浜崎洋介・編集委員への手紙

八田侑子

 

拝啓

 向暑の候。
 いつも力強く歯切れのよい言葉をありがたく拝読いたしております。
 また、文春学藝ライブラリーの福田恆存三冊の編集は、確かな読みと福田氏への深い畏敬の念が活き活きとあふれていて、長年福田恆存を読んで参りました私ですが、改めて嬉しく拝読いたしました。
 さて、『表現者クライテリオン七月号』の「保田與重郎論」ですが、面白く拝読いたしました。彼の問題は、戦後日本人における最大の問題ですね。(ごく少数の人を除いて)「戦う」ということをしなかった、という。
 保田與重郎にとっての橋は、そもそも繋ぐものではないですね。此岸と彼岸は一如としてあるもので、橋というものも、道というものも、あるがなく、ないがあるものですね。だから彼が書いたのは「批評」ではなく「注釈」だった。近代などという「分析」を受け入れない注釈は、悪用すればその気分に埋没することができる。保田與重郎という人は、「偉大なる敗北」という気分に逃げた人だと思います。
 彼が「佛界易入 魔界難入」と大書した軸の前に座している写真を見たことがあるのですが、彼はその軸を背負えていなかった。ものがなしいものでした。
 それでも、私は保田與重郎を読み続けますし、彼が読んだ古人の歌を祈るがごとく読み続けます。
 ところで、「村上春樹」ですが、「安西水丸」に触れてほしかったなと思います。村上春樹は、アメリカの文学や音楽に憧れたごとく、安西水丸の世界というべきか、安西水丸という人を嫉妬さえするほどに認め、憬れ、文章によって模倣しようとしたと思うのです。安西氏がイラストを引受けている限り自分は大丈夫だとさえ思っていたと感じます。村上春樹は巧妙な模造品製作者でした。まさしく戦後そのものの作家ですね。模造、「偽」。
 チャンネル桜の「MMT」に関する討論。全くもって同感です。中野剛志さんの『富国と強兵』でこの理論に接し合点がいっていたので、中野さんはじめ皆様のご尽力によりここまで広まったのだなあと感慨深いものがありました。
また、私はかねてより「安倍晋三ええかっこしい論」を唱えておりまして、浜崎さんの「安倍晋三うつわ論」と重なるところ大です。近衛文麿も「ええかっこしい」で、その血を受けた細川護熙も全くそうですし、鳩山由紀夫も加えたい。ええかっこしいのお坊ちゃまたちは、使いやすいのだと思います。
 昔、この国では「卑怯」というものを一番嫌ったのでした。卑怯者でないためには「勇気」がいり、その勇気のために修養したのでした。すべての修養は「無私」に至る道でありました。しかし、今、この国では「偽善」をまとった臆病が「権利」を主張しながら跋扈し、勝ち馬を探すに余念がなくて、尻馬に乗るに躊躇がない。甘ったれ「平和大国」の戦うことを忘れたサムライは、スポーツに現を抜かし、長生きに執着する。良い加減に目を覚ましてほしいものですね。
 手紙ともいえないものになってしまいましたが、この無様な祖国に怒りを覚えながら戦う者がここにもいて、浜崎さんの文章と姿がとっても励みになっていて、ありがたく思っているということをお伝えしたかったのです。
 次号の「戦艦大和ノ最期」、どのような話しが展開されるのか楽しみにいたしております、かつて吉田満全集も読んだ私としましては。いつの日かなにかの機会にお目にかかれればと願っております。
 申し遅れましたが、7月号の読者からの手紙の欄に、拙文を掲載いただきましてありがとうございました。まったく稚拙で恥ずかしいですが、やはり嬉しいことでした。
 時節柄、くれぐれも御加養くださいませ。