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グローバリズムに敗れる法学部

山口泰弘(35歳、東京都、サラリーマン)

 

 平成三十一年二月に行われた東京大学入試の合格最高点と合格最低点の両方で、文科一類(法学部を主な進学先とするコース)が文科二類(経済学部を主な進学先とするコース)を初めて下回ったことが、ちょっとしたニュースになっていた。たかが大学受験の難易度であるが、戦後一貫して、文系で「最も勉強ができる」人々が通うとされてきた東大法学部は、東京大学文科一類が文系の大学受験で最難関であったことと深く結びついてきたのであるから、話題になるのも当然である。
 理由として、長らく官僚人気が低下していること、法学部の勤勉な学生の有力な進路であった法曹についても弁護士の所得が下がって司法試験人気が低下していること、がよく挙げられる。だが、こうした法学部の主要進路の社会的地位や経済的魅力が減少したことは、急に生じたことではない。これらも有力な理由であることは否定できないが、加えて、法学と経済学の根本的な性質が、日本社会のグローバル化を是とする風潮と相まって、法学部人気の低下という現象をもたらしたのではないだろうか。
 法学で習う憲法、民法や刑法といった基本的な法典は国家の存在を不可欠とするのであり、国家なくして法学は成立し得ない。確かに、現在の日本の法学は明治以降に欧米から輸入されたものに基づいているが、法学自体、日本社会の在り様や国民の価値観を踏まえて発展するものであり、概念自体が外来のものでも、法学は必然的にナショナルな学問なのである。しかし、中学で習う社会科や高校で習う政治経済にも通じるように、法学は、憲法に代表されるように、国家を、本来存在すべきでないもの乃至は必要悪と捉えており、また、地域共同体とのつながりを断った強い個人を志向し、ナショナリズムに支えられる国家に敵対的である。
 他方、経済学は、全てがそうでないにしても、少なくとも主流派とされる新自由主義的な経済学は、国家の関与を強く拒絶し、主流派経済学の想定する合理的経済人も、国ごとに異なる価値観や文化を敢えて考慮しない存在とされている。寧ろ、経済学の世界では、歴史を動かしてきた政府や国家の役割を敢えて無視し、国境のない世界を志向しているのである。
 このような、自らの存立基盤たる国家を敵視する法学と、そもそも国家の存在を無視する経済学に、日本社会におけるグローバル化の進展が伴えば、法学の魅力は失せてしまい、経済学が人気を博するのも自然なことである。国境を越えて人・モノ・資本を移動させる経済活動を社会的成功と捉えれば、若者は経済学にリアリティを感じ、我が国に根付いた法体系を学ぶことは、彼等の目には極めて意義が乏しいものと映るのである。しかも、最近の大学生は、一昔前のように講義をさぼって遊ぶのではなく、大学の講義を真面目に受けようとするのであるから、社会の風潮を踏まえた自分の将来の進路選択と、自分の勉強する学問分野について真剣となっていると考えられる。とすれば、今般、東大文二の方が文一よりも難関となったのも必然であろう。国家を敵視する法学部教員の理想が、法学部の凋落として結実したのは皮肉であるが。
 戦後の日本国民の主たる関心が経済発展であったことからすれば、とうの昔に経済学部が法学部の優位に立っていてもおかしくない筈だが、平成末まで法学部優位が続いたのは、畢竟は国家の存在がまだまだ強く大きかったからであろう。しかし、グローバル化が進み、更に、国家の存在を基盤とする法学が国家を擁護する考え方を提示しないとすれば、経済学優位に切り替わるのも当然であり、勤勉で前途ある日本の若者が国家の価値を解することはないのである。
 もし法学部が再び人気を回復するとしたら、周回遅れであっても日本社会がグローバル化疲れを自覚し、法学が、安易な反国家・反権力の思想を脱却して、我が国の富国強兵に資する権力観や国家・国民の関係を提示できた場合であろう。