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改題第11号(通巻第89号) 読者からの手紙

天皇は国家公務員ではないのだ

 絶えず変化を続ける動的状態こそが生命体の本質であるとしたシェーンハイマーは、20世紀になって、それまでの“静止体”観察から成る生物学に時間軸を導入し分子生物学の端緒を拓いたといえましょう。ダニエル・カーネマン/エイモス・トヴェルスキーは経済学に人間の心理的影響、時間的変化による行動パターンを反映させようとする行動経済学を構築しました。つまりこれらは何かについて思考を巡らせる際に、時間軸のない複式簿記の“貸借対照表的”考察一本から、時間軸を踏まえた“損益計算書的”思考に学問・研究のスタンスを変えたと言えましょう。政治学ではどうでしょうか。

 「国家の形成は権力の体系、利益の体系、価値の体系、法の体系からなる。中でも価値の体系が確固としていないと、権力・利益・法もうまく機能しなくなる」「先人たちは賢明にも世界でも稀有な優れた形体を構築してきた。権力・利益・法の体系を天皇家から時の経過とともに直接的には徐々に切り離し、天皇家にそれらに優位する価値体系を以って国家を安定的にまとめ上げるようにしてきた。」と京大の(高坂正尭先生の論に加え)佐伯啓思先生は言われました。つまり国家を体現化(可視化)している天皇を権力・利益・法の体系から超越させ、天皇制は法体系の一部である憲法その他法制度の枠内でもなく同等なものでもない権力・利益・法体系のインフラストラクチャーであり、これが「干数百年の時をかけて日本人が創り上げてきた知恵」なのだと、論じておられます。

 地政学の太宗マッキンダーはあらゆる組織は国家も含めゴーイング・コンサーンであり、組織誕生以来の構成員の願望・意志・努力・実行などの集積(習慣)が総体としての意志や行動様式を有することになり、その時間軸を具えた動的存在を”前提“として社会は動いていると述べています。これから敷衍すれば国家の誕生以来、数えきれないほどの多くの日本人と、無限ともいえる日本人の願い・意志・努力・犠牲などの集積体、即ち佐伯先生の言われた「干数百年の時をかけて日本人が創り上げてきた知恵」である価値というインフラの上に、それを前提として現在の我々日本人は生を与えられ、人生を送っていると言えるのです。しかし現実はどうでしょうか。

 昨今の新聞記事を見ていると、何事も今生きている日本人のみの判断だけで多くの事案の是非が議論されています。例えば天皇の継承(男系・女系などの)問題や、大嘗祭の形式など政治と宗教の分離問題などの是非は全て先の敗戦の結果”偶々“制定された”暫定憲法“や法律に沿った議論ばかりで、そこには日本をここまで創ってきた数千年間に及ぶ”無限“の願望・意志・努力・実行・犠牲・示唆などの”民意“上記の「干数百年の時をかけて日本人が創り上げてきた知恵」である価値、つまりインフラ、を前提として現在の我々日本人は生を与えられ、人生を送っていると言えるのは含まれていないというか、ほとんど軽視・無視されています。つまり戦後のせいぜい”瞬間的・刹那的“100年間程度の短い期間に、現在たまたま、ここに生を育んでいる限られた日本人の目前の便宜だけに判断を委ねているのです。これを“刹那・独裁的民主主義と評するのは言いすぎでしょうか。

 今でも我々日本人は家族が亡くなれば丁重に弔い、亡き人の意志・願望・努力・犠牲・遺言などを大切に守るべきとする心情を大切に守っています。其れであるのに国家となると、その安全と繁栄を営々と築いてきた国民の“意志・願望・努力・犠牲・示唆”等を軽視・無視し、現在の”民意“から、もう亡くなったからといって、除外しているのはいかにも理不尽であると思わざるをえません。つまり天皇制の在り方や、昔から多くの人達に大切に守られてきた日本の習慣や伝統・文化を、たまたま現在存在する人達の刹那的判断で国柄を毀損することは、先人達の民意を踏みにじっているともいえるのです。私たちは今の”民意“にこれら先人たちの民意も合流・合体・されるべきで、これが人間の本姓を踏まえた民主主義の姿であり、所謂保守主義の原点と言えるはずです。

 今上陛下はしばしば「日本国憲法に則り」とお言葉を発せられますが、今の憲法も長い歴史のほんの一瞬の間の“制約”であり、天皇制の真価は極めて長期間、先祖代々の日本人が望ましいと感じ、それが護られてきたそのこと自体にあります。即ち、それは先人の願望・意志・努力が悠久の時を重ねて凝縮・堆積したものであり、現行の日本国憲法内で語れるようなことではないのです。

 ギリシャで誕生し、欧米で”成長“した民主主義の欠点は此処にあるとおもいます。それは先人・祖先の民意を含有していない、時間軸を伴わない民主主義に劣化してきたと云う事です。これはひょっとすると、民主主義とは誕生時は先人の想いや経験・そして努力と犠牲に照らし合わせて生まれたものであるにも係わらず、それが現在生きている人たちの刹那的・便宜的判断によって徐々に変質させられてしまった結果であり、これをポピュリズムと言うのかも知れません。

 以上の私見に「我々は過去の意見に捉われるのではなく、次世代の人達の為に白紙の状態から今を判断すべき」と批判的な人もおられることでしょう。だがこれには論理矛盾があるようです。なぜならそのような意見をお持ちの人たちが亡くなった時点で、そのような意見を含め、その人が社会や国家の為に相応の貢献をされ、立派なご意見を遺しておられたとしても、それらは全て過去のモノとして”ゼロ“評価されてもかまわないと、ご自分で自説を自己否定していることになるからです。

 我々日本人はこれ等”貸借対照表的“「刹那的民主主義」から脱極し、”損益計算書を踏まえた先人参加型“の「永代型民主主義」に立ち返るべきだと思います。

投稿者 : 

  • 足立誠郎(75歳、千葉県、無職)

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