首相秘書官の更迭
「それを言っちゃおしまいよ」
と、誰かの声が聞こえてきそうな発言であった。
二〇二三(令和五)年二月、荒井勝喜首相秘書官(当時)が、「(同性婚カップルを)見るのも嫌だ」と発言した。
確かに、誰が聞いてもびっくりする発言ではある。ただ、その発言はオフレコを条件にした発言であったため、発言の是非ばかりでなく、オフレコ発言を実名で報道することの是非も問題となった。オフレコを公にするという判断は、果たして長い目で見て有益であったのだろうか。
今でこそ、我々は同性愛者への言動にかなり気を付けるようになった。しかし、昔はどうだっただろうか。荒井氏を痛烈に叩いたテレビ局も、その昔は同性愛者を茶化すような番組を平気で放送していたと思うのだが、それは筆者の記憶違いだろうか。
この問題が発覚してから数日間の主要な新聞の社説を確認したところ、ほとんどの新聞が荒井氏への批判ばかりだった中で、「読売新聞」二月七日の社説は異色であった。
前半では、「自覚を欠いていた」と荒井氏を批判した一方で、オフレコが報じられたことを憂慮しており、さらに同性婚については、
個人がどのような考え方を持とうと自由だ。「広く認めるべきだ」と主張する人もいれば、「不快だ」と思う人もいるに違いない。
と記している。「見るのも嫌だ」という刺激的な言い回しではなく、「不快だ」という表現を用い、全ての国民が同性婚に前向きだとも言いきれないことを示唆している。人を責めるばかりで己の過去に対してはダンマリのメディアが多い中、非常に思い切った内容と言えよう。
「みんなで多様性を尊重しよう」という一様性
二月五日の読売新聞朝刊には、「多様性 身内が否定」という見出しが掲げられた。その一方で、前掲の社説には、「各国にはそれぞれ歴史や文化の違いがある。それを認め合うのも、多様性の尊重だろう」と書かれている。
「多様性の尊重」の実現は、冷静に考えるとなかなか難しい。「みんなで多様性を尊重しよう」という主張は、つまるところ人々の考えを一様にしようとしている。「多様性は大切だ」と考える人も、「多様性は不要だ」と考える人も、どちらも共存している社会のほうが、むしろ多様性のある社会だと言えなくもない。
『孟子』における「権」の思想
このままでは埒が明かないので、中国思想の力を借りることにしよう。
いったん話が大きく横道にそれるが、浜崎洋介氏は『ぼんやりとした不安の近代日本』(ビジネス社、二〇二二)の中で「権」の思想に触れている。浜崎氏は、
江戸期において武士道の基礎を作ったと言われる中江藤樹の「権」の思想(時・処・位に即して適切な判断を下す心の働き=道徳的主体についての考え)(一八頁)
と記している。確かに、中江藤樹は『翁問答』の中で「権」について述べているが、もともと「権」については中国で古代から活発に論じられてきた。蛇足ながら、大学時代に東洋哲学を専攻して「権」についても学んだ筆者は、一般にはそれほど知られていないだろうと思っていた「権」との意外な場所での再会に大変驚いた。
「権」については、日原利國氏『春秋公羊伝の研究』(創文社、一九七六)に詳密な論考が収載されている。同書でも言及されているが、『論語』や『孟子』の中にも「権」に関する記述があり、『春秋公羊伝』においては「経」(既成概念、軌範、法則)と「権」(その時その場の事態に即応して、適宜な処置をとること)が対比された。
前置きが長くなったが、筆者が多様性について自分なりの結論を出すうえで大いに影響を受けた考え方が、『孟子』尽心章句上に見える。
孟子が、三人の人物を紹介している。一人目は、一本の毛を抜けば天下を利するとしても、それをしない人。二人目は、頭のてっぺんからすり減らしていって、足のかかとにまで達してしまうとしても、天下を利するならばそれをするという人。三人目は、二人の中間の道を守る人。この三人の中で、孟子が三人目の人物を中道主義者として高く評価したのかというと、そうではない。孟子は次のように言った。
中を執るは之(=聖人の道)に近しと為すも、中を執りて権無きは、猶ほ一を執るがごときなり。
(執中為近之、執中無権、猶執一也。)
つまり、「中間の道を守るのは聖人の道に近いと言えるけれども、そればかりで『権』すなわち臨機応変の処置がなかったならば、一つの立場に固執しているようなものだ」と言っているのだ。さらに孟子は、一つの立場への固執を嫌悪する理由として、
一を挙げて百を廃すればなり。
(挙一而廃百也。)
と言った。「一つの立場だけを取り上げて、百の立場を捨ててしまうことになるから、私は一つの立場への固執を嫌悪する」と言っているわけである。
