浜崎洋介先生、『小林秀雄の「人生」論』にて山本七平賞受賞おめでとうございます。
今回は『ぼんやりとした不安の近代日本』を読了しました。この本はわたしにとって、とても示唆に富む著書でした。とても力作だと思います。
乃木希典夫妻の殉死によって、明治末年に残っていた武士道精神が消えたとのこと、日清・日露戦争を経て、総て功利の念を以て物を見る世の中になったということは、カネがすべての世の中になっていくということでしょう。これは、資本主義というものが日清・日露により根付いていったからでしょう。
逆に言うと、明治の時代には、まだ功利主義ではないものが、武士道に共鳴するものが旧平民の中にも残っていたということでしょう。
その後に大正「教養主義」が来る。これは第一次世界大戦の大戦景気によるものであり、明治末年には七割あった農林水産従事者が大正後期には五割ぐらいに減り、工場労働者は二倍に膨れあがった。大正時代に、「ポピュリズム」というものが、政治を動かす最大の力になる。
しかし昭和恐慌により、「非合理性の打撃」を受け、昭和維新のテロリズムへとつき進んでいく。一九四五年以前の戦前史と、一九四五年以後の戦後史が相似形をなしているとの指摘は見事だと思います。
日本人の弱さは、「人々は危機を叫ぶ声を小耳にはさみつつ、有形無形の組織内の組織に要請された日常業務に忙しい」ので「脱出路の提示」という形でしか認識されない、つまり、日本人は自分の頭で考えて正しいと思ったことを実践できる個人の強さが無く、「空気」により行動の正当性を得るということなのでしょう。
なぜ、日本人が、他の国の人間とちがってこうなのか、この弱さ情けなさは、どこから来るのか。このことは、わたしにとって、もっともっと追求すべきことに思えます。浜崎先生の『ぼんやりとした不安の近代日本』はとても参考になりました。
コロナ禍により、他国から笑いものにされるほど日本の情けなさが露呈し、政治の不在に対して、まともに怒れない。本当に日本人として情けない思いがします。
わたしは四十年住んだ大阪府八尾市から、二年半前に滋賀県北部の農山村に転居しました。ここは、父母の故郷です。わたしの両方の祖父母が何代にもわたって住んでいたところです。
わたしの父は、二十歳で徴兵され、二十八歳で敗戦を迎えるまで、北支におりました。そして、昭和二十二年六月に復員してくるまで、シベリアに抑留されていました。いま生きておれば(一九一七年〔大正六年〕三月生まれ、一九九九年〔平成十一年〕八月没)、当時のことをもっとたくさん聴けるのにと残念です。生きているうちは、わたしは戦後教育を受けていたので、父が中国大陸で、なにか悪いことをしていたような思いをもっておったことが残念です。母は父より早く亡くなりました(一九二四年〔大正十三年〕四月生まれ、一九九七年〔平成九年〕三月没)。
浜崎洋介先生の『ぼんやりとした不安の近代日本』により、大正という時代はモダンな時代だったのだ、と改めて思いましたが、田舎はどうだったのだろうと思います。田舎には「インテリ」層というものが無く、過疎化が大きく進んだのは、今から二十年ぐらい前からです。地方では、必ずしもこのご本のような近代日本になっていかなかったのではないかとも思います。またちょっと別のような気がします。
わたしは、過疎地に行くという逆コースを辿ったのですが、祖父母やその前、父母の時代、そして父母が亡くなってから、大きく変わったことをもっと調べてみたいと思います。
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