イマドキの学校の風景
学校に勤務していると、例えば男子がめそめそしていたり、女子が脚を広げて座っていたりというように、一昔前なら「男らしくない」「女らしくない」と言われそうな生徒の姿を目撃することがある。
「男のくせにめそめそするな」
「女の子は脚を閉じて座るものです」
20世紀までの日本であれば、生徒がこのように性別と関連付けてこっぴどく叱られることがあったのかもしれない。しかし、令和の学校でそんな指導はタブーである。男だから、女だからと教師が口走ったら、大火事が発生し、教師は職を失いかねない。男も女も同じだ―それが今の学校、というより社会全体の基本的な考え方なのだろう。
男らしさ・女らしさに関する世間の声
男は男らしく、女は女らしく……それはもはや時代遅れの考え方なのだろうか。そう考えた筆者は、まずGoogleで「男らしさ 女らしさ」を検索してみた。すると、男らしさや女らしさに言及することへの否定的な意見がいくつも見つかった。中でも、NHKが2022年に放送した「クローズアップ現代」の概要およびその特集への反響(URLは末尾に記した)が筆者の目を引いた。そこでは、性別に基づいた発言を受けて悲しい思いをしたという複数の視聴者の声を読むことができる。
一方、YouTubeで同じ検索をしたところ、出てきた動画はクローズアップ現代のような内容のものばかりではなかった。むしろ、積極的に男らしさや女らしさについて語る恋愛指南系の動画も見つかった。そういった動画には、一例を挙げれば、「告白は男性からしてほしいです」と本音を吐露する女性も出ていた。
NHKを始めとしたテレビ局は、近頃「オールドメディア」と呼ばれる。一方、2005年に産声を上げたYouTubeは、新興メディアの代表格だ。新興メディアがオールドメディアを凌駕するようになってきたのは、オールドメディアが綺麗事ばかりを喧伝し、世の中の実相について見て見ぬふりをしているからではないのだろうか。
与謝野晶子の「女らしさ」論
「男らしさ」や「女らしさ」を言い立てることへの違和感を覚える人は、昔も存在した。その一人が与謝野晶子である。晶子と言えば歌人というイメージを抱く人が多いだろう。だが、短歌だけでなく多数の評論も残している。今回はその中でも「『女らしさ』とは何か」(『定本 与謝野晶子全集 第18巻 評論 感想集 五』講談社、1980年所収)という評論に注目した。
この文章の中で晶子は、「保守主義者」や「似非進歩主義者」の主張に嘆息をもらしている。
女子が男子と同じ程度の高い教育を受けたり、男子と同じ範囲の広い職業に就いたりすると、女子特有の美くしい性情である「女らしさ」と云ふものを失つて、女とも附かず、男とも附かない中間性の変態的な人間が出来上るから宜しくないと云ふのです。(前掲書254頁)
要するに、男子も女子も同じ教育を受け、同じ職業に就く権利があるはずだ、と晶子は述べているわけだ。この点に関して、筆者は何の反論もない。晶子がこの文章を書いた当時、すなわち大正時代の日本では、今では考えられないほどの男女格差があったことがよく分かる。晶子のような先人の苦労があって、今日の日本社会が築かれたことは間違いない。
確かに、「女らしさが失われるから男と同じ教育を受けるな」とか、「変態的な人間ができあがるから男と同じ職業に就くな」といった考え方は、もはや現代日本で容認されるはずがない。ただ、「女らしさ」や「男らしさ」は一切存在しないのか。そして、必要のないものなのか。こういった点に関して、晶子は次のように語っている。
愛と、優雅と、つつましやかさとは男子にも必要な性情であると私は思ひます。それは特に女子にのみ期待すべきもので無くて、人間全体に共通して欠くことの出来ない人間性其物です。それを備へて居ることは「女らしさ」でも無ければ「男らしさ」でも無く「人間らしさ」と云ふべきものであると思ひます。人間性は男女の性別に由つて差異を生ずる性質のもので無いのですから、若し之を失ふ者があれば「人間らしくない」として、男女に関らず批難して宜しい。然るに従来は男子に対して其れが寛仮され、女子に対してのみ「女らしくない」と云ふ言葉を以て峻厳に批難されて来たのは偏頗極まることだと思ひます。(前掲書257頁)
人間に必要な性質に男女差はない。したがって、「女らしさ」とか「男らしさ」とかではなく、「人間らしさ」が男女を問わず不可欠だ。「人間らしくない」と批難するのは結構だが、「女らしくない」と批難するのは不当だ―晶子はこのように主張している。
晶子の鋭い舌鋒は続く。
