◆物語の報い
紫式部が死後、地獄へと堕ちたという話は、近代に入るあたりまで庶民の間でもずいぶん広く知られていたらしい。どうやらこれは中世以来、仏僧が衆生に説法してきた「唱導」の影響であって、さらにそうした仏教説話から派生した「謡曲」などによっても人口に膾炙されることになったと思われる。それが、近世の貨幣経済による合理主義の進行を経て、近代に西洋由来の価値観が流入すると、そんな突拍子もない非現実的な俗説に耳を傾ける人も少なくなり、次第に民衆の身近な関心事からも遠のいていったようである。
そもそも紫式部が堕獄する羽目になったのは『源氏物語』を書いたためだ。これについてよく言われる誤解は、そのストーリーが男女の色恋乱倫のフシダラな内容であるためとするものだが、そういった好色に不義に密通といった罪つくりな点が問題だったわけではない。「物語」という性質上の理由であった。仏教の立場からすれば、「物語」という作り話は、デタラメな虚飾を書き連ねる「狂言綺語」という仏罰がくだされるべき重い罪悪なのだった。
すなわち狂言綺語とは、「人を楽しませるため巧妙に飾りたてた言辞」や「道理にはずれた言辞」のことであって、仏の教えに背く悪業であった。そしてそれはそのまま文学や芸能などをも指した。つまり史上最高傑作の物語を書き上げた紫式部の地獄行きは当然の報いなのだった。
こうした話は、僧たちの説法を通じ民衆の狂言綺語の「戒め」として流布され、紫式部が没して百年後にはすでに世に浸透していたようである。
平安末期に成立した説話集『宝物集』には、紫式部が「虚言をもつて源氏物語をつくりたる罪」により「地獄におちて苦患しのびがたき」様子が「人の夢にみえた」ため、「歌よみども」が集まり写経して供養するという話が見られる。
また、鎌倉中期の説話集『今物語』でも、ある人の夢に「その正体もなきもの、影のやうなる」が現れたので、誰かと尋ねると、紫式部と名乗り、「そらごと」で人の心を惑わせたため「地獄におちて、苦を受くる事、いとたへがたし」と訴え、和歌を詠んで弔ってほしいと懇願している。
これらがやがて能楽『源氏供養』へと発展してゆくのだが、とにかくいずれも「虚言・そらごと」の罪で堕獄した紫式部が耐えがたい苦しみからの救いを求めているのだ。
実に狂言綺語は今日から想像する以上に罪深い行為であって、現代ではまさか小説を書いて地獄へ堕ちるなどと怯える者もないだろうが、我々もまた意匠化された語句(たとえばSDGs、グローバリズム、ダイバーシティ、コスパ・タイパ、イノベーション、ジェンダーフリー、安心・安全等々)の消費と濫用が、過剰に彩られた綺語でないかどうか、堕獄を予感しながら慎重に思いを巡らせてみるくらいは必要かもしれない。
◆救い出された紫式部
それにしても紫式部の境涯である。あれほどの名著を遺しながら無惨に堕獄とはあまりに可哀想ではないか、というのは庶民の素朴な人情で、稀代の才媛の身を憐れみ無情な仏説を恨んだのであった。人々をおどすばかりでは仏法への信心も深まらない。そこで、そのやり切れない嘆きへの救いの受け皿が模索された。
かつて唐の詩人・白居易が、自らの文芸作品である漢詩集を寺院へと奉納する際に「狂言綺語の過ちを以て、転じて将来世世讃仏乗の因、転法輪の縁をなさん」と祈願し、戒を犯すことで逆に功徳を積むというマジカルな解釈法を用いたことがあった。
この「狂言綺語」を「讃仏乗(仏法をほめたたえ人々を教化する)の因」とする、まさに悪行を善行へと転じる論法は、日本においても文芸をもって諸法の第一義とする思想へと発展してゆく。それは物語・和歌・詩文・説話などを含み、その象徴的存在である紫式部の身に対しても適用されたのだった。
つまり、紫式部もまた「方便」として狂言綺語の物語で人々に仏法を説いたのであって、石山寺へ籠って物語の構想を練ったことからも実は石山寺の観音菩薩の化身だったのだ、などというほとんど牽強付会ながらも文字通り起死回生の発想が登場した。もっとも紫式部救済という慈悲の心以上に、仏教側の寛容さの誇示でもあったが、なるほどそういうことならば、と人々は大いに納得し堕獄から観音変化という話でいっさいは落ち着いたのだった。
