白蓮華
小町(関西支部、 19 歳、家事見習い)
初めて「南無阿弥陀仏」の六文字を耳にしたのは、いつだったか。
よく覚えているのは、皺皺の手を胸の前で合わせてお念仏を唱える曾祖母の姿。朝目を覚ましてから、御飯をお供えする時に、夜眠りにつく前に、「ナンマイダブ、ナンマイダブ、ナンマイダブ……」。幼い私は、曾祖母がつぶやく、おまじないのような不思議な言葉を意味もわからず一緒に唱えていた。
縁あって、お寺の高校に通うことになった私は、学校で仏教のことを少し勉強し、御仏の教えに親しみを覚えました。高校卒業の春、それまで興味のなかった「禅」に興味が湧き、老師の話を聞いたり、坐禅を組んでみたりするようになりました。
禅にまつわる本には気の遠くなるような問答や修行の数々が書かれており、「禅」は崇高で清浄な空気を纏った存在、孤高の哲学のように思われました。が、ある時、妙好人と呼ばれる人たちを知り、彼らの一生に私は感嘆しました。
妙好人は、篤い信心を持ってお念仏の暮らしを送ったひとで、その多くは学問に縁遠い農民やお百姓さんたちです。彼らは浄土宗、浄土真宗の在家の信者であるため、表面上は禅とは少し違うと見受けられるところもあるかもしれませんが、私は、妙好人たちに、禅師たちが求めたものが体現されているように思います。
妙好人として有名な人物の一人、石見の才市さんは五十歳までは舟大工として働き、その後、履物屋になって下駄作りに勤しんだ人です。十八歳から五十歳まで聞法に徹した才市さんは、下駄作りの合間、鉋屑に何遍もの詩を書きました。自身が思うままに、そのとき感じたままに。
あまりにも素直な詩の数々は、流れる時間とともに素直さを失いつつある私たちにとって、時として難解に感ぜられます。例えば、このような――
どをり、りくつをきくぢゃない
あぢにとられて、あじをきくこと
なむあみだぶつ
禅、仏教の研究者として有名な鈴木大拙氏の『日本的霊性』、第四篇に妙好人才市のことがいろいろと書かれています。上の詩も、この本で引かれていた詩です。鈴木大拙氏は言います。
われらのごとく文字の上でのみ生きているものは、何事につけても観念的になって味わうことをせぬ。才市のごときは、文字に縁が遠いだけ、言葉の上での詮索を避けて、何事も体験の上で語るのである。それゆえ、その言うところは、自ずから急所につき当たるのである。
私たち凡人ほど虛しいものはありません。文字の上にのみ生きる覚悟もなきままに、それでいて文字の上の世界に翻弄される……
まさに、私たちは味わうこと、即ち、体験、体得することを忘れてしまいました。自らの身の上に感じない、いえ、感じたことを受け入れないがために、いつも大事なところにつき当たることが出来ないのです。学んだことを自分の身の上に実感して生きている人ばかりならば、この世界はどれほど幸せか、どんなにうまく回るかわかりません。
「なむあみだぶつ」を経典の一語としてわかった気になるのが文字にとらわれる私たちで、「なむあみだぶつ」を心で、体で感じるままに、幾重にもかさねてゆくのが妙好人です。「なむあみだぶつ」以外の言葉に置き換えてみても同じことだと思います。
才市さんは、その日その日のなむあみだぶつの味わいを、感じたままに、思ったままに、覚書として記しました。信心に誤りがないか僧侶に見てもらうほかに、誰にも見せることのなかった覚書。それは、才市さんの体験そのものです。
私は、日毎記される日記のような、自らを見つめる詩のような、才市さんの覚書に深く惹き込まれます。
「妙好人」は白蓮花を意味します。白蓮花は日のあたる高原に咲かず、暗い泥中から咲き出で、雪のように真白い花を咲かせます。
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