「進撃の巨人」のブームとは何だったのか?

たか(千葉県、41歳、イラストレーター)

 

 「進撃の巨人」は大きな壁に囲まれ巨人の恐怖を忘れ安穏と暮らす人たちの平和が壊れることから始まる。

 私は「進撃の巨人」をほぼ初期の頃から見始めた。ちょうどその頃に東日本大震災があり、にわかにTPPが可決されるのではという危惧もあり、また中国、ロシアがたびたび領域侵犯を起こし、日本の安全神話、壁が壊れ崩れていったことと時期がシンクロして起きた話でそのことが少なからず読者の共感を呼ぶものだったのではないかと思う。

 まず「進撃の巨人」の魅力といえばその激しく暴力的な世界観にある。それまで死とかけ離れた世界だったのが一気に死が身近になりまたその死がどうしようもなく残虐で、巨人に生きたまま食われたり、引きちぎられたり、押しつぶされたり、巨人が言語を介さないのでどんなに泣こうが喚こうが非情で残酷に殺されてしまう、そのような世界が衝撃的で読者の心に刺さるものがあったように思う。

 巨人という圧倒的絶望な存在、どんなに備えようと身構えようと奥の手を尽くしても太刀打ちできない、どうすることもできない絶望、恐怖、無力感、これは東日本大震災の時に起きた津波のように感じた人も少なくないのではないかと思う。そういった残酷で非情な世界が当時の日本の置かれた状況、現実とシンクロするところがあり話題や共感を呼んだ一因だったのではないかと思う。

 そしてそのどうしようもない圧倒的な存在に母親を目の前で食われてしまう主人公エレン。ここでエレンに起こった感情が絶望でも悲しみでも恐怖でも諦めでもなく、どうしようもないほど抑えきれない怒り。トラウマになるような情景に普通であれば絶望して塞ぎ込む、引きこもる、誰とも口をきかなくなる、そういった生き方になってしまうものだが、しかしエレンはそのすべてを怒りに変えてしまう。この主人公の姿勢に引き込まれていく人が多かったのではないかと思う。

 新兵になって初任務で宿敵の超大型巨人と相対することに。だがエレンは恐怖することも屈することもない。チャンスだとばかりに立ち向かう。色々あってエレンは瀕死に追い込まれる。それでも心は絶対に折れない。怒りをもって自らの命を呈して友を助ける。狂ったような怒りによってありとあらゆるものを飛び越えていってしまう。その情景に誰しもが憧れ共感してしまったのではないか。

 そしてミカサのピンチに巨人となって現れ絶望を叩き潰す。圧倒的力でぐうの音も出ないくらいにねじ伏せる。ここにどうしようもないくらいのカタルシスを感じ「進撃の巨人」という作品にのめりこんでしまったのではないかと思う。

 思えば私たち日本人は怒りを中に溜め込み発することなく終わってしまいがちなのではないか。子供であれば親に、学校、部活や塾の先生に、いじめっこ、教育、受験。大人であれば会社の同僚や上司、取引先やお客さん、家族、ご近所さん、社会、政治。どんなに不満や怒りがあっても、色々な理由で起きたそのストレスを自分のうちに留めるしかない。それが今の私たちのリアルな現実。そのうちに溜まったストレスを怒りによって、全く臆することも恐怖することもなく飛び越えてしまう。ここが「進撃の巨人」の最大の魅力だったのではないかと思う。

 思えば過去の名作もそういったものが少なくないように思う。例えば「ドラゴンボール」。色々な名シーンがあるがもっとも読者に心に残ったのは親友のクリリンを目の前で殺され圧倒的怒りによってフリーザをねじ伏せる悟空の姿なのではないか。

 日本人だけではないが特に日本人は溜め込んでしまう性質だ。そして中に溜め込むからそれを発散したい欲求が強く下剋上、ジャイアントキリングがとても好きだ。だからこそ圧倒的怒りで全てのものを超克する姿勢に憧れ魅力を感じ空前のブームを起こしたのではないかと思う。

表現者執筆者 作:たか