時代くだって江戸期に上田秋成が『雨月物語』の序において漢文で「紫媛著源語。而一旦堕悪趣者」と記したように、この「紫式部が『源氏物語』を著したため一旦地獄へ堕ちた」という「一旦」とは、まさしくその意味である。続けて秋成は、紫式部の堕獄はその筆があまりにも真に迫り読む人を信じ込ませたためであって、自分の書く物語となるとつまらない閑話だからそんな目に遭うこともないだろう、と自嘲的なユーモアをまじえて語るあたり、近世における狂言綺語への戒めの効力がすでに薄まりつつあるのも窺える(秋成の上方人としての合理的気質もあるだろうが)。
また秋成は、『藤簍冊子(つづらぶみ)』に収められた紀行文「秋山記」においても紫式部の堕獄に言及する。話は秋成が妻と共に城崎温泉へ湯治に向かう旅の道中のことだった。夫婦が光源氏ゆかりの地である須磨にさしかかり『源氏物語』に思いを巡らせていると、たまたま道連れになった法師が紫式部についてあれこれ批判めいた評価を語り出すのである。
法師は、紫式部が根拠もないことをもっともらしく書き連ねたため地獄で過酷な苦しみを受けることになった、とその罪を難じたうえで個人的な愚痴まで口にする。
「式部は石山の仏の変化なりと、いと狂はしきまでほめなせるを聞けば、己がかしこむ道の案内にもやと、あたら眼を費えたるが、今はとりかへさまほしき年月なりけり」
紫式部が石山寺の観音変化であるなどと世の人がやたら誉めたてているので、熱心に『源氏物語』を読んでみたが、自分の求める仏の道への導きにはならず年月を無駄にしてしまった、とこぼすのである。やはりここでも紫式部が一旦は堕獄しながらも観音に変化したという当時の一般的な常識で語られているのが注意をひく。そして法師は「心いりて読むとも、何の益なきいたづら文なり。かまへてかまへて惑ふべからず」と読んでも役に立たないからくれぐれも惑わされるな、そう秋成夫妻に無用の忠告をして去ってゆくのだった。
この紀行文の挿話には、読本作者や歌人以上に国学者であった秋成なりの意図がある。元来、物語には物語としての読み方があり、法師のように仏教の教訓的な読み方をしても役に立たないのは当然で、秋成は法師のような当時の常識となっている読み方を暗に批判したのであった。
◆ 本意を裏切る「魔」
こうした読み方を秋成以上に厳しく否定したのが本居宣長であるのはよく知られている。
宣長にすれば、紫式部が地獄へ堕ちようが観音となろうがまったくの無関心で、それよりも『源氏物語』の読み方について仏教や儒教にもとづく「勧善懲悪」という観点からの解釈や批評を甚だしい誤りだと徹底的に攻撃した。
たしかに『源氏物語』は、その成立以降、仏教(とくに法華経や天台教学)と深く結びついて理解された背景に加え、江戸期には幕府の奨励する儒教の道徳観の濃度も極端に強まって、読む者への「戒め」であり続けた。
しかし、そもそも「物語」というのが勧善懲悪の教訓を説くのでなく、ただ「もののあはれ」を知る心に本意があるという宣長の主張は、自身の『源氏物語』の注釈・研究書である『紫文要領』や『源氏物語玉の小櫛』で繰り返し述べられる。つまり、儒には儒、仏には仏、物語には物語の立脚すべき「本意」というものがあると強調するのだった。
「この物語をもて戒めの本意として、見る人をしてその身の戒めとせしむ。これ、この物語の魔なり」(『紫文要領』)
宣長は紫式部が意図しなかったはずの「戒め」としての誤った読み方を「魔」と断じて、徹底的に非難したのである。
そして『紫文要領』は次のような譬え話で結ばれる。『源氏物語』を儒仏の戒めの教訓から理解しようとするのは、美しく咲く花を見ようと植えておいた桜の木を伐り倒して薪(たきぎ)にするようなものだ、と。
「みだりにきりて薪とするは、心なきことならずや。桜はただいつまでも物の哀れの花を愛(め)でむこそは、本意ならめ」
すなわち、薪(儒仏の教訓)は生活における日用の必需品であるが、薪に相応しい木(儒仏の書)は他にいくらでもある、にもかかわらずわざわざ花を眺めようと植えた桜(『源氏物語』)を伐る(儒仏の教訓で読む)ことは、植えた人(紫式部)の心にも背く行為だ、と悲しむのである。
この譬喩は、本来の意図と用途を混同してしまった誤りを指摘するだけにあるのではない。固着した一面的な解釈のみでもって、生命あるものが単なる物質に変化してしまったという「もののあはれ」を顧みない心のあり様が宣長にとって耐えがたいほどの憤ろしさでもあった。
