴(あるいは問題点)は、歴史を遡及して初めて成立することにあった。

 極論すれば、たとえば現在の今上陛下の血統が絶えてしまい、どこかで神武天皇の確かな直系の男系男子が発見され(まずありえないが)、その人物が皇統を継ぎ、かつその系譜が続いていけば、理論的には二代綏靖天皇から以下これまですべての天皇は正統ならぬ傍系となる。

 まさに歴史を転覆させる可能性のある危険思想といえる。たとえば、大東亜戦争直後の混乱期に起きた熊沢天皇事件のような暴論もまかり通りかねない(熊沢寛道。昭和二十年代、南朝皇統の末裔であると天皇を自称し世間を騒がせた。昭和天皇の退位を求めて提訴するも棄却)。

 理論上ではこうした飛躍した珍説も考えられるが、実際にはそうはならない。そこには歴史の〈固化〉という大前提が存在しているからである(河内祥輔『中世の天皇観』)。

 五十年、百年、二百年……と長い時間を経て、揺るがぬ歴史として確定していく。それが固化であり、正統とも必ずセットで考えられていた。そして固化すればするほどに神性を帯びる。すなわち固化するということは、神がそれを是として認めたという証左であり、それ故いかなる論理にも力学にも動じず覆しようがないのである。

 しかし皮肉なのは、現在の視点から中世の正統論でたどれば、あれほど親房が必死になって正統を主張してきた後醍醐・後村上天皇も、今日では〈傍系〉として〈固化〉していることだ。

 ならば、親房は期待も目算もはずれ馬鹿を見たのか。そうではない。重要なのは親房の正統を希求する態度であった。 我々が正統の系譜を遡及してみて驚くのは、血統がそうでなければならなかった、という確定的な宿命ではない。そうでなくともよかったのにそうなった、というその事実に神の意志を発見し戦慄するのだ。してみると人間の意図など他愛ないものだが、親房は先のことなどわからぬという人間の限界を自覚しつつ、明快で美しい直線を渇望して精一杯の可能性を同書にぶつけたのだろう。

 結局、正統を主張できるのは常に現在地だけなのだ。

 まさに現在、今後懸念されている安定的な皇位継承のあり方をめぐって有識者による検討もなされているようだが、具体的に実効性ある意見にまではほど遠い状況である。

 ここまで述べてきた中世の正統論と、前掲したチェスタトンの著書との間に格別これといった関連は皮相的には存在しない。それでも人間の営みの骨髄という意味から引用すれば、こうなろうか。

 永遠などということを考えるのはまことにたやすい。そんなものなら誰にでも考えられる。だが、一瞬こそは実に恐るべき問題だ。(二四八頁)

 我々が安定的な継承を真面目に望むならば、永遠などを語るより、現時点のこの一瞬間をおろそかにしない真剣な態度と決断こそを繰り返していくことだ、そこにしか永遠は存在しえない、そんなことを示唆していよう。

 


<編集部より>

本記事は本誌113号に掲載された読者からの寄稿文です。

ウェブ版には下記3作も寄稿文として公開しております。

【寄稿】日本とは何か ―草木の美に恋していた日本人― 笹川セイジ
https://the-criterion.jp/letter/113kikou02/

【寄稿】「サウィン」のこと 奥野健三
https://the-criterion.jp/letter/113kikou05/

【寄稿】米国人が見た占領日本 H.A.笑童
https://the-criterion.jp/letter/113kikou06/

 

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