これこそまさに、本当の多様性を考えるヒントとなる発想ではないだろうか。「みんなで多様性を尊重しよう。尊重できない奴は許さん」という考え方は、結局一つの立場への固執になってしまってはいないだろうか。今回の荒井氏のケースにしても、数年前に杉田水脈氏がLGBTの人々に対して「生産性がない」と言い放ったケースにしても、表現が刺激的であったが故に強い非難の対象になったと考えられる。言葉に十分注意しなければならないのは当然だが、同性愛や同性婚に対する多様な意見は尊重されるべきだろう。
個人内多様性
ここまで、「多様性を尊重しよう」という考え以外を排斥することは、かえって多様性の尊重から遠ざかるのではないか、ということを述べた。
次に考えたいのは、「個人内多様性」の問題である。首相秘書官の発言が報じられたとき、我々はどう感じただろうか。もちろん、「けしからん考えの持ち主だ」と思った人も少なくないだろう。だが、正直なところ、「思っていても言うなよ」と感じた人もいるのではないか。第一、もし荒井氏の目の前にテレビカメラがあったとしたら、彼は例の発言をしたのだろうか。
要するに、荒井氏の考えそのものを許せない人もいれば、本音はどうであれ口に出してしまったことに愚かさを感じた人もいたはずである。
多様性といってもいろいろある。AさんとBさんの多様性が尊重されるならば、Aさん個人の多様性も認められるべきではないだろうか。筆者はこれを「個人内多様性」と呼ぶ。ところが、どうも昨今の世の中は、建前と本音であるとか、表と裏であるとか、そういった個人の二面性を認めようとしない傾向にあると思われる。今回の荒井氏の問題が典型例だ。公の場で堂々と発言したことではなく、オフレコの場で飛び出た本音を即刻問題視するというのは、ちょっと薄情ではないかと思われるのだが、そんな意見もまた排斥されてしまうのだろうか。
人は誰しも心の中に本音を秘めている。その中には、公にできないような過激な思いもあるはずだ。故に、我々は人前では言葉を選ぶ。それが「建前」である。ただ、言うまでもなく、今回の荒井氏の問題の難しさは、確かに自分の思いを言葉にはしてしまったが、それがオフレコだった点である。自分の本音は、心の中にしまったままでいるのが最善ではあるが、時と場を選んだうえで人に話したくなってしまうのが人間というものだ。例えば、居酒屋に行けば、おおっぴらにしたら大変なことになりそうな話があちらこちらから聞こえてくる。確かに、心中を言葉にしてしまった以上、その時点で荒井氏は許されないのかもしれない。ただ、世の中には決して本音を言ってはいけない場所ばかりでなく、大目に見てもらえる場所もなければ、あまりにも窮屈ではないか。
谷崎潤一郎『幼少時代』に見る家庭内多様性の実相
最後に、荒井氏の問題からは離れ、谷崎潤一郎の回顧録『幼少時代』の一節を参照しつつ、家庭内における多様性の実相を見ることにしよう。同書の中に、現在では大問題となりそうな子育ての様子が記録されている。谷崎が六、七歳のとき、母が怒って、ばあやに手伝わせて、足の小指にお灸を据えたというのだ。
とうとう押さへつけられて、艾を載せられ、火をつけられた。私は何度も、
「熱いよう、熱いよう」
と大声で怒鳴って足をバタバタさせたけれども、ばあやがぎゅっと脚を摑んで、動かせないやうにした。(中略)母が両方の小趾(こゆび)に二火(ふたひ)ぐらゐづゝ灸を据ゑた。(谷崎潤一郎『幼少時代』文藝春秋新社、一九五七年、二〇〇頁)
こんなショッキングな記述に加え、熱がり苦しむ谷崎少年を描いた挿し絵も掲載されている。
さて、注目すべきは、父が助け船を出している点だ。
或る時、お灸を据ゑられてゐる最中に父が帰宅して、
「どうしたどうした、泣くんぢやあねえ、なあ可哀さうに」
と、いきなり私を抱き上げて、
「おツ母さんがお灸を据ゑたのか、さうかさうか、もういゝ、もういゝ、もう据ゑやしねえから安心しな」
と、気味の悪いほど優しい言葉で、慰めてくれたことがあつた。(同書二〇二頁)
母とばあやのしつけは、さすがに手荒だと言わざるを得ない。だが、子育て経験のある人なら、そこまで過激なやり方ではなくても、なかなか言うことを聞かない子に対して正直なところ少々乱暴な対応をした経験があるのではないか。ただし、谷崎少年の事例の場合は、手荒なしつけをする母と息子を助ける父がいることによって、家庭内多様性が実現していると言える。
この谷崎少年のエピソードから、しつけにせよ、教育にせよ、みんなが同じキャラクターになって子供に向き合うのではなく、役割分担をして、ある人は鬼、ある人は仏となって指導することが必要だということを痛感する。いろんな大人がいていい。つまり、子供に向き合う大人にも多様性があってよいのだ。
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