中日ドラゴンズと故郷

林 文寿(岐阜支部・NPO法人職員)

 

中日ドラゴンズが今シーズンも弱い。悲しい位に弱い。このままでは三年連続最下位という不名誉な記録を打ち立ててしまう。

優勝を渇望されて就任したミスタードラゴンズこと立浪監督による不甲斐ない結果(9月18日に監督退任を表明した)、超新人として期待され続けた根尾選手の惨憺たる姿、4番の期待を一身に背負って移籍した中田翔の不甲斐なさ、何故に中日は新人が伸びてこないのか?そもそも育成環境に問題があるのではないか、懐かしの恐竜打線とやらはどこへ行ってしまったのか…等々。

メディアのスポーツ結果を見てそんな不平が口から出てしまう今日この頃。否今日この頃ではなく、ここ何年とプロ野球シーズン終盤を迎える頃になると出る始末である。私だけでなくドラ党(中日ドラゴンズファン)ならば大きく頷いてもらえるはずである

しかしドラ党とは言ったものの、私はそこまでの熱狂的なドラゴンズファンというわけでもなく、中日が勝てば嬉しい、負ければ悔しい。(巨人戦は特に熱が入る)球場に足を運んで汗を流して応援をする訳でもない、そんな程度の一般的なファンだと自任している。その程度のドラ党である(これでドラ党と言えるのか、熱狂的なファンの方には申し訳ない)。

そんな自称ドラ党の私が何故プロ野球の球団の中で中日ドラゴンズが好きなのかという理由。それを考えてみればそれがただ単に自然な流れだったからだ。

岐阜県に生まれ岐阜県で育ったのでテレビやラジオの電波は名古屋圏。そんな土地柄なので子供時分のプロ野球中継はドラゴンズ戦ばかりが流れていた。ニュースでの試合結果はドラゴンズ戦の結果を詳細に報じ、複数チャンネルでドラゴンズ応援番組も放映している。ダメ押しで実家の購読している新聞はもちろん中日新聞である。他球団に比べて断然に中日ドラゴンズが身近だったのである(因みに父親は何故か西武ライオンズファンww)。

こうした環境に育つ中で、敢えて選択の結果ドラ党になった分けではなく、悪い表現をすればメディアに刷り込まれた結果とも言える。ただ、こうなってしまっては今更中日ドラゴンズを無視することもできず、流行にのってホイホイと好みの球団を変える気にはなれない。負けても気になる。弱小でも見放せない。弱くてもきっとまた来シーズンに期待してしまうのだ。

こんな複雑なドラゴンズ愛を懐に抱きつつ、GKチェスタトンの名著、「正統とは何か」を読んでいる中で、

「私がこの宇宙を良しと見たのはオプティミズムではない。むしろ愛国心と言った方がよい。第一義的な忠誠の問題なのである。世界は避暑地の貸部屋ではない。むさくるしければ出てくればすむといったものではない。世界はわれわれが家族の砦であり、塔の上には世界の旗がひるがえっている。むさくるしければ、われわれはよけいにそこに踏みとどまるのだ。大事なのは、この世界はあまりに悲しくて愛せないとか、あまりに喜ばしくて愛ぜずにはいられないとかいうことではない。大事なのは、もし物を愛すれば、その喜ばしさは愛する理由となり、その悲しさはさらに深く愛する理由になることだ。」

という一文を目にして成程と理解が深まった。中日ドラゴンズが弱いという結果がさらに私のドラゴンズ愛を深く深くしていたのだと。

私には複雑な愛を懐に抱いているものがまだある。それは故郷というものである。同書でチェスタトンは続けてこう記している。

「何か勿体ぶった理由を持ち出す連中には、単なる偏狭な国粋的自己満足しかないことが往々にしてある。こういう連中の最悪の手合いは、イギリスそのものを愛するのではなくて、自分の解釈するイギリス、自分のイギリス観を愛しているにすぎぬのである。もしイギリスを偉大な帝国であるがゆえに愛すれば、インド征服がいかに大成功であるかに得意の鼻をうごかしかねない。しかし、もしイギリスを一つの民族として愛すれば、どんな事件にぶつかろうとも少しも動ずることはない。たとえインド人に征服されたところで、イギリスが民族であることには変わりはないからだ。同じように、愛国心によって歴史を歪曲するようなことをあえてする人びともまた、実は歴史を愛国心の根拠にする人びとだけなのである。イギリスがただイギリスであることを愛する人なら、イギリスがどう興ったかを気にはしない。」

少子高齢化による過疎地域。急激な出生数低下により近隣地域との学校統廃合の話も現実味を増している。就職先を都市部に求める若年者の流出が止められない状況。

生まれ育った子供が地元に戻らない家庭ばかりで老夫婦世帯、独居世帯の増加。毎年耕作放棄地が広がり続けていく田畑。短期的思考と個人主義化の蔓延により地域付き合いの希薄化。

緊縮財政にからの半強制的な平成の大合併を強いられた結果による、インフラ設備の劣化、自治意識の低下、地元意識(アイデンティティ)の消失。そのような状況で日々活力が失われつつある、寂れていく私の故郷。

合理的な判断が出来る、所謂経済人ならばこの場所に住む価値は見いだせないだろう。「むさくるしければ出て」行けばいいのである。

しかし、中日ドラゴンズと同じように、自然の流れの中でこの土地に生まれ育った私はこの土地を自然に愛しているのだと思う。チェスタトンの「イギリスがただイギリスであることを愛する人」そういう人なのだろう。

私に言い換えれば「蛭川人がただ蛭川であることを愛する人」という事になる。絶望を感じて愛しさが増していく。そんな捻じれた想いがある。

故郷。そして、そこにある人々の誇り。私が保守したいものは、そんなものたちなのか。

中日の試合結果が気になるよ勝って嬉しい負けて愛しい

絶望を感じて愛しさが増していく。そんな捻じれた想いがある。

故郷。そして、そこにある人々の誇り。私が保守したいものは、そんなものたちなのか。

中日の試合結果が気になるよ 勝って嬉しい負けて愛しい