効率性や利便性で損得勘定するだけが世の価値基準でもあるまい。桜の花は躍動する生命の発現であり、そのことへの感動が「もののあはれ」であって、それを無視したままには『源氏物語』もまた正確に読むことはできない。それが宣長の考えであった。
このことは現代人にも無関係では済まされないだろう。社会が高度化・複雑化し、あらゆる事象が容易に判断のつかない込み入ったものになればなるほど、いっさいを明快に割り切ろうと単純化する考え方へと傾斜してゆく。
進歩、自由、平等などといった近代的価値観のみで、あらゆる事象を読み解こうとし、読み解けるともする立場により、意識的にも無意識的にも、文化や伝統や形式を軽蔑し否定し破壊してきたものがどれほどに多いか。そうしてその価値観のもたらす齟齬と分裂のうちにあって我々は息が詰まるほど苦しんでいる。事の本意を「魔」によって読み違い見誤ってはならない、そのことを胸にたたんでおくことは決して無駄ではない。
◆真実の極致を語るもの
結局、社会の高度化は文化の成熟を意味しないばかりか、大いに矛盾する場合がほとんどなのだ。紫式部の堕獄を信じて疑わなかったころの庶民の想像力の豊かさを、現代人は無知として嘲笑することしかできない貧しさを省みても明白である。
我々は紫式部の堕獄を、秋成が冗談めかしたり宣長が黙殺したりしたのとはまったく別の思い上がった価値観から少しも信じていないのだ。そして狂言綺語の罪もまた微塵も信じていない。紫式部が、白居易よろしく「狂言綺語」を「讃仏乗の因」とする発心によって世を救い我が身も救われることになったのはいったいどういうわけか、それを真面目に考えてみようともしないのだ。
狂言綺語は讃仏乗の因といふことばを、われわれはかつてどれほど鄭重に、うけとらうとしたであらうか。(保田與重郎『現代綺人伝』「狂言綺語の論」昭和三十八年、翌年発刊)
日本浪曼派だった保田與重郎は戦後ずいぶん経って世に(あるいは自分自身に)こう問いかけたのだった。
物語小説のやうな尋常の常識をはるかに超えた非常識の中に身をおいて、まことに讃仏乗の縁を伝えるごとき生命の絶対行は、方今の精神的乱世の一表情なる甘いさとりとは似ても似つかぬものであつた。まことに何らかの讃仏乗のえにしとなる如き狂言綺語は、想像を絶した、生身の人の身ながらの振舞から生れた絶対真であつた〔中略〕絶対的な狂言綺語、つくりものでない、云ひわけも、飾りも、うそも許してくれない狂言綺語が、真実の極致を語るといふことは、簡単にいへば、一切の人工人智の放下を意味するのである。(同)
それはまさしく「絶対的な狂言綺語」が「真実の極致を語る」という厳粛な逆説であった。これは詭弁を弄した目くらましなどではない。「一切の人工人智の放下」、すなわち人の頭で考えつくような小利口で小手先の技巧や理屈を捨て去って、はじめて「つくりものでない、云ひわけも、飾りも、うそも許してくれない狂言綺語」として語られるのだ。
とするならば、先に示した巷間にあふれる意匠化された語句(たとえばSDGs……云々)の使い方についても「絶対的な」意味での狂言綺語か否かの回答もおのずと導かれよう。政治家たちの血の通わないその場かぎりの発言、メディアの煽動と洗脳に終始する偏向報道、SNSでの肥大化した承認欲求と他者への嫉妬や羨望や媚態や中傷、そうした軽薄で偽善できらびやかで甘ったるく浮ついた心地よい衝動的な狂言綺語では救われない、そんな当たり前のことすら我々は見失っている。
紫式部を想起せよ。「絶対的な」真実の狂言綺語からは血と肉と炎と泥の酸鼻なニオイが正しくこもっている。それは我が身の堕獄と引き換えに初めて救いが成立するというパラドックスへの凄まじい投身そのものであった。現代人の撒き散らす勝手気ままの狂言綺語にそこまでの覚悟と気魄と美しさはあるか。自戒をこめて問いかけるのである。紫式部ならぬ凡人の身にそこまでできるものでない、などと軽々に諦めてはならぬ。王朝文学の才媛を堕獄から救い出したのは仏の慈悲よりも市井の人々の素朴な心情からだったのだ。ゆえにただ何よりもまず我々は、紫式部が一旦は地獄へ堕ちたと確信するところから始めるべきではあるまいか。それこそがこの狂言綺語の大氾濫のうちで生きる現代人にできるせめてもの抵抗と懺悔のささやかな祈りそのものなのだから。
(おわり)
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