論者の云ふやうな「女らしさ」と云ふものが特に女子の上に存在しないと云ふことを突き詰めて知ることが出来ました。(中略)「女らしさ」と云ふ言葉から解放されることは、女子が機械性から人間性に目覚めることです。人形から人間に帰ることです。(中略)「女らしくない」と云ふ一語が、昔から、どれだけ女子の活動を圧制して来たか知れません。(前掲書263頁)
「人間らしさ」は存在しても、「女らしさ」や「男らしさ」は存在しない。「女らしくない」という一語が女子を抑圧してきた。晶子はそう主張する。確かに、「女らしくないから」という理由で女性の活動を制限するのは問題だろう。だが、「女らしさ」は存在しない、とまで言い切ってしまうことが本当にできるのだろうか。晶子の他の論文や短歌を見ていくと、彼女の矛盾が見えてくる。
与謝野晶子の矛盾
さて、晶子は、そこまで言うなら、男に男らしさを、女に女らしさを求めることが本当になかったのだろうか。
調べていくと、晶子の矛盾が見えてきた。
例えば、「『女らしさ』とは何か」が収載されている晶子の論文集『人間礼拝』には、「思想の流動と深化」という論文も収載されている。この中で晶子は、「悪意に満ちた罵詈の手紙や怖ろしい脅迫状などをしばしば受取ります」(前掲書95頁)と吐露し、中でも女性から送られてくる手紙に対して次のように語っている。
婦人達の其等の手紙を読むと、すべてが私の書いた物の全部を読まず、ほんの一節だけを見て、それも大抵は意味の取り違ひをして、それが気に入らないと、かツとなつて、女らしくも無い醜汚極まる暴言に由つて、私を罵られるのです。(前掲書96頁)
この一節を読んで吹き出してしまうのは筆者だけだろうか。「女らしさなど存在しない」と主張する晶子が、自分を攻撃してくる女に対しては「女らしくない暴言を吐いてくる」と言ってしまうのは、さすがに矛盾しているだろう。揚げ足を取っているようだが、他ならぬ晶子が「女らしくも無い」という言葉を使ってしまったのは失言と言わざるを得ない。この晶子の失言は、人間の実相というか、二面性というか、そういったものをよく映し出していると言えよう。
また、晶子と言えば次の短歌が非常に有名である。
やは肌のあつき血潮に触れも見でさびしからずや道を説く君
言うまでもなく、これは晶子の第一歌集『みだれ髪』に収載されている歌である。晶子自選の『与謝野晶子歌集』(岩波文庫、1943年)には、『みだれ髪』の数百首のうち、わずか14首しか選ばれていないが、その中の1首がこの歌である。晶子にとってよほどの自信作だったにちがいない。
筆者が高校(男子校)1年生のとき、国語の教科書にこの歌が掲載されていた。そして、大ベテランの先生(男性)がこの歌を非常に恥ずかしそうに解説していたことをよく覚えている。
「僕はね、長いこと教員をやってるけど、この歌を載せてる教科書は初めて見たよ。要するにさ、この歌って、女を抱かなくていいのかいって意味だぞ。恥ずかしくって説明したくねえよ」
こんなふうに熱弁していたと記憶する。
念のため他者の解釈も確認しよう。例えば、俵万智の『チョコレート語訳 みだれ髪』(河出書房新社、1998年)では、次のように現代語訳されている。
燃える肌を抱くこともなく人生を語り続けて寂しくないの(23頁)
要するに、これは「私を抱いてください」と切望する歌なのである。さあ、晶子はなぜそんなに抱かれたいなら誘惑などせず自分から抱きに行かないのか。なぜ男のほうから抱きに行かなければならないのか。このような歌を詠む晶子は、平均的な女性よりは大胆なのかもしれないが、それにしてもなぜ、晶子は男からのアプローチを待つのか。晶子のこの姿勢こそ、まさに「男らしさ」の希求であり、「女らしさ」の発現ではないだろうか。
結論
結局、今も昔も、人は表向きにはどんなに綺麗事を言っていても、憎らしい人間と関わったり、色恋沙汰になったりすれば、本性が出てしまうものなのだ。昨今、晩婚化が進んでいるとか、未婚率が上昇しているとか、あれこれ言われているけれども、綺麗事ばかりが喧伝され、その裏に潜む人間の本性が覆い隠される世の中では、真面目な人ほど良縁に恵まれないのだろう。
【参考文献・資料】
https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4661/
https://www.nhk.or.jp/minplus/0029/topic078.html
与謝野晶子『定本 与謝野晶子全集 第18巻 評論 感想集 五』講談社、1980年
与謝野晶子『与謝野晶子歌集』岩波文庫、1943年
俵万智『チョコレート語訳 みだれ髪』河出書房新社、1